東京都慰霊堂、震災いちょう、大正の関東大震災から90周年。

本日2013年9月1日は、大正時代に起こった関東大震災から90周年でした。人類が他の地球の生物に対して、何を持っているか?と言われれば`記録`です。知性も記憶もそのレベルの違いはあれどのような生物にもあるかと思うのですが、人類といえばパピルスから始まる人類の記憶を残す`記録技術`です。先輩達の残した記録は、現代人はちゃんと振り返り失敗を繰り返さないようにしなければなりません。むしろ、動物たちは、地震の前に海沿いからサーっと山に逃げるという動物的勘があると言われます。人類はその機能が失われてしまったため、むしろ個性である記録を大切にしなければなりません。

参考:関東大震災 – Wikipedia

関東大震災が9/1に起こったことは、長野県出身の私でも小学校の頃から防災・避難訓練があったため知っていました。しかし、それがどういう規模で、どの地域で、どういう状態だったのか?少なくとも教科書レベルでは大した事は書いてありません。そこで今年も両国にある`東京都慰霊堂`に行ってきました。

20130825_ireido1

20130825_ireido2

20130825_ireido3

東京都慰霊堂の由来は上記の看板をご覧ください。

公式サイト:東京都慰霊堂

つまり、この慰霊堂のあった場所は、当時大きな公園(広間)になっていて、この近所に住んでいた住民が寝具などをもって避難してきました。その時に、火災旋風(火の竜巻)が起きて一瞬でその避難してきた人を飲み込みました。そこで、一瞬にして 38000人もの人が焼死しました。かろうじて免れた方の証言などによると、火の回りはあっと言う間で、そして竜巻なので人も自転車も寝具も巻き上げられたそうです。最も被害の大きかったこの場所に、震災後身元不明の納骨も含め慰霊堂が建てられました。東京市のその他の地域の身元不明のお骨もここに収められました(結果58000人)。関東大震災後、やっと復興した東京は、今度は太平洋戦争の`東京大空襲`で失われた人達もここに納められるようになり、二つの一般市民が巻き込まれた人々が眠る東京都慰霊堂になりました。私個人的な意見では、東京に住む以上ここには一度は訪れないといけないのではと思っています。特に被害の大きかった1945年3月10日(3.11の震災の一日前と覚えれば忘れないですね)の東京大空襲では一夜にして10万人近くの一般市民の命が奪われ、一般市民向けに行った空襲では人類史上最悪の被害数の出来事です。

慰霊堂の中には、`夢`を書く札(ゆめ供養)があります。突然命を奪われた、震災・空襲の人々のかなわなかった夢に変わって、我々が夢を書くという趣旨のものです。慰霊堂に訪れた際には是非。慰霊堂の中には、映像資料などもありますので是非中へ。

20130825_ireido4

慰霊堂の裏にある納骨堂。

20130825_ireido5

”東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑”

20130825_ireido6

復興記念館

この復興記念館は慰霊堂の隣にあるのですが、無料ですので是非お運びください。ここで、関東大震災がどのくらいすごい火災であったかを学んでください。そして30万人が皇居前に避難している大型のパノラマ写真もありますので、そこの混乱を是非想像してみてください。

ちょうど昨日、NHK Megaquake III 巨大地震
http://www.nhk.or.jp/special/megaquake3/index.html

にて、この関東大震災の特集が紹介されていました。相模湾を震源として起こった関東大震災は、鎌倉、小田原などに津波等直接被害を与え、また千葉の館山などにも強い震度をおこしました。しかし距離のある東京市は地震の揺れで亡くなった人はあまりいません。95%はその時東京市に同時に起こった137箇所の火災によるものです。現在の東京よりも人口密度が高く、木像が多かった東京で、11:58というお昼時で火を使っている時間に、台風が迫っていて強い風が吹いているという条件が重なり、震災後3日間東京は燃え続けました。NHKの番組で、震災後数時間の神田周辺の動画映像が紹介されていました。写真なども含め震災後、火事は多点で起こっていましたが、人々はそれほど焦って逃げている様子はありません。つまり、一般的な火事(東京は江戸時代から火事の町)と一緒で少しずつ広がると結構楽観的に考えていた様です。しかし多点での火災で広範囲で上昇気流が発生し、そこに強い風が吹き込むと火災旋風というまさに火柱のような竜巻が発生し、あっと言う間に火が四方八方に広がったとのことです。日本橋三越前の写真も残っていますが、皆どちらに逃げて良いかわからないような写真があります。

現在の東京で同等の震災が起こったとき、木造建築は少なくなったとはいえ、やはり多点火事は免れないでしょう。阪神淡路大震災の時でも、火災旋風が起こったという証言は多々聞かれます。ビル風と、多点火災を考えると、全く起こらないとは思えません。インターネットインフラもおそらく直ぐに麻痺してどちらに逃げれば良いかなどの情報把握は困難かと思われます。

復興記念館に足を運んでいただき、関東大震災を学び少しでも個人個人で対策を考えたいものです。MTBのようなパンクしにくい自転車で長野の方まで逃げるのがよいのか。仮にビル風に煽られて火災旋風みたいなものが都内で発生すると、3.11の震災のようにみんなで歩いて帰るなんというのは危険かもしれません。

20130825_ireido7

20130825_ireido8この`震災いちょう`は皇居のまわり、気象庁近くの公園にある`いちょう`です。

解説にあるように関東大震災の時に奇跡的に火災を免れたいちょうとのことです。関東大震災の東京市全土の火災は、やはり皇居まわりのお堀、浜離宮のような水場で火災がとまり、その後、火事を食い止める堀・川・水・木を残していこうと考えたようです。是非、このいちょうも皇居ランニングなどをする際には行ってみてください。

人類が唯一できる`記録`というのを、現代人は忘れることなくちゃんと足を運んで少しでも対策はないか?少なくとも自分ならその時どうするべきかなど考える必要があるのかなと思います。

(本当は史上最悪の東京大空襲に関しても書きたかったのですがまた別記事で)