第二回:続”茶の湯”を辿りに京都へ赴く(一日目)

去年(2012)12月に”茶の起源”を訪ねて京都に行ってきましたが、再度行ってきました。一泊二日で。

前回の旅の記事(参考):”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(一日目)

前回の旅では、千利休とその関係者にスポットを当て、また茶の種を日本に持ち帰ってきた栄西さん関連の茶の種の流れを中心に京都を回りました。大方そのテーマでは回り終わってしまったので、今回はもうちょっと時代をずらして、茶の湯に関わりのある人・場所を巡ってきました。さすがに京都の交通機関も慣れてきましたが、結果としては、Google Maps(スマホのGoogle Mapsアプリで現在値から行き先で検索)で検索する方法が、ほぼ正確で最短・最速だと思いました。偉大です。

*写真は全てクリックすると拡大。文字など見えにくい際には。

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朝9時に京都に到着。まずは大原に向かいます。京都駅からバスで向かうと時間がかかるので、地下鉄も併用。京都駅周辺は曇りでしたが、山の方は雪の予報。

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京都タワーはなにやら工事中で先端に網が掛かっていました。

 ◆其之一:三千院(さんぜんいん)

三千院最寄りの”大原バス停”で下りたら帰りのバスの時間をチェックすべきです。当たり前の事ですが、大原くらい京都中心地から離れてしまうと、効率良く観光するには、計画通りに進まないとあっと言う間に時間が過ぎてしまいます。まぁ京都に来ているのですから時間を気にせず見るべきとも思いますが・・・。

さて、大原は雪景色でした!

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大原のバス停から三千院までの参道も雪景色。綺麗でした。

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三千院門跡。雪で綺麗でした。

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三千院の説明は、看板にお任せしましょう。クリックすると拡大。

参考:三千院公式サイト
参考:三千院 | Wikipedia

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雪の大原三千院は本当に素敵でした。

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宸殿

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中には、国宝の阿弥陀三尊坐像が。

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わらべ地蔵も雪を被っていました。

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さて、この日は、”初午大根炊き”の日でした。ラッキーでした。
幸せを呼ぶといわれているそうです。無料で大根を配っていました。2つ頂いたり。寒かったので体もあたたまり。

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本日一服目の薄茶。

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三千院は、直接茶の湯に関わりのあるお寺ではございません。しかし薄茶を頂けますし、この大原という地域が綺麗ですし、お寺全体の雰囲気が山の中で静かで素晴らしかったです。

さて、直ぐにバスに飛び乗り大原を離れます。大原は、その地域で取れた野菜・野花などが豊富で、その市場もあるようです。茶人達は茶事の日の早朝に、大原を訪れて季節の物を買っていくとか・・・。とにかくのどかな大原の地域で最初から癒されました。

 ◆其之二:通圓寺(ついえんじ)

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さて、圓通寺にやってきました。

公式サイト:円通寺 (京都市) – Wikipedia

圓通寺は素晴らしすぎて腰が抜けるかと。

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さて、圓通寺の沿革は看板で(手抜き)。クリックすると拡大。

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枯山水式の圓通寺庭園。日本の名勝。素晴らしき事限りなし。

この庭園は”借景”(しゃくけい)を使っています。つまり、写真にも写っている毎日姿を変える(一日として同じ姿のない)比叡山の姿を”借”りて完成させる庭の風”景”。それで借景。しかもこの庭園には、今の時代では奇跡的に電柱などの人工物が一切入り込まず、その景観を維持しています。庭の石は、ほんの一部だけを覗かしているだけで、下に深く沈み込み(遠くから持ってきた)、植えてある花も非常に多数に及び。圓通寺の庭園は本当に素晴らしかったです。また、霊元天皇宸翰消息という重要文化財も見られます。写真は最近になって、庭園側のみ撮影可能ですが、借景ですから、カメラで残しても意味がありません。

ここでも薄茶を頂きました。(室内なので写真撮影は禁止)。二服目。

さて、圓通寺を出て、どんどん京都市内に向かって移動します。

◆其之三:光悦寺(こうえつじ)

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さて、書でも、茶碗でも有名な多才な茶人”本阿弥光悦”の光悦寺にやってきました。

八つもの数寄屋(茶室)があるお寺として有名です。

参考:光悦寺 | Wikipedia

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光悦寺内は素敵な景観が続いていました。静かで綺麗です。

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数寄屋:”三巴亭”

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数寄屋:”大虚庵”と、竹の垣根の”光悦垣”

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数寄屋:”了寂軒”

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数寄屋:”本阿弥庵”

近づけない数寄屋(茶室)も多く、そもそも中も覗けないので庭や外観しか楽しめず・・・。天気が悪かったので写真はありませんが、光悦寺から見える3つの山(鷹峰三山=鷹ヶ峯、鷲ヶ峰、天ヶ峰)の山並みはとても静けさがあり素敵でした。

数寄屋に関しては、普段から内覧などで解放されることはなく、私の様な一般人が入れる可能性があれば、年に1回行われる光悦会という茶会しか方法は無いようです。しかし、光悦会は正に本阿弥光悦にちなんだ茶会・茶事なので、家元クラスの人々が行うもので格式が高すぎて行くのは相当困難とのこと。最終日だけは、それでも少し一般人側の枠があるようですが、それでも東京在住で茶の湯の”いろは”も分かっておらず、そもそも光悦会に`つて`も無い私では実質参加は不可能に近い様です。いつか行かれると良いですが、客の作法も含め中途半端な状況ではいけないなと。

光悦の茶碗は私も結構好きなので、おそらく光悦作の樂も出ると思うので、いつかは・・なんていう気持ちも。京の方がこのブログを読んだら論外過ぎて鼻で笑ってそうですが・・(笑)

また、昭和40年くらいまでは数寄屋の中も自由に見ることが出来たようです。近所のやんちゃ坊主がボール遊びなどをして痛むので内覧禁止になったという話が・・・(ホントかな?)

上の光悦会などの話は、光悦寺の近くにある”光悦茶屋”のご主人に薄茶を頂きながら、お話しを伺いました。本日三服目。是非、光悦寺に行く際にはお寄りください。せっかく茶人で有名な光悦寺に来たのに抹茶を頂かないわけにはいかず!

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参考:光悦茶屋(食べログ)

さて、光悦寺から歩いて鹿苑寺へ。20~30分歩いたかな。

 ◆其之四:鹿苑寺(舎利殿`金閣`が有名な):夕佳亭(ろくおんじ・きんかくじ・せっかてい)

京都と言えば金色の舎利殿`金閣`が有名な鹿苑寺。今回は舎利殿を見たかったわけではなく、裏にある茶室:夕佳亭(せっかてい)を見るために。

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舎利殿。中学校の修学旅行以来ですが、やはり大人気で多くの観光客が居ました。個人的に、この舎利殿はセンスレスな建物だなぁと・・。放火焼失前の写真などを見ると、金箔が剥げているだけらしいですが、何となく趣があって良いかなと。さて、さっさと先に進んで夕佳亭へ向かいます。

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夕佳亭

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茶室ではなく、”茶席”と書いてありますね。クリックすると拡大。

その名の通り、夕方に金閣が誠に美しく見えることから名付けられた茶席の様です。荒廃が激しく、野ざらしの為、状態はかなり良くないです。大徳寺で禅を学んだ金森宗和の設計の様です。

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とりあえず、観光客がものすごい中、一応鹿苑寺でも薄茶を。四服目。

さて、仁和寺に向かいます(近いので)

 ◆其之五:仁和寺(にんなじ)

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仁和寺の二王門。”仁”王門じゃないですよ。こだわって”二”王門。タクシーがなかなか動かず、日も落ちてきたのでフレームアウトできず。北野天満宮などもそうでしたが、山門前にタクシー乗り付けはなんとかならないものか・・・。

仁和寺公式サイト:http://www.ninnaji.or.jp

さて、仁和寺に来たのは、金堂、五重塔などもありますが、尾形光琳の数寄屋”遼廓亭(りょうかくてい)”が目的です。しかし全くの調査不足で突然行って拝観はできませんでした・・。二畳半台目の小さな数寄屋ということで、是非見たかったのですが残念です。拝観するには、事前予約が必要とのことでした。準備不足でした。仕方がないので金堂などを拝観。

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仁和寺 金堂(国宝)

完璧すぎて説明する必要もなく。仁和寺は、国宝と重要文化財だらけです。

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仁和寺の後に、銀閣に向かう予定でしたが、拝観時間を考えると寺院拝観はこの日は仁和寺で最後。とりあえず夜の京懐石の予約時間までまだあったので、市内を少し。

 ◆其之六:表千家不審庵(おもてせんけ・ふしんあん)

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おきまりの表千家不審庵も。ただ、私は川上不白を祖とする表千家なので厳密にはここは家元の家元なのですが(上層のことはよくわからん)。
その後対面にある茶道具やましたさんにも寄り、稽古帛紗を購入。

◆其之七:裏千家今日庵(うらせんけ・きょうあん)

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不審庵のお隣(お裏と表現すべきか)にある裏千家今日庵。5時過ぎていたので門が閉まっています。お友達はお裏の方が多いので、今日庵写真も紹介。

今日庵の対面にある本法寺もふらっと見てきました。本法寺は”利休居士像”で有名で且つ、利休とも親交の深かった長谷川等伯が一時寝泊まりしていた寺です。その為、等伯の資料などいろいろ残っているようですが、5時過ぎているため中には入れず。また庭園のプロデュースは、本阿弥光悦が行っており、それもまた茶の湯・利休に近いお寺でもあります。さて、時間も遅くなってきたので、京懐石を食べに祇園に向かいます。

◆其之八:京懐石 さくら

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今回は、京懐石「石塀小路さくら」で食事。菊乃井などにも連絡をいれたのですが、やはり一人では予約できず・・・。この辺が京懐石は難しいところです。とりあえず、一人でも受け入れてくれた石塀小路さくらさんで。おいしかったですね。お店の雰囲気もよく、お皿などを置く手つきなど料理人としての所作も綺麗でした。

さて、ほどよく酔っ払って京都駅前のビジネスホテルで一泊。一日目から非常に素晴らしい京都を巡ることができました。

二日目の記事に続きます

 

第十回目の茶湯の稽古と根津美術館「遠州・不味の美意識」

今日は、茶の湯の稽古第十回目でした。上巳の節句(桃の節句・雛の節句)の日ですので、もちろん雛祭りにちなんだ主菓子(左近の桜・右近の橘となっている2色の練り切り)、桜にちなんだ干菓子が出てきました。

今日は一緒に稽古に通っているお友達が別の用事で参加されないということで、私一人でのお稽古。今回も楽しい稽古となりました。先生は、現代の言葉でいえば茶の湯に関して超マニアックですので、茶話が楽しくて仕方がありません。やっと一つの過程が終わり次回から次の過程に進むので楽しみです。先生の床なので、内容は紹介いたしませんが、茶花も凄く素敵でした。フラワーアレンジメントを以前かじっていましたが、今は花の好みも変わってきました。

さて、稽古の帰りに根津美術館で開催中の”遠州・不昧の美意識”(名物の茶道具)展に行ってきました。

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コレクション展
遠州・不昧の美意識
名物の茶道具
2013年2月23日(土)~4月7日(日)
(今だけのサイト):http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html

茶人”小堀遠州”と、その小堀遠州の道具の収集家+大ファン(と言って良いものか・・)の”松平不昧”の垂涎の素敵な茶道具の展示会です。コレクション展ですので、基本的に根津美術館(=根津嘉一郎(1860~1940)所有)の所蔵の物です。

千利休はじめ、名茶人達は大名に近かったため、その記録(+本人が使った・好んだ茶道具)の多くが残されていますが、小堀遠州に関しては、不味がその茶道具をちゃんと書にまとめ、そして外装箱を作って納め、紙のカバーまでつけて保管(コレクション)したのでここまでしっかりと残っているのでしょうね。

大学の研究室の先輩(アイドルマニア)が、追いかけアイドルの写真集を三冊購入買うといっていました。1つは保管用、1つは閲覧用、もう1つは予備にと(笑)その収集の仕方もマニアックだとは思いますが、不味の茶道具に関する管理の仕方は実に丁寧でマニアックで、完璧主義者だと分かります。こうやって四百年近く綺麗に残っているので、彼の功績は大きいと思いました。

さて、茶道具達は、瀬戸の茶入、高麗の井戸茶碗などを中心に数多く展示されていました。瀬戸焼も素敵でしたが、高取焼でとても気になった茶碗がありました。やはり、九州はそろそろ訪れなければなりません。とても素敵な茶道具展ですので、ご興味があれば是非足を運んで頂きたいです。

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根津美術館入り口。

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(今回の記事とは関係ないけど)2/28の家稽古の一服。(非公開ですが毎日の稽古の一服を同じ構図で写真を取り続けて別のブログにしています)

抹茶:上林春松:祖母昔(ばばのむかし)(濃茶用抹茶)
御菓子:御菓子処さゝま:草包み(雪平):くさつつみ(せっぺい)

御菓子処さゝま。素敵な御菓子を見つけた。

毎晩の茶の湯の家稽古ですが、今までお茶菓子確保に苦労していました。平日は帰宅が遅いので、銀座・日本橋界隈の御菓子司に寄っている時間がありません。そこで日曜日に3日分くらい買って、火曜日・水曜日あたりはカピカピ(乾いた)の残念な主菓子を頂いていました。水曜日以降は、干菓子か羊羹などの日持ちする御菓子にしたり、セブンイレブンの和菓子を代用したり(笑)。

ふと考えてみると、先日の日本橋や銀座で呉服屋を探している際に、御菓子司を頻繁に見かけました。今までも変わらずそこにあったわけですが、私が興味がなかったので素通りして気が付かなかった訳ですね。私の興味外へのアンテナを貼らない姿勢は反省しなければなりません(毎度のことながら)。そこで、会社近くの御菓子を検索していたらすぐ近くに見つけました。

(iPhone4sしかカメラがなく残念な写真ですが・・)

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御菓子処さゝま

公式サイト:http://www.sasama.co.jp

何とまぁ素敵な店構え!何度も通過している場所でしたが、存在すら気が付いていませんでした。昭和4年創業、今の場所・スタイルになったのは昭和9年かららしく、公式サイトでは、その時より”茶道に使用できる和菓子を目指し現代に至って居ります”とのこと。素敵すぎる。普通の和菓子屋さんではなく、いろいろな茶事・茶会に茶菓子を提供している老舗のお店でした。

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入り口の暖簾も素敵ですが、素敵なのは写真右側の床です。(床と言って良い物か・・・)

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茶花がいけてあります。素敵過ぎます。

先週、このお店を見つけたのですが、もちろんその時と茶花は変わっていました。お店の方が茶の湯をやっておられるのでしょうね。あと”おひなさま”の主菓子かわいいですね!そういえば、上巳の節句前ですものね。

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(お店の中)公開しちゃっていいのかな??

とにかくお店で扱っているのはお茶菓子のみ。私の用途を100%満足する素敵なお店がこんなに近くにあるとは・・。まさに灯台もと暗し。

店内にはまた別の茶花があったり、軸があったりと凄く素敵なお店です。三越に入っている御菓子よりも少し安めでありがたく。そして注文したのを箱に詰めてくれるのですが・・・

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良い感じ。

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こんな感じで箱も良い感じ。

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今回買った3つ。ささまさんはウェブでちゃんと御菓子を紹介してくれているので、後から調べるにも便利です。
・左上:菱(練切)
・左下:菜種(きんとん)
・右下:稚児桜(練切)(ちござくら)

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さっそく今日買ってきたもので。稽古の励みになりますね。菱餅ならぬ菱菓子です。

今後いろいろな町を歩く際にも、キョロキョロしてこういった老舗のお店を見つけたいものです。

“美濃焼”を巡りに岐阜(多治見市)に赴く。

先日、美濃焼を訪ねに岐阜県多治見市・土岐市周辺に行ってきました。とりあえず日本の有名所の窯元はいろいろ回ってみようかと。有名窯元と焼き物はウェブでいくらでも調べられますが、やはり数が多くてウェブを斜め読みしても頭に入りませんし、やはりどういう点に特徴があるのかよく分かりません。そこで、時間を見つけてはその土地を訪ねて、地元の美術館・博物館で歴史を学び、できれば窯元に赴き、地元販売店を回ってみようと思っています。先日も京都の旅で樂焼の美術館に行ってきました(参考:”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(一日目))がやはり地元に行くと見聞が広がりますね。可能であれば、安価なその土地の作品(抹茶茶碗など)を買ってこられればと考えています。もちろん有名な焼き物の土地では人間国宝やら国宝・重要文化財で数十万・数百万越えは当たり前の世界ですが、安価な物でもその土地の特色が現れている茶道具を購入できれば行ってきた記念になるかなと。その特徴を掴んでおけば、茶の湯の先生の道具や、各茶事、美術館に行ったときに自分の物と比較して何が違うのかなどを分かるのではと思っています。ウェブだけ見ていてもよく分からず、実際に使って確かめないと違いの分からない古い頭の構造なもので・・・。

旅の目的:
1)美濃という土地を訪れる。
2)美濃焼の歴史を学ぶ
3)数多くある美濃焼の種類の見分けくらい出来るようになる
4)(可能であれば)美濃焼らしい、美濃焼を買ってくる。

さて、美濃焼ですが、美濃焼という総称の中に多くの焼き物名があります。瀬戸黒、黄瀬戸、志野、鼠志野、織部、黒織部、織部黒の有名どころから、美濃唐津、美濃伊賀など細かいところまで入れるとかなりの種類になるようです。そもそも愛知県瀬戸市の瀬戸焼と歴史的に一緒?(場所も近く)と判定されていて瀬戸黒・黄瀬戸に”瀬戸”という名前が付いていたようです。実際には、瀬戸焼とは別の系統だと分かり、瀬戸黒、黄瀬戸は”瀬戸”の名前がついていながらも、美濃の地オリジナルとのこと。美濃唐津・美濃伊賀なども、美濃と唐津のコラボと考えるよりは、美濃の地で焼いた唐津風などと理解するのが良い様です。

参考:美濃焼Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%BF%83%E7%84%BC

美濃焼といえば、現在の岐阜県の多治見市・土岐市に多くの窯元・ミュージアム・販売店があるのですが、どこに行くべきかの観光情報がネット上に極めて乏しいと言わざるを得ません。少なくとも多治見市と土岐市は分断されて情報が公開されているのと、そもそもそれぞれのサイトの情報が乏しく、どこに行けば良いのかなどがネットだけでは全然わかりません。是非、美濃焼の総本山サイトをつくって、場所・時間・オススメコースなどの情報をまとめて欲しいものです。

こういう焼き物の地を訪れるのに難しいのは、焼き物も用途や価格帯が多岐に渡っており、私の様に茶道具として陶器を見たい人か、一般ダイニング用途の皿などを探しているとかで見学したいコースが変わります。前者だったら、博物館で歴史を学び、できれば窯元で実際の釜の見学や体験、そして焼き物を買うのも、大衆焼き物ではなく、茶道具としての観点で集められたお店などを訪れたいと思っています。

実際には、多治見駅の改札降りた所の観光窓口で現地マップを頂き、そこで窓口の方にいろいろバスの時間などを聞くことができました。あの現地マップがウェブに上がっているわけでもないので困った物です。現地で聞けば良いじゃんと言われればそれまでですが、実際にどのくらいの時間がかかるかなど事前に分からないとスケジュールも立てられないなと。

参考にならなかったけど、一応関連サイト

多治見市産業観光課
土岐市観光情報

私として、事前に関連場所をGoogle Mapsのマイプレイスにプロットしたので、一応紹介。

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Google Maps マイプレイス “美濃焼巡り” :
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215077276734274781333.0004d31711ac372f393e3&msa=0

 

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さて、スタートは多治見駅から。改札口出たところの観光窓口は行くべきです。この窓口機能がウェブに上がっていた欲しいものです(できれば、多治見+土岐を超越して)

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多治見市美濃焼ミュージアム。 最初にここに行くのはオススメです。多治見駅から、周遊バスで向かうことができます。駅の観光窓口で300円チケットを買っておけば、一日で何度でも周遊バスに乗り降り可能なのでオススメです。1時間に1本程度なので時間は注意が必要です。

公式サイト:http://www.tajimi-bunka.or.jp/minoyaki_museum/

さて、このミュージアムで美濃焼の歴史の大半は学べるのでとてもよいミュージアムだと思いました。瀬戸黒・黄瀬戸から始まった美濃焼の歴史や、現代の日本国宝連発の現代美濃焼の作品が見られます。一度種類の違いが分かってしまえば大した事がないのですが、このミュージアムで実際に作品を見ることで、美濃焼の多くの種類の差がよく分かるようになりました。

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この志野焼は、人間国宝の加藤孝造先生の志野焼です。ミュージアムには、簡易的な茶室的な空間があり、現代の人間国宝の人達の抹茶茶碗で薄茶を頂けます。正直、頂いた薄茶自体は残念なレベルと言わざるを得ませんが、加藤先生の茶碗を実際に使わせて頂き、いろいろ感じた事がありました。

さて、周遊バスの時間を見て、バスに乗り。

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修道院前で下りました。この神言修道院(多治見修道院)は男性の修道士のみの修道院としては、日本でも珍しいようです。院内でブドウを作っていて自家製ワインなどもやっているようです。

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修道院前で下りたのは、この美濃焼園という美濃焼の販売店を訪れる為です。この後に行く”本町オリベストリート”でも販売店は多いのですが、結果的には茶道具として考えた場合はこの美濃焼園はなかなか良い品揃えだと思いました。 店主もマニアックです。茶道具としての美濃焼の各種(志野・織部・・・)が5000円くらいから数百万円クラスまで数多く扱っているので予算に合わせて選ぶことができるでしょう。

美濃焼園サイト:http://www.minoyakien.co.jp/

さて、美濃焼園のサイトにも解説してありますが、美濃焼園は2つに売り場が分かれています。

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この”美濃工芸館”は、美濃焼園のすぐ左隣に隣接しています。

美濃焼といえば、安土桃山時代に大成し・・と400年以上の歴史がありますが、現代の美濃焼の作家先生たちにも2つのベクトルがあると美濃焼園の店主は考えて居るようです。つまり、本来の歴史ある美濃焼を目指している伝統的な作家と、いわゆる現代の美濃という土地で新しいスタイル・自己表現している作家と。この”美濃工芸館”は、前者の古き桃山時代の伝統的な美濃焼を目指した作家の作品を集めて販売しているとのこと。このコダワリは美濃焼園のサイトにがっつり書いてあるので興味があればご覧くだされ。

これはどちらが良いかは好みにも寄るので甲乙付けがたいですが、私は工芸館の方で抹茶茶碗を選ばせて頂きました。今回の旅では、美濃焼らしい”志野焼”と、個人的に造形がかっこいい”瀬戸黒”をさがしていましたが、瀬戸黒の方は高価で手が出ませんでした。やはり、瀬戸黒は引き出さないといけないため、手間がかかり、多くは焼けず、そのあたりの関係でなかなか安い瀬戸黒はありませんでした。

さて、駅の観光窓口で聞いたところ、美濃焼を買うなら”本町オリベストリート”に何店か集まっているので・・と紹介されました。美濃焼園から少し距離がありますが、歩けない距離ではないのと、バスのタイミングが悪かったので徒歩で向かいます。

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本町オリベストリートに到着。美濃焼の販売店が集まっています。

参考:多治見の観光スポット(本町オリベストリート始め、いろいろ紹介されている)

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まずは、澤千でランチ。どうやらこの辺りは鰻で有名みたいですね。美味しかったです。

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ランチ後、本町オリベストリートのお店を全て回りました。写真はその一つの”うつわ亭
この”うつわ亭”さんは、お店も広く、綺麗で美濃焼のいろいろな物(食器など多数)扱っていました。茶道具以外の物は何でも揃う感じでした。
その他何店舗か見ましたが、やはり茶道具として見たときの品揃えは(個人的な感想では)イマイチでした。

結局、本町オリベストリートの各店舗を回り、そのまま多治見駅に向かって、(その途中でも一店舗あったかな)戻りました。

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今回は、ミュージアム、美濃焼園、本町オリベストリート全店舗を回りましたが、多治見の他のスポットといえば、市之倉地域です。市之倉さかづき美術館と、幸兵衛窯が有名です。今回は時間の関係で回れませんでしたが、是非次回訪れてみようと思います。幸兵衛窯の加藤亮太郎氏は、私の4つ上で歳も近く精力的に作品を作られています。先日、しぶや黒田陶苑でも作品を拝見しましたが、瀬戸黒の抹茶茶碗が非常に素晴らしかったです。

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さて、家に帰ってきました。今回の旅は、岐阜市在住の友達と一緒に回り、写真の柿のお菓子をお土産に頂きました。早速、志野茶碗と共に。今回悩み抜いて買ってきた志野茶碗は、高価な物ではありませんが、なかなか良い形と色で良い感じです。何気なく選んだのですが、この旅の後に行った三井記念美術館で見た”国宝:志野茶碗 銘 卯花墻”と同じ模様でした(卯の花(宇津木)が咲く「垣根」)。単純にしっかりと模様が入っていて茶碗の正面がはっきりとしている方がいいかなと思って選んだのですが・・・・。

今回、窯元や土岐市の方には足を運べませんでしたが、美濃焼の歴史・種類に関してかなり理解が進みました。茶人”古田織部”と、美濃焼の織部焼が直接関わっていた事実は残っていないようですが、桃山時代の大茶人達がこの美濃の土地にいろいろな茶道具を注文していたのはおそらく間違いありません。その茶の湯と深い関わりがあり、歴史ある美濃を訪れたことはとても良い経験となりました。旅の目的の数多くある美濃焼を見分けるのは、おそらくできるようになったのかなと思っています。

次は、備前、萩、伊賀+信楽のいずれかを訪れようと計画しています。薄っぺらいウェブ知識を、実際に訪れて体験を伴う知識(体知識)に替えていきたいと思います。また、茶の湯に関してはウェブ全盛で、オンライン通販全盛のこの時代に、できるだけ現地の物は現地で購入するという指針で行こうと思います。ウェブですとSEOでしたり、無謀な価格競争なりで、前に検索されてくるのがテクニック面の傾向があり本質が伝わっていない可能性が高いので。

 

キエフの民芸品を茶道具に見立てて稽古

仕事関係の出張でまたもウクライナのドニプロペトロウシクに来ております。今回は接続が悪くて途中、キエフ(ウクライナの首都)に一泊。乗り換え便まで少し時間があったので、キエフを一回り観光してきました。

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St.Andrews Church, Kiev

キエフにはこんな素敵な教会ばかり。キエフの町並みは別記事でまた紹介します。このセント・アンドリュース教会の前には、この教会を見に来た観光客をターゲットにした路面店が多数並んでいました。

その中に、キエフの伝統的な(?)木製容器・小物・置き物を扱っている路面店がありました。ふと見たときにこれは茶道具としてなかなか良い形をしているなと。茶の湯の楽しみの一つに”見立て”があります。

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左のを建水に、右上のを抹茶茶碗に、右下(蓋を取ってある状態)を薄茶器にと`皆具`に`見立て`ました。全部木製で、手書きで模様が描いてあります。イチゴと楓ですかね??なかなか綺麗な物です。路面で売られていましたので長い間風雨にさらされていたものです・・・。

今回の出張では、お点前の順番だけ忘れないようにと、帛紗・扇子・抹茶・柄杓・茶筅は持ってきました。茶碗は陶器だと割れるかと思い味噌汁のカップ(プラスチック製)を持ってきていたのですが、上記のキエフの見立て皆具で簡易稽古が出来ています。帯はスーツのベルトで。

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さらにホテルの部屋のマットが良い感じでした。畳の一畳と見立てるには大きすぎましたが、今回の見立て皆具と絵柄と配色などがあいますね。水差しは6リットルのミネラルウォーターボトル。そして風炉釜は、電気ポットで見立てました。

目的としては、運び点前の(手順の)稽古なので道具は何でも良いのですが、こうやっていろいろな物を見立ててみると面白いものですね。色々気づく事がありました。

・ミネラルウォーターが硬水なのか軟水なのかわかりません。また持ってきた抹茶が極めて悪いものを持ってきたからか、点てた薄茶がとても不味い。そもそも静電気で抹茶がダマになってしまい(こし器は持ってこなかった)、とにかく酷い状況でした・・。ハッキリ言って飲めず・・・。

・木製の抹茶茶碗は、熱容量や比熱の関係でとても点てにくかったです。陶器とは違って難しいものでした。醍醐寺に所蔵されている秀吉が使った”黄金天目茶碗”は、全部が金で出来ているわけでは無いとのこと。これは全て金だと熱すぎて持てないという理由から中身は木製で、金箔を塗ってあるとのこと。金箔によって傾向は違うとは思いますが、木製の茶碗に出会す事もこれからあるのかもしれませんね。お湯での茶筅通しをしても茶碗が暖まらないですし、工夫が要りそうです。

・お湯の量が難しい:柄杓を持ってこなかったので、写真の通り抹茶茶碗にポットからお湯を入れるのですが、いつもは柄杓の合に合わせて調整したいたものが道具が変わると分量の検討が付かない事が分かりました(完全に合に頼っていることが分かりました)。柄杓以外を使う事は茶の湯ではさすがに無さそうですが、敢えてポットでも適量を注げる感覚を身につけないなと思いました。今回の茶碗は、茶溜まりが狭く、茶筅摺りの傾斜も大きくいわゆる抹茶茶碗とは形が異なります。なのでお湯の高さでは判断が難しく、何か他の基準で判定する感覚が必要な様です。

・薄茶器の蓋の形の重要性:利休型などを始めとした棗(薄茶器)は、蓋の上部中央はほぼ平らになっています。これは茶杓の節が蓋の上部中央には”触れず”、節の前後2点で接地して安定しています。今回の民芸品の薄茶器の蓋は、蓋の上部中央が最も高い形になっていて、茶杓を置くと中央部が節の一点で乗ってしまい、茶杓がそれを中心に回転してしまいます。(竹とんぼの様に)。薄茶器のデザインに関して、そのあたりは気にしたことがなかったのでまた勉強になりました。つまり、薄茶器としての見立てが悪かったと。

 

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(なんか大きな泡が2つ残ってしまっていますね・・・。)

今回、茶巾と懐紙を持ってきませんでした。近くのスーパーで買ってきたキッチンペーパーを代用していますが、茶巾も懐紙も縦横比が(自分の体感として)分かりませんでした。何気なく使っている道具も、意識して使わないとなぜそのデザインなのか、大きさなのか考えずに過ごしてしまいますね。今回の出張先での”見立て”で多くの事を学びました。

日本橋(人形町)の呉服屋、御菓子司散策。

日本橋に住み始めて3年強。最高に素敵な街です。銀座に近くて、東京駅に近くて、そして日本橋という街が素敵です。映画「麒麟の翼」がTVで放映されたらしく、最近また日本橋が混んでいます。既に日本橋は七福神を含め回り済みですが、今回は着物(呉服屋)、茶の湯に関するお店、御菓子司、和物を探すという視点で人形町を中心に日本橋を散策してきました。とりあえず、今着物は北千住の呉服屋さんにお世話になっていますが、いざ日本橋はどこに呉服屋があって、また価格帯はどのくらいなのか一度見ておきたかったので。そういう意味では私の備忘録マップ作成です。

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まずは水天宮前の”重盛の人形焼”あたりからスタート。非常に混んでいたので、重盛で買うのは断念。

公式サイト:重盛永信堂

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水天宮は安産のお宮で有名です。混みすぎて入場制限かかっていました。

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同じく水天宮前の交差点には、御菓子司”三原堂本店”があります。上生菓子、干菓子も売っていました。最中やどら焼きも。今度買ってみよう。

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京都の京菓子司”壽堂”(ことぶきどう)。非常に店内も赴きありました。

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壽堂では、上生菓子や干菓子も扱っていましたので、お茶菓子に使えそうです。もう一つ、この”黄金芋”というのが有名の様です。しかも買ってくると忘れた・・。

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様々な陶磁器が売っている”こだわりのうつわ:紅とも”。

参考サイト(日本橋人形町サイト):http://www.ningyocho.or.jp/contents/shop/shopping/b05.html

茶道具系としては京都の清水焼の抹茶茶碗が数点ありましたが、基本的には日常使用用の陶磁器を扱っていました。

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御菓子司”玉英堂”。上生菓子、干菓子も扱っていたので茶菓子として使えそう。花びら餅も売っていました。一番のオススメは”どらやき”ならぬ、”とらやき”。

参考サイト(まち日本橋):http://www.nihonbashi-tokyo.jp/enjoy/gem/201205/

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京都の扇子専門店。京扇堂

ちょうど昨日、扇子を釜の中に落としてしまったので(笑)扇子を見に来たのですが、日曜日お休みでした。

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京都のお漬け物”近為

とりあえず、浅漬けを買ってみました。明日の朝食べてみようと思います。

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株式会社 近藤伝 藤柳苑
公式サイト:http://www.konden.net/

基本的には日曜日休みの呉服屋さんが多いようで、
立花屋
人形町 千
きもの今昔 甚右衛門
笠仙

などもすべてお休みでした。

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やっと、日曜日営業している呉服屋さんを発見。

衣装らくや

レンタルなどもやっているようです。男性の反物を何点か見せて頂きました。価格帯もチェック。今は写真の通りSALE中で、いろいろお得な話はありました(福袋とか)。個人的には、こういうお店だから”SALE”という表示が少しセンスレスかなと。着付けの教室なども主宰しているようでした。マンツーマンでいろいろ聞けて2時間とかいうコースがあったので、いずれ客観的に見てもらうのも良いかなと。

人形町の呉服屋さんは、殆どが日曜日休みでした・・・。残念。次に日本橋室町の方に向かいまして、

日本橋三越(みつこしの着物)
高島屋呉服部
KIMONO サカモト

の3つの呉服を見てきました。サカモトは日曜日定休・・。むむむ。高島屋は、正直男性の着物は全然力が入って折らず。女性の振り袖は素敵でした。

さて、やはり日本橋三越は良かったです。今ちょうど(2013/2/4まで)、春の「京呉服均一会」というのをやっています。

参考:三越 春の「京呉服均一会」(PDF)

日本橋三越の上記の均一会では、まさに”三越が始めた定価販売”とでもいうのでしょうか、お仕立て代も含めて安いものが結構ありました。そもそも男性の着物コーナーが充実していました。袴を探しに行っていたのですが、この均一会対象の袴ですと、割とリーズナブルで良い感じでした。今週末からのウクライナ出張に帰ってからもチャンスがあるのでそれまでにじっくり考えたいと思います。女性物も充実していたので、足を運んでみてはいかがでしょう。いろいろな呉服店を歩いた経験からすると、三越=高いとは単純にならない感じがしました。正直”安いのもある”という印象でした。

◆今回の”おもしろ地図”(Google Map マイプレイス)
今回の散歩は、ちょーさんの”探検僕の街”的なアプローチでしたので、Google Mapsマイプレイスにまとめました。

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http://goo.gl/maps/IFPNL
(Google Maps マイプレイス)

今回ので日本橋界隈は殆ど抑えました。せっかく住んでいるのですからお店の位置くらい知っておきたかったので良い機会になりました。今度は銀座を。銀座は和物店が多いのでかなりの数になりそうですが、一回りしてみようかと。

**** 今日の(家稽古の)一服 ****

一昨日と昨日と今日の家稽古の薄茶と茶菓子。

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2013/01/19
抹茶:一保堂茶舗:”巳昔”
主菓子:麻布青野:”福梅”

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2013/01/20
抹茶:一保堂茶舗:”巳昔”
主菓子:麻布青野:”桜餅”

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2013/01/21
抹茶:一保堂茶舗:”巳昔”
主菓子:麻布青野:”一笹”

茶の湯に関する四つの東京の美術館巡り。

ちょうど、時期が良く都内の四つの美術館で茶の湯に関する(茶道具)美術展がやっていましたので、一日で回ってみました。

(1)東京国立博物館

大学2年の時以来で、約12年ぶりの東京国立博物館に行ってきました。

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本館。こんな建物だっけなぁ?という記憶の薄れっぷり。

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お目当ての展示は、
”東京国立博物館140周年特集陳列 松永耳庵の茶道具”(2012年11月27日~2013年2月24日)

公式ページ:http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1572

「電力王」「電力の鬼」と呼ばれ、美術品のコレクターでも有名な松永安左エ門(松永耳庵)の茶道具の展示。小田原三茶人の一人。耳庵は多くのコレクターを東京国立博物館に寄贈しており、その一部を展示する催し。

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重要文化財 大井戸茶碗 有楽井戸 (朝鮮)
朝鮮時代・16世紀 松永耳庵氏寄贈

名前の通り、織田信長の弟の織田有楽斎(銀座の隣の有楽町の”有楽”の人ね)が所有していた大井戸。大井戸といえば、国宝の”喜左衛門井戸”(大徳寺所有)が有名ですが(私も本でしか見たこと無いけど)、これも同じ位有名なもの。こうやってサクッと見られて、しかも写真を撮れるのも良い環境ですね。茶碗の善し悪しに関して私が語れるものではないので言及を避けますが、朝鮮の井戸茶碗のトップ評価な物を目で見られたのは良い経験になりました。

この他にも松永氏のコレクションは多岐に渡り、美濃焼の志野香合、備前焼の水先、利休の高弟の蒲生氏郷(がもううじさと)の茶杓、唐の砂張の建水など。どれも素晴らしいものばかり。

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千利休の書状 左下に”宗易”の名前がわかりますね。字が結構下手??・・・・なんて、極めて字が下手な私が言えることではありませんが。

松永さんの展示を抜けて茶道具はこれだけかな?と思いきや、”陶磁”というコーナーにもありました。

公式サイト:”陶磁” 13室  2012年12月18日(火) ~ 2013年3月3日(日)

”陶磁”のコーナーでは、樂焼初代の長次郎、二代常慶、三代道入(ノンカウ)などの樂茶碗など見られました。初代長次郎は利休に直接指導されただけあってシンプルですね。

さすがは東京国立博物館だけあって、貴重なものばかりでした。さて、次の美術館へ移動。

 

(2)三井記念美術館

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三井記念美術館@日本橋 : 毎日通勤で前を通っているにもかかわらず始めて行きました。
今回の展示会のチラシを記念に貼っておこうかと(すぐなくなっちゃうし)

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茶道具と円山派の絵画
2012年12月8日~2013年1月26日

公式サイト:http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/index.html
*このURLは次の展示会になると変わってしまいます。変わってしまっていたら、本展示会のチラシ(PDF)目録(PDF) をご覧ください。

というわけで、三井家所有の素晴らしい茶道具を拝見してきました。

やはり注目は、和陶器で2つしかない国宝の1つ:志野茶碗 銘 卯花墻(うのはながき)ですかね。和の陶器なんて国宝は乱発していると思いきや、実は2つだけ。その一つを見ることができました。また、織田有楽斎の竹茶杓 歌銘富士が極めてシャープで`かいさき`の形も含め格好良かったです。織田有楽斎の作品や所有物はなにやら彼のセンスフルな人生を想像させます。

また「夜咄の茶事」(夜の茶事)を三井家のお宝茶道具で揃えたら・・・というコーナーは圧巻でした。全くもって”侘び”を感じることなく、豪華な道具たちでさすがは三井家とうならされるものばかり。素敵でした。この展示会は極めてオススメです。日本橋の三越あたりにお越しの際には是非お寄りくだされ。素敵です。

 

(3)根津美術館

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根津美術館入り口。こちらも超久しぶり。昔この近くに住んでいたので、何度か来たことがありましたが最近はめっきりでした。

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いい雰囲気ですな。

根津美術館にも少し茶道具の所蔵があります。その一部の提示がありました(小さい一部屋だけですが)

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(写真が雑すぎる・・・・)

展示室6:寿ぎの茶会 (平成25年の歌会始の御題「立」にちなむ作品もふくめ、新年を寿ぐ茶会の道具をご覧いただきます。)

公式サイト:http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/collection.html

根津美術館の”陶磁”にかんするコレクション(今回全部提示されているわけではない)は、
http://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/list.php?category=5

その後NEZU カフェでまったり一休みして次の五島美術館へ

 

(4)五島美術館

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五島美術館 時代の美 第3部 桃山・江戸編 2013年1月5日~2月17日

公式サイト:http://www.gotoh-museum.or.jp/exhibition/open.html

武将や茶人の息遣いを伝える手紙。用と美を兼ね備えた茶の湯のやきもの。斬新な意匠が今も人々の目を楽しませる琳派絵画。江戸の洒脱をしのばせる俳人自筆の稿本。桃山の茶道と江戸の文芸の世界を伝える作品を中心に展示します。

先日、第二部を見に五島美術館を訪れましたが、やはり茶の湯の時代からは少し前の時代で茶道具の展示はありませんでした。今回は正に大成した桃山時代。これは楽しみにしていました。

尾形光琳・尾形乾山の屏風
本阿弥光悦の色紙帖
千利休・古田織部・明智光秀・織田信長・豊臣秀吉・古渓宗陳などの直筆の書状
樂長次郎の赤樂・赤樂茶碗
常慶の黒樂
のんこうの黒樂
本阿弥光悦の黒樂・赤樂
桃山時代の美濃焼(黄瀬戸・瀬戸黒・志野・鼠志野・黒織部)
他にも陶器として、唐津・古備前・古伊賀・信楽なども。

非常に素晴らしいラインナップでした。これがもともと個人像だったと考えると五島慶太氏恐るべし。五島氏とは地元が一緒なんだけども。

五島美術館を出た頃にはさすがに回りも暗くなってきました(4つも回ったので)。その後、この直ぐ近くに住んでいる地元の友達の家で鍋を頂きました。お子様二人が超成長していてびっくり。奥様の手料理も超おいしく。

 

<+α>しぶや黒田陶苑

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渋谷にある”しぶや黒田陶苑”さんからDMを頂きまして、足を運びました。

【初夢初碗展】開催期間 : 2013年1月11日(金)~15日(火)

 

”新年最初の展示会に華々しく作家二十数名の気持ちのこもった茶碗を発表させて戴きます。唐津、志野、備前など、当苑にて推薦させて戴いた現代作家新作の数々をじっくりと、ご覧戴けましたら幸いでございます。”

ちょうど新年の抹茶茶碗展をやっていました。上の四つの美術館で見てきたような桃山時代の物とは異なり現代の作家達の作品を見るのもとても勉強になりました。化学的にも、技術的にも、人類的には作芸に関してはスキルが上がっているはずの現代で敢えて伝統的な古美術を目指すのか、それとも独自性を出すのか。それぞれの作家さんが個性があって興味深かったです。また”ど”素人の私に丁寧に解説して下さり現代作家さんたちに関して少し理解が進みました。

*************

さて、家に戻り部屋で稽古。

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京菓匠 鶴屋吉信 季節の主菓子「梅が香」

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京菓匠 鶴屋吉信 季節の主菓子「福梅」

先日、京都に行ってきたときに(参考:”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(一日目))本店も行ってきた京菓匠 鶴屋吉信。銀座三越にも入っているので季節の主菓子を買ってきました。やはり見た目も美しく美味しいですね。

今回、四つ茶道具に関わる美術館を回ってきて、国宝・重要文化財級の作品を見てきました。ハッキリ言って全然よく分かりませんが(笑)、それでもいろいろ書籍などの情報なども含め、”どこ焼か?”位はわかるようになってきました。この次の日に、”美濃焼”を訪ねに岐阜の多治見に行ってきたのですが(また後日ブログで紹介予定)、その予習にもなりました。私の先生の茶道具が出てきた時に何焼か?くらい分かるように早くなりたいものです。

初釜と新しい着物と

茶の湯を始めて初の年越し。先生より初釜のお誘いがありました。そこで先生のご自宅での初釜にお友達と赴きました。私とお友達の他に別の曜日に稽古を受けておられる三人の計五人で。ご自宅でということで、洋服でも良いとのことでしたが、せっかく仕立てて貰った着物が先月末に上がってきていたので、その着物(着流し)と羽織で伺いました。年末・年始になかなか新しい着物を試す機会がなく、当日朝からバタバタ。やはり自分で着付けるにも洗面台以外に大きな鏡が欲しいです(これ以上狭くなるので当分無理ですが)

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そういえば、自分の新着物姿の写真を撮るのを忘れました。目的地近くの駅のトイレで(iPhoneで)撮った一枚だけ。帯の位置が高すぎると先生に直され(笑)。

さて、初釜は露地での’つくばい’など茶事の客の所作などもちゃんとやってみようとのことで、いろいろ初体験することができました。実に面白買ったです。菱葩餅をお茶菓子で頂き、濃茶、懐石、そして薄茶と頂きました。初めて先生のお点前(濃茶)を拝見しました(普段のお稽古時にお点前を見せてくれることはない)。やはり綺麗でした。普段の稽古中、私の所作を一つ一つ指導頂いていますが、実際に先生のお点前を見れば、それが連続動作で納得する箇所も多かったです。床はもちろん、皆具の茶道具やお茶碗、吹雪の薄茶器など素敵なお道具でうっとりでした。京都の旅行や、茶道具店通い、陶器の展示会、陶器の書籍をこの数ヶ月読んでいたからか、茶道具に関しては、いつのまにか”その種類”くらいはわかるようになっていました(ふふふ)。私はもちろん点前をしませんでしたが、非常に興味深い、楽しい初釜となりました。いずれ点前座に座れるようにがんばろうかと。

*****

さて、家に帰っての自宅のお稽古。

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お土産で頂いた”菱葩餅”。

ゴボウの良い香りもあり美味しい主菓子ですね。初釜で頂く機会が多いのでしょうね。
今週の家稽古でのお抹茶は、一保道茶舗の”丹頂の昔”。なかなか美味しいです。

家稽古も、遅くに帰宅してからなのであまり時間がありません(夜更かしすると次の日の朝トレに響く・・)。とはいえ、先生のお点前を拝見する限り、短い間でも集中してやらんといけないなと自認しました。

*****

さて、新春に向けて、去年の年末に茶道具を2つ購入しました。

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一つは今年の干支にちなんだ巳の蓋置き。安い物ですが、なかなか良い感じです。お気に入り。

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扇子の平棗

正月らしくて良い感じの平棗。プラスチック製ですが、平棗は持ちにくくお点前の練習にもなり良かったかなと。どちらも1000円台の安物ですが、こうやって季節に合わせた道具も楽しみの一つですね。その前にもっとお点前だろうという声が聞こえてきそうですが・・・・・。

 

”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(二日目)

“茶の起源”を巡りに京都を訪ねた旅の二日目。

参考(一日目の記事):”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(一日目)

 

一日目は、主に利休に焦点を当てた京巡りでした。二日目は利休よりも前の時代のまさにお茶の起源を辿りました。

京都駅前のビジネスホテルでバイキング形式の朝食を速攻で食べて7:30頃にはチェックアウト。高山寺(こうざんじ)に向かいます。高山寺は京都市内のバス・地下鉄共通のワンデープリペイドカードが使えずJRバス(高雄・京北線=距離に応じて値段があがる)のでコースをよくご検討ください。遠かったです(自転車があれば・・)

(写真は全てクリックすると拡大します)

 

◆其之八:高山寺 (こうざんじ)

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高山寺最寄りの栂ノ尾バス停で下りたところにある案内図。小さくて字が読めない場合はクリックすると拡大します。

高山寺は、お茶にとても関わりのある大切なお寺。案内図にあるように裏参道と表参道があり2つの道があります。どちらも素敵です。是非行き・帰りで両方通られるのをオススメします。(バス停から近いのは裏参道です)

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(酷い写真ですが・・)裏参道の様子。結構傾斜があります。これは紅葉シーズンに来たら大変な綺麗さでしょうね。

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本当は見た順番に沿って写真を見せながら紹介したいのですが、せっかくの看板なので掲載。クリックすると私の解説以上に完璧な説明がございます

お茶は、遣唐使時代に既に(現在の)中国から日本には渡っておりましたが、遣唐使終了後一度途絶えてしまったようです。再度、お茶を日本に持ってきたのは、臨済宗の開祖”栄西”さん。中国から日本に”禅”と共に茶の種を持ち帰りました。栄西さんは帰国後、(後述する)建仁寺を建立(開山)しますが、その茶の種は、この高山寺の明恵上人(高山寺を再建し、最後まで修行したことで有名)に渡され、ここに日本初の茶園(茶畑)が作られました。そういう意味では、日本の茶の起源はこの高山寺であり、今回の旅の趣旨としては必ず訪れたかったお寺です。

参考 高山寺公式サイト:http://www.kosanji.com/
参考 高山寺Wiki : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%AF%BA
(高山寺はとても凄い寺なので上記のWikiは是非お読みくだされ。貴重な文化財だらけのお寺です)

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日本最古之茶園の石碑。この石碑を見たくて今回の旅を計画したのでした。この傾きっぷり(この石碑自体は作られたのは最近で昭和四十六年)が良い感じ。

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もちろん今でも最古の茶園は存在しており、今でも抹茶を作っています。茶が伝わった後に日本中で茶の需要が発生し、この茶園だけでは生産量が追いつかず、宇治に茶園が移ったとのこと。とはいえ、この高山寺の茶は特別な扱いだったらしく、高山寺のある地名”栂尾(とがのお)”をとって栂尾茶として別格であったとのこと。その為、”本茶”と言えば栂尾茶を差したようです。闘茶(とうちゃ)という、遊びが流行し、”本茶”かそれ以外かを飲み分けるのが流行ったそうです。

この檻の先に茶園が広がっていましたが、それほど大きくない印象でした。おそらく上層の方達が飲む程度に生産量が少なかったのではないでしょうか。

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栂尾山高山寺 石水院

さて高山寺は、最古の茶園よりも有名なものがあります。国宝で世界遺産の 石水院。ここは大変素晴らしかったです。

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石水院の内部。上部の”日出光照高山之寺”は、後鳥羽上皇から明恵さんに渡された”現物”で非常に貴重なものです。この”高山の寺”から高山寺になったとのこと。

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石水院の縁側。庭園と山側の風景は一見の価値あり。その素晴らしさの為敢えて写真は掲載せず。是非足をお運びくだされ。

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高山寺 紙本墨画鳥獣人物戯画(国宝)

高山寺といえば、この鳥獣戯画が有名かもしれません。前日の祇園での京料理(おばんざい)の湯飲みがまさに高山寺とこの戯画の物でした。高山寺所有ですが、石水院に飾ってあるのは複製で、本物は東京国立博物館、京都国立博物館に保管されています。高山寺は、国宝が八個、重要文化財も多数存在しています。

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石水院内に座敷があり薄茶と干菓子を頂きました。もちろん、この最古の茶園で採れた本茶(栂尾茶)であると信じています(宇治茶だったら嫌だなぁ・・)。
部屋には炉が切ってありますね。あれ?風炉先が、

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先ほどの鳥獣戯画の風炉先でした。素敵ですね。当たり前ですが京間ですので、自宅で見慣れた大きさです。やはり三尺くらい高さがある風炉先は良いですね・・・(欲しい・・)

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高山寺 金堂(こんどう)

さて、石水院を出て、更に山側には、最古の茶園ということで明恵上人の七百回忌(昭和六年)に合わせて「遺香庵」という茶室(昭和時代なので茶室と表現)があります。しかしここは見学すらできませんでした。更に山の上の方に歩いて行きますと”本堂”があります。釈迦如来を本尊としているようです。

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高山寺の表参道・裏参道や、この金堂に向かう石道は非常に綺麗なので散歩するにも良い感じです。紅葉シーズンは大変綺麗かと思いますが、混むのでしょうね。

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十二月末でしたのでもちろん紅葉(楓)は枝になく、落ち葉がわびしく。

さて、高山寺からまたJRバスで京都市中心方面に向かいます。高山寺は北西の山側に離れているのでコースに入れてしまうとかなり時間を費やします。しかし日本のお茶の起源。そして数ある国宝と庭園は見るべき価値があると思いました。足を運ぶことができて大満足です。

 

 

◆其之八:本能寺

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本能寺 本堂 (中に自由に入れます)

参考 本能寺Wiki : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA

京都市役所の近くにある本能寺にやってきました。本能寺はお茶に関してとても重要なお寺。本能寺と言えば信長が明智光秀の謀反にあったお寺で有名です。高校の歴史教科書で有名な山川出版の”もういちど読む山川日本史”が手元にありますので、その本能寺の変の記述を引用してみます。

信長は1582(天正10)年に武田氏をほろぼしたあと、さらに中国地方の毛利氏を攻撃するため安土を出発したが、京都の本能寺に宿泊中、家臣の明智光秀に攻められて敗死した(本能寺の変)
引用;もういちど読む山川日本史p142より

誰もが知っている歴史事変だとは思いますが、信長が”本能寺”に何しに来たか?はあまり知られていません。もちろん上記引用の通り、毛利氏を責めるために西側に移動したというのはありますが、実際には秀吉が毛利を責めていましたし、天下目前の信長は既に最前線で戦う状況でもなかったようです。それではなぜ、天下人目前の信長が防御も弱く、籠城も難しい本能寺に来たのか?

“信長所有の天下の茶道具三十八品を安土から本能寺に持ってきて、茶会を開く予定であった”

このあたりは真偽・通説などで今でも研究している様ですが、少なくとも所有の天下の茶道具を人に見せるために本能寺に来たとのことである。ある一説によると、道具を見せようと考えていたのは家康だったという説もあるとのこと。真偽・解釈はいろいろあるとはいえ、天下目前の信長が、その状況でも催そうとした”茶会”。いわゆる、町のチーマー男が女性にナンパで声を掛ける”お茶でもどう?”っていう気軽な”茶”では全くなく、如何に”茶会”が格式高いもので、重要なイベントであるかと十分に想像を巡らせることができます。茶道と言えば、所作が細かくて、正座が痛くてみたいな薄っぺらいイメージが一部にありますが(少なくとも少し前の私も雑にはそんな印象を持っていた)、茶とは、茶会とは天下人も戦争中の忙しさでも、刀を置いて催した重要な格式のある行事であったことが分かりますね。茶室の中では、どんなに抗争中であっても刀を置いて入ったと言われています(毒の云々あったようですが)。歴史は、勝者が都合良く書かれてきているものです。当時の”茶会”の重要さを考えると、2つの大名が戦争前に茶会で意見を交わし、双方の戦後の被害などを考えると戦争を起こすべきではない(戦争が起こらなかったので歴史書には残っていないかもしれない)と判断したような重要な茶会もあったかもしれません。そのような格式の高い茶会を、所有の天下の名器と共に、仮に家康に見せようと考えていたのなら、信長の頭には何か考えがあったのかもしれませんね。その辺りを想像するのも楽しいものです。私が茶の湯に興味を持ったのは何点かあるのですが、天下人もこぞって催した”茶会”という世界に触れてみたいというのも一点としてあります。残念なのが、その三十八個の天下の名器が全て本能寺の変で消失してしまったことです。利休よりも前の話ですから、今の千家十職の様な茶道具ではなく、高麗あたりの井戸茶碗などがあったのですかね。

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信長廟

本能寺は茶会・茶事の当時の”格”を知る上でも重要なお寺かなと思いました。

次に地下鉄東西線にのって醍醐寺を目指しました。

 

◆其之八:醍醐寺

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醍醐寺 総門 (世界遺産)

醍醐寺に到着しました。高山寺が北西の端。本能寺が京都の中央部。そして醍醐寺は京都の南東の端。かなり移動に時間が掛かってしまって駅からダッシュしました(すぐ暗くなっちゃうので)。醍醐寺もお茶(というより秀吉に)に関わりのあるお寺です。何せ素晴らしい。写真の総門をみると直ぐに”春の桜シーズンに来れば最高”というのが想像できますね。左のしだれから、総門を越えた先が一斉に桜が舞い散るのが目に浮かびます。このお寺は非常に規模が大きく、山の上まで続いています。その山の上からこの写真のあたりまでずっと桜があったそうで、それは見事な桜であったと。そうなるとその桜を背景に、綺麗な庭園を設け、茶会を開きたくなりますよね。豪華な茶道具を使って。それは秀吉が実際に行った茶会です。

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醍醐寺解説看板。クリックすると拡大。

参考 醍醐寺公式サイト:http://www.daigoji.or.jp/
参考 醍醐寺Wiki : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%8D%E9%86%90%E5%AF%BA
* 醍醐寺は日本の第一級の宝の宝庫です。その文化財・国宝の多さは特筆物で、上記のWikiなどをみても如何に希有な寺であるかがわかります。

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醍醐寺 三宝院(国宝+世界遺産) (特別名勝・特別史跡)

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醍醐寺 三宝院 唐門 (国宝)

この京都の旅で最も感動したのは、三宝院です。カメラ撮影禁止。なぜ禁止なのか理由は知りませんが、私も禁止にすべきだと思います。あの素晴らしい庭園は写真でみてもしょうがないからです。本当に素晴らしい。桜が舞うあの庭園での茶会が如何に豪華であったか容易に想像がつきます。利休の”わび茶”とは違う趣向かもしれませんが、こういった豪華な茶会も素敵な気がします。現在は一年に一回、三千家が順番に口切り茶事に三宝院を使っている様です。2012年は表千家だったみたいですよ。二百人規模で行われたらしく、もちろん不審庵の家元主催ですが、そんな素敵な茶事でもスーツの方もいらしたとのこと。参加したいなー、一生できないだろうなーなどと考えつつ(笑)。三宝院には売店があり、秀吉の茶事にちなんで”太閤抹茶”という金粉入りの抹茶が売っています。このブログの別記事で書いたように、金粉はめでたいのですがあまり美味しくありませんでした(個人的な意見ですが)

醍醐寺には、秀吉が使った”黄金の茶碗”=「金天目・金天目台」が保管されています。これは春の桜の季節に一般公開されるようなので、”大混雑が予想されますが”、その時期に来てみようと思います。

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醍醐寺 金堂(国宝)

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醍醐寺 五重塔(国宝)
平安時代936年に建立。最古の五重塔とのこと。

醍醐寺は、高山寺の京都中心部を挟んで真逆で遠かったですが、足を運んで本当に良かったです。お茶以外の観点ではかなりスルーしてしまったけど、歴史的にも文化財的にもとても大きなお寺で、もう一度ゆっくり見に来たいと思います。三宝院は茶の湯を嗜む人なら必見ですね。

さて、地下鉄東西線で京都市中央側に戻り、バスも併用して高台寺方面に向かいます。

 

 ◆其之八之一:高台寺圓徳院(えんとくいん)

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高台寺 圓徳院

高台寺圓徳院公式サイト:http://www.kodaiji.com/entoku-in/idx.shtml

秀吉の妻”ねね”さんの最後に過ごした場所です。(没後、圓徳院というお寺になった)

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(クリックすると拡大)

圓徳院の説明は上の看板に譲ります(手抜き)。茶人、秀吉の妻ですから、全国から蒼々たる茶人がこの地に訪れたようですね。

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圓徳院 北書院から庭園を望む。

庭園が非常に綺麗でした。まぁ秀吉の妻”ねね”さんの庭ですから当たり前か。この書院で薄茶を頂けます。もちろん頂きました。この旅で何服目かわかりませんが、何度頂いても美味しいですね。非常に落ち着くお庭ですので、高台寺を訪れた際(近場でいうと清水寺を訪れた際?)は是非ここで薄茶を。この書院は大間でしたが、小間の茶室でも薄茶を頂けるようです

さて、圓徳院を出て高台寺(本体)に向かいます。

 

 

◆其之八之二:高台寺

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高台寺:秀吉の妻”ねね”が秀吉の死を弔うために建立したお寺。

公式サイト:http://www.kodaiji.com
高台寺 Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%B0%E5%AF%BA

お茶を訪ねる旅なので、どうしても秀吉ゆかりの場所・自院が多くなりますね。当時は別の場所の床だけとか、部屋だけとか、建物だけとか、移築とか普通にやっていたようなので、この高山寺にも茶に関わるものがありました。

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高台寺内 茶室:遺芳庵

江戸時代前期の京都の豪商”灰屋紹益”の夫人が作った茶室。京都の別の場所(紹益邸)から持ってきたなんと”一畳台目”の小間の茶室。かわいい建物です。この位の規模なら私の様なおよそ金持ちになるとは思えない仕事と生き方をしている人間でも将来建てることはできるかな?と勇気を持たしてくれる茶室(笑)。中は覗けませんでした。他の観光客はほぼ全員素通り。茶の湯に興味なければ、茶室に興味が沸かないですよね。

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方丈前庭の龍。(工事中)

方丈の前には前庭があり、龍が。しかしライトアップが終わって片付け工事中でした。

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高台寺:開山堂(左)、霊屋(おたまや:中奥)、庭園(点前)、臥龍池(右奥の池)

秀吉の弔いの寺ですから庭園などは綺麗です。ねねに頼まれて家康が号令を掛けて作らせたお寺の様ですから、権力もありますし豪華です。霊屋の方へ歩いて上って行きます。

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高台寺 霊屋(おたまや)

ねねさんは、この下2mに実際に死後埋葬されています。解説のおばさまのプレゼンテーションが素敵でした。

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高台寺 茶室:傘亭(安閑窟)(重要文化財)

利休”好み”の茶室と言われ、伏見城から移築したもの。利休作であるか定かではない模様。そもそも川辺(海辺?)の近くにあったらしく、秀吉は船で乗り付けて入り込んだとのこと。なぜ傘亭と言うのか?

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高台寺 茶室:傘亭(安閑窟)の内部

そうです、天井の内側が傘のようになっているから傘亭です。奥の扉は船からあがって秀吉がさっと茶室に入れるように工夫されているそうです。七畳の広めの茶室。いわゆる水屋は典型的な形ではなく、炉も畳には切っていない。解説員が説明していたように、秀吉が船で遊んで帰ってきた時に一服というような、アウトドアな茶室だったのかな。いろいろな茶室があって面白いですね。

この傘亭に隣接して(土間廊下で繋がって)、時雨亭があります。

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(酷い写真だけど)高台寺 茶室:時雨亭(しぐれてい)

二階建ての茶室で、ねねさんが二階から京都の町を見下ろしていたとか。この2つの茶室は、”茶室”として残っているのですが、どうも”茶の湯”を感じる茶室ではなく、あくまで茶も飲める建物という印象。

この2つの茶室に関して高台寺の公式解説動画がありました。興味がありましたら。

参考:高台寺傘亭+時雨亭解説動画

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高台寺 竹林

綺麗な竹林の間を抜けて高台寺を後にし、今回の旅の最後のお寺”建仁寺”へ徒歩(早歩き)で向かいました。

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京都らしい道を通りつつ。時間もそろそろ日暮れに近づきつつ。しかも、この日は忘年会が東京で入っていたのであんまり遅くまで京都には居られず。

 

 

◆其之十:建仁寺

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建仁寺 本坊

参考:建仁寺公式サイト:http://www.kenninji.jp/
参考:建仁寺Wiki : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E4%BB%81%E5%AF%BA

建仁寺に到着。高台寺から遠くありません。この本坊という建物の中(というより奥庭に)に茶室があるのですが、まずは入らずに建仁寺内の目的の物を見に。

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栄西禅師 ”茶碑”

この記事の一番最初の”高山寺”の部分で、日本に茶の種を最初に持ち帰ったのは、臨済宗の開祖”栄西さん”と紹介しました。栄西さんは、中国から帰国後この建仁寺を開山しました。茶の種は、明恵上人に委ねて高山寺に茶園を作ったのですが、やはり茶の種を持ち帰ってきたのは栄西さん。そこで、この建仁寺の一角に”茶碑”があります。

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”茶碑”の横にある解説。クリックすると拡大。

ここで興味深いことがかいてあります。引用すると、

”茶は養生の仙薬なり”
”茶は延齢の妙術なり”
「喫茶養生記」より

厳しい修行の”禅”において、茶を中国から持たされたのは、修行僧が茶を飲むことで少しでも滋養になるようにと。おそらく中国で既に茶の効用が周知されていたのでしょうね。現代の最近の研究でも抹茶は体に良いことなどが分かってきていますし、不思議な飲みものですね。栄西さんは上記の通り、妙術な薬と表現しています。

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建仁寺 法堂

さて法堂を横目に上述の本坊に入ります。本坊には、国宝の風神雷神図などがあります。素晴らしかったです。更に奥の庭に茶室がありました。

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数寄屋(茶室):建仁寺 東陽坊 (クリックすると拡大)

この解説の通り、利休高弟の一人”東陽坊長盛”が、北野天満宮(京都の旅一日目の記事を参照)で行われた北野大茶会で用意された数寄屋とのこと。やはり移築してきたのでしょうね。二畳台目の小間で、水屋もしっかりあるようで(水屋は見えなかった)、まさに利休の流れをくむ茶の湯を感じる数寄屋でした。

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建仁寺 数寄屋(茶室):東陽坊

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建仁寺 数寄屋(茶室):東陽坊の内部。

炉が切ってありますね。まさに教科書通りというか落ち着いた二畳台目の数寄屋でした。素敵でした。こういう数寄屋を将来建てたいなぁと思います。
そういえば、樂焼初代の”長次郎”の作品で”東陽坊”という黒樂茶碗がありますよね。茶碗の東陽坊は、この数寄屋の(利休の弟子の)東陽坊が所有していた樂茶碗とのことです。

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酷い写真ですが東陽坊の裏側に”東陽坊”の解説がありました。とても読むのが困難なのでクリックして拡大していただければと思います。

 

 

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鴨川

さて、建仁寺を後に京都駅に向かいました。今回の”茶”・”茶の湯”を訪ねる京都の旅で見たかったものは全て回ることができました。茶の種を持ち帰った栄西さんの茶碑@建仁寺、その茶の種で作った最古の茶園@高山寺。そして茶会を”格の高い行事”として楽しんでいた天下人”信長”と”秀吉”。その二人に茶頭として仕え、今私が稽古をうけている表千家を含む三千家の開祖でわび茶を大成させた利休に関わる寺院、塔頭などを回ることができました。少々二日間では大急ぎのスケジュールで少し詰め込みすぎましたが、非常に参考になり、そして興味深く触れることができました。茶の湯を学び始めたばかりですが、何か遠かった”茶”が少し身近に感じることができました。またお稽古に身が入ると思います。醍醐寺など、もっとゆっくり見たいところもありますし、宇治や妙喜庵の待庵など見ていない場所もありますので、また京都を赴こうと思います。良い旅になりました。

 

2013/3/9 追記:再び京都に行ってきました。その記事を書きました。第二回:続”茶の湯”を辿りに京都へ赴く(一日目)

 

◆参考文献(*各書籍はアマゾンジャパンにリンクが貼られていますが、アフィリエートなどもちろんやっておりません)
[1]  “よくわかる茶道の歴史“, 谷端昭夫
[2] “図説 茶室の歴史―基礎がわかるQ&A“, 中村昌生
[3] “定本 茶の湯表千家“,  千宗左
[4] “利休にたずねよ“, 山本兼一
[5] “千家十職 十三代黒田正玄と竹の茶道具“,  十三代 黒田 正玄
[6] “ちゃわんや: 二人の息子と若き人々へ”, 樂吉左衞門
[7] “もういちど読む山川日本史“, 山川出版社
[8] “千利休 四百年”, 毎日グラフ別冊
[9] “茶経(全訳注)“, 布目 潮フウ

”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(一日目)

茶の湯を始めたばかりですが、最近は暇があればいろいろ茶・茶の湯のことを調べています。お茶の歴史もそうですが、茶道具やお茶に関わる歴史上の人物も。そうなるとやはりその起源は京都。そこで京都に”茶”を訪ねて行って参りました。朝七時前に東京駅発の新幹線のぞみで京都へ。九時に京都に着いているのですから便利ですね。たった2時間少しで京都に着けるのですから、リニアモーターカーなんぞ要らないでしょう。雨が心配でしたが路面が濡れている程度で一日何とかもちました。

(全ての写真はクリックすると拡大)

 

 

◆其之一:表千家不審庵

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表千家不審庵 正門

公式サイト:http://www.omotesenke.com/

まずは、やはり不審庵に行かねばなりません。私は表千家のお稽古をしておりますので、その総本山がこの不審庵です。実際にはこの中にある不審庵という茶室があるのですが、今は建物群全体を指すことも多いようです。千家の初祖は、言うまでも無く千利休(1522-91)。織田信長、豊臣秀吉に茶頭として仕え、”わび茶”を大成した人物です。その利休の道統を伝える本家として、現在十四代而妙斎家元に受け継がれています。

「不審花開今日春」(ふしんはなひらくこんにちのはる)

不審とは、”いぶかしい”という意味らしく、この茶室の心を示しています。不審庵には、私のような者が入ることも、見ることもできません(あたりまえ)とりあえず、写真のような外観だけですが足を運べて良かったです。ちなみに隣には、裏千家の今日庵もあります。

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不審庵表門の脇に”千利休居士遺蹟不審庵”の石碑がありました。

不審庵の左側に裏口の様な入り口があったのですが、そこに2つの真っ赤なバケツがありました。朝早かったので何か掃除にでも使っていたのかもしれません。現代的なバケツですが、そこの2つの置き方が実に美しくさすがという感じでした。私が覗いてそのバケツを見ると想定してとは思えないので、どんな物の置き方でも気を遣っているのでしょうね。

さて、不審庵の回りには、多くの茶道具商、京菓子司がありました。

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清昌堂やました

やましたさんに寄って、いろいろお話をお聞きしました。このやましたさんもそうですが、京都の茶道具商は凄いですね。高価な茶道具ばかりでとても手が出せないものばかりでした。もちろんそれだけ良い茶道具を多く扱っていました。とはいえ、せっかく京都まで来たので、

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袋師友湖(土田友湖:つちだゆうこ)紫帛紗

千家十職の袋師、土田友湖さんの帛紗をがんばって買ってきました。おそらく十職さんの茶道具で私が手が出せるのはこの紫帛紗くらいかな。素敵な手触りで、普段お稽古で使っている帛紗よりも厚くてふっくらしています。普段の稽古の際には抹茶が少しずつ付いてしまうので普段使いは避けて・・・・・、棗、茶杓のお清めと帛紗さばきの連中などに使用し、茶会の時で使える日が来れば良いなと。

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さっそく、京菓子司”俵屋吉富”さん発見。干菓子を買いました。右の入り口から入る”茶ろん たわらや”で、俵屋の生菓子と抹茶(薄茶)を頂きました。
今回の旅で、京菓子司、茶舗、茶道具店は本当に沢山あり見かけては覗いてみました。

不審庵の近くに、表千家会館がありました。会館の一階には、展示室があり千家十職の内、樂家の茶碗を始め6家(?)くらいの茶道具が飾ってありました。どれも美しいものばかり(撮影禁止)。会館では表千家監修(不審庵文庫編)の”茶の湯こころと美”の書籍を購入。同名サイトの書籍化とのこと。

 

 

◆其之二:樂焼家元、樂美術館

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樂焼家元 樂吉左衛門宅

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樂美術館 入り口札

利休が瓦屋の長次郎に作らせた茶の湯の為の抹茶茶碗が”樂焼(楽焼)”です。その樂家家元の自宅と隣に併設されている樂美術館に行ってきました。不審庵から徒歩で少し歩いたところ。

樂美術館公式サイト:http://www.raku-yaki.or.jp/museum/index.html

ちょうど12/24まで展示会「秋期特別展 肌をめでる。樂茶碗の陶肌 大西釜の鉄肌 一閑・宋哲の漆肌」のをやっており、長次郎から始まる樂焼代々の素晴らしい作品の他に、飛来一閑一閑張の作品達、中村宋哲の棗、大西清右衛門の釜など、千家十職の数々の作品を展示しており、美しく技巧的な作品に感動しました。本当に素晴らしいものばかりで、私のような知識の乏しい者でもその美しさにうっとりでした。一閑張の紙でつくったお茶碗や棗などすごい技術で、現代のエンジニアの視点でみてもこれは凄いなと。東京の五島美術館などでたまに展示される樂茶碗を見るよりも、やはり樂美術館に来るのが最も作品も多く手っ取り早いですね。とても購入出来る金額(余裕で茶碗一個で数百万円越え)ではありませんが、良い茶道具を見ておくのは悪くないかなと。

美術館受付で現”樂吉左衛門”さんが書いた「ちゃわんや 二人の息子と若き人々へ」の書籍を購入。樂家という名家に生まれたからにはその家系・技術を受け継いでいかなければなりません。現、吉左衛門さんがその襲名以前から現代に至るまで、そしてお二人のご子息に向けたメッセージ本とも言える書籍でまだ全部読んでおりませんが、とても興味深い内容です。作品も多く見られますし樂家を継ぐという葛藤なども読み取れます。次代は私と同じ世代の方なので、他の十職家と共にこれからも続いていくと良いですね。

さて、市バス・地下鉄など乗り放題のカードを買って置いたので、さっとバスに乗って北上し大徳寺を目指しました。

 

 

 

 

 

◆其之三:龍寶山 大徳寺

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(クリックすると拡大)

大徳寺公式サイト:http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/
大徳寺Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%BE%B3%E5%AF%BA

写真が酷いのですが、大徳寺は、数多くの塔頭(たっちゅう)=”院”からなっており、また多くの山門で囲まれています。臨済宗大徳寺派の総本山のお寺ですが、お茶と非常に関わりの多いお寺。ウチの実家は真言宗なので、そもそも禅宗でもなく、しかも天才肌でエンジニア気質の空海、密教の考え方は好きですが、お茶と関わりが強いのは禅宗。とくに利休とは切っても切れない関係の寺です。秀吉が立腹して利休に切腹を迫ったのもこの大徳寺の山門に利休像(現在は裏千家が所有?)が置かれ、その下を秀吉がくぐらなければいけないのを不満に思ったからと言われていますね。大徳寺の各門は重要文化財に指定され、唐門に関しては国宝となっています。茶に関わりのある塔頭(院)に向かいました(しかも走って)

 

◆其之三之一:大徳寺 聚光院

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大徳寺聚光院 山門(拝観謝絶)

聚光院Wikipedia :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%9A%E5%85%89%E9%99%A2

利休が開祖の笑嶺和尚に参禅したことから、この聚光院には、利休の墓をはじめ、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の歴代の墓所となっています。拝観謝絶で私の様な無関係の物は中に入れません。先日、お亡くなりになられた久田宗匠もこちらでご葬儀があったようです。

 

◆其之三之二:大徳寺 三玄院

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大徳寺三玄院 山門(拝観謝絶)

石田三成らが建立した三玄院ですが、こちらも拝観謝絶。沢庵さんをはじめ、利休七哲の一人、「織部好み」の古田織部もここで参禅しています。また「織部好み」の茶室も中にあるようです。このように大徳寺には茶に関係する塔頭(院)が数多くあるのですが、なかなか拝観できません。

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大徳寺内は松などが植えられ非常に綺麗でした。大きなお寺ですので、ここは市民のショートカット路らしく、この道も自転車がどんどん走っていました。

 

◆其之三之三:大徳寺 総見院

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大徳寺総見院 山門(拝観謝絶)

総見院Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E8%A6%8B%E9%99%A2_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)

これまた拝観謝絶。拝観謝絶の塔頭の山門写真を載せても意味がないのですが、一応”茶”に関わるものを赴くというのが今回の旅の趣旨なので掲載。この総見院も”茶”にとって非常に重要な塔頭です。本能寺の変で織田信長が突然倒れた訳ですが、その後の天下人に上がろうとする後継の覇権争いは熾烈であったとのこと。その時に、秀吉が利休などの助言などを踏まえて、盛大に執り行い、そしてこの総見院もその為に建立した塔頭とのこと。つまり信長のお墓(の一つ)がここにあります。利休は、もともと信長の茶頭でしたから、茶とは深く関わりがあります。二日目に本能寺に赴きましたので、そこで少し書きます。また開祖になる蒲庵古渓は利休と親交が深かったとのこと。総見院はたまに一般公開されるようですね。

 

◆其之三之四:大徳寺 高桐院

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大徳寺 高桐院 Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A1%90%E9%99%A2

JR東海の1996年のCMにもなった有名な大徳寺の高桐院。庭が極めて美しいです。この時期も素敵でしたが、下の参考動画にあるように紅葉が実に美しい院の様です。激混みが予想されますがやはり秋に来てみたいですね。

参考:JR東海1996年10月 CM ”そうだ京都に行こう – 高桐院” @ Youtube

さて、紅葉で有名ですが高桐院はお茶に極めて関わりのある塔頭です。開祖は利休七哲の一人の細川忠興。妻は、明智光秀の娘の細川ガラシャが有名で、忠興とともにガラシャのお墓も高桐院にあります。

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これを読むと利休との関わりがよく分かりますね。また小説「利休にたずねよ」でも利休と忠興との遺品のやりとりの場面は面白いですよね。

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蹲踞(つくばい)

高桐院の奥の綺麗な露地には蹲踞ももちろんありました。今の京都がどれほど水が綺麗かわかりませんが、水の綺麗な地域であればこういった蹲踞は非常に趣があって良いですね。

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関守石(せきもりいし)

露地でこれ以上先は行ってくれるなという意味の関守石もちゃんとありました。

さて、庭を一回りして屋中へ。

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大徳寺高桐院「意北軒」 慶長七年(1602) 利休邸より移築

炉が切ってありますので数寄屋(茶室という言葉は江戸時代以降というのを最近知り、この部屋の時代を考え茶室ではなく数寄屋と表現)かな?と思いましたが、書院とのこと。この部屋は利休の邸宅より移築したものらしく、利休が使っていた書院かもしれませんね。移築後、高桐院開祖の玉甫和尚が書院として使っていたそうです。凄く力を感じる部屋ですよね。

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大徳寺高桐院 数寄屋「松向軒」
寛永五年(1628)建立 細川忠興 六十六歳の作

さて、奥に行きますと水屋があり、その隣に細川忠興の数寄屋がありました。二畳台目。利休の茶の湯を中実に継承したと言われる忠興の数寄屋ですからとても興味深く拝見しました。待庵ほどではないですが狭い数寄屋でした。そして昼間なのに暗く。

この写真の撮影ポイント(中は立ち入り禁止)の右側に水屋があり、背中には先ほどの書院「意北軒」があります。意北軒にも炉が切ってあったので、水屋の位置も含め意北軒でも茶を点てることもあったのでしょうね。

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高桐院の数寄屋を見て大満足した後に、高桐院の本堂前庭で薄茶と茶菓子を頂きました(有料)
御菓子も美味しく、素晴らしい庭を見ながら。

 

 

◆其之五:北野天満宮

非常に感銘を受けた高桐院から北野天満宮に向かいました。秀吉が日本中の茶人・数寄者を集め、一般大衆に茶の湯を見せたという”北野大茶湯”の会場です。

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北野天満宮 一の鳥居

ここにタクシーが乗り付けるのは残念ですが、北野天満宮の入り口。

参考 北野天満宮Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE

日が短くこの辺りからは基本早歩きです。やはり冬の京都はあまり回れないですね・・。

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北野天満宮 太閤井戸

秀吉が催した、日本中・世界中の数寄者・茶人を呼んでの大規模茶の湯イベント”北野大茶湯”。その時に使った井戸が今でも残っています。

参考 北野大茶湯Wiki :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A7%E8%8C%B6%E4%BC%9A

上記のWikiから秀吉の告知を引用しますが、

* 北野の森において10月1日(11月1日)より10日間、大規模な茶会を開き、秀吉が自らの名物(茶道具)を数寄執心の者に公開すること。
* 茶湯執心の者は若党、町人、百姓を問わず、釜1つ、釣瓶1つ、呑物1つ、茶道具が無い物は替わりになる物でもいいので持参して参加すること。
* 座敷は北野の森の松原に畳2畳分を設置し、服装・履物・席次などは一切問わないものとする。
* 日本は言うまでもなく、数寄心がけのある者は唐国からでも参加すること。
* 遠国からの者に配慮して10日まで開催することにしたこと。
* こうした配慮にも関わらず参加しない者は、今後茶湯を行ってはならない。
* 茶湯の心得がある者に対しては場所・出自を問わずに秀吉が目の前で茶を立てること。

秀吉が身分を越えて面白い茶を点てる人を集めたイベントの様で非常に興味深いです。また、先述の細川忠興の数寄屋”松向軒”は、この北野大茶湯で披露した部屋の様です。

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北野天満宮の茶の湯に関わるのはこの井戸がメインですがせっかくですので、国宝の拝殿などでお参り。どんどん日が落ちてきていましたのでこの辺からダッシュ。

 

 

◆其之六:聚楽第址

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聚楽第址 石碑 「此付近 大内裏及聚楽第東濠跡」

参考 聚楽第Wiki : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%9A%E6%A5%BD%E7%AC%AC

秀吉が平安京の大内裏跡に建てた邸宅「聚楽第(じゅらくだい)」の跡地。今は石碑のみ。壁は金箔で天守閣もあったとされる超突貫工事の豪華な邸宅と言われていますが八年しか存在していなかったため不明な点も多いとのこと。ちなみに、上述の”樂家”の初代長次郎は、この聚楽第の瓦を作っていた職人と言われています。

何せ石碑しかないので、写真を撮って更に移動。今度は陰陽師で変な感じで有名になった安倍晴明の晴明神社に徒歩で向かいました。もう回りは真っ暗。

 

◆其之七:千利休居士聚楽屋敷趾@晴明神社

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千利休居士聚楽屋敷趾の石碑(晴明神社内)

安倍晴明で有名な晴明神社は最近になって利休の最後の邸宅があった場所と確認されたそうです。その為にこの石碑が。つまり、利休が秀吉の嫉妬(?)により切腹をしたのもこの場所らしいです。

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晴明神社境内にある晴明井(井戸)。もう陰陽師ブームが起因か?デザインが胡散臭すぎる・・・(笑)
この井戸から利休も水を汲んでいたと考えられている様です。利休のわび茶がこの水から生まれていたと考えると興味がわきますね。

さて、さすがに回りも真っ暗で寺の拝観時間はとっくに過ぎているので、一日目はこの辺りで終了。その後祇園で京料理を頂きました。美味しかった!その後ビジネスホテルで一泊(前日に京都に行くことを決めたので、ビジネスホテルくらいしか予約できなかった・・・)

一日目は主に利休を中心とした茶に関わる場所に足を運びましたが、二日目はもっと時代を遡り、日本に茶が入ってきた頃を巡りました。二日目は次の記事にて。

2013/01/06 二日目の記事を追記”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(二日目)