桜写真 – 2006 –

今年は桜が咲いてからスッキリ晴れる日がない.そのため,何とも写真を撮る気が起きないのだが,晴れるのを待っていたら散ってしまうので,カメラを持って出かけることにした.出かけるといっても,東工大.歩いて5分でこの桜が見られるのは本当にすばらしい.ディジタル一眼レフ,ライカレンジファインダー(小判135),ハッセルブラッド(中判120・ブローニー),トヨフィールド(大判4×5)とカメラを総動員させて撮りまくった.とりあえず,現像に時間が掛からないディジタル一眼レフによる写真を掲載.
写真をやるようになってから,桜を含め日々自然の移り変わりにドキドキしてしまう.日々変化する美しい自然を綺麗に残そうという気持ちが抑えられなくなるのだ.桜満開のこの時に,こうやってブログを書いているだけでも何とも気が落ち着かない.こういう自然の移り変わりを感じ,花鳥風月を観る習慣がついたのは写真を始めてよかった点である.

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*1: EOS-1D Mark II + EF100mm f/2.8 Macro USM, RAW (DPP2.1)
*2,3,4: EOS-1D Mark II + Sigma 15mm Fisheye f/2.8, RAW (DPP2.1)

ライカの魅力

”ライカ”という名前を聞いてどういうイメージが沸くだろうか?私の世代になると”名前は聞いたことがあるがよく分からない”という程度しかご存じない方が多いのではないだろうか.今回のエントリーでは,ライカの極簡単な説明と魅力を紹介したい.

– ライカとは?

ドイツのライカカメラ社(Leica Camera AG)のカメラである.創立者のエルンスト・ライツ(Ernst Leitz)が,光学機メーカー”エルンスト・ライツ”社(Ernst Leitz Optische Werke) を設立しカメラを作った.ライカとはLeitz + Camera = Leicaという意味であり,”ライカ”ブランドが有名になり会社名もライツ社からライカカメラ社に変更された.

参照:ライカ – Wikipedia

– どういうカメラ?

ライカには,大きく二つの種類のカメラがある.
M型ライカ(M-System Leica):レンズ交換式距離計連動式カメラ(Rangefinder = レンジファインダー)
R型ライカ(R-System Leica):レンズ交換式一眼レフカメラ(Single Lens Reflex = SLR)

参考:
レンジファインダーカメラ – Wikipedia
一眼レフカメラ – Wikipedia

レンズを交換できるカメラを一眼レフと思っておられる方は多い.その理由は,日本のカメラメーカーをはじめとして,現在生産されているレンズ交換式カメラは,圧倒的に一眼レフが多いからである.なぜレンジファインダーカメラが少数派なのか?それは,1954年にライツ社が発表した初代M型ライカ”M3″に起因する.現在と違って1950年代は,レンジファインダー式カメラが主流であり,世界中のカメラメーカーが良いレンジファインダーカメラ開発に奮起していた.そんなときライツ社の技術者オスカー・バルナック(Oskar Barnack)が開発したライカM3は,他のメーカーがレンジファインダー開発を諦めるに十分なほど完璧なカメラであったらしい.その衝撃で他のメーカーは,レンジファインダーを諦め,一眼レフ式カメラに移行していったと言われている(諸説あるが・・)

– レンジファインダーカメラと一眼レフカメラはどちらが優れるのか?

M3の登場により世界のカメラメーカーは一眼レフに移行したことは先に述べた.それから50年.世界のカメラ市場は日本メーカーが圧倒的にリードしており,そのカメラのほとんどは一眼レフカメラである.ライカカメラ社は正直ほとんど売れず,最近倒産寸前まで行きそうになった.この現状により,一眼レフが優れていてレンジファインダーが劣っているという風に世間では見られている.甲乙を付けることに意味があるとは思えないが,事実,ライカカメラ社もR型という一眼レフを開発している以上,一眼レフが主流であることは間違いないであろう.

しかし,ライカカメラは今でもすばらしいM型ライカを販売しており,私が魅力を感じるのもやはりM型ライカである.この魅力を紹介するには,簡単に一眼レフとレンジファインダーの仕組みと写真の撮り方を解説しなければならない.

一眼レフ:
一眼レフのファインダーを覗くと,レンズを通した世界が見える.レンズを通しているので,望遠レンズなら遙か遠くの世界が,広角レンズなら人間の目で見えるよりも遙かに広い世界がファインダーで確認することができる.シャッターを押すとそのファインダーで見えた世界がそのまま,フィルムやディジタルの場合はCCD/CMOSなどのセンサーに記録され写真に残る.方式でいえば,携帯カメラ,コンパクトディジカメ,写るんですなどのインスタントカメラもファインダーで見えたものが写真に写るという点で同じ方式といえる.

レンジファインダー(つまりライカM型方式)
レンジファインダーを覗くと,肉眼で見える普段の世界がそのまま見える.つまりファインダーは倍率を変更するレンズを通しておらず,ただの覗き穴である.しかし,そのファインダーにはレンズに応じて大きさが変わる小さな”枠”が表示されており,撮りたい空間をその枠に入れてシャッターを押す.つまり望遠レンズだと枠が小さく,広角レンズだと枠が大きく見えるだけで,覗いた空間が縮小,拡大されて見えるわけではない.私はこの方式の方が極めて自然だと思っている.人間が普段生活しているときに遠くにあるものを肉眼で拡大して見えるわけではなく,肉眼で見える空間のうち,見たい対象のものだけに注意を向けている.レンジファインダーはまさにこの方式で,空間の撮りたいものに枠にあわせて切り取る方式なのだ.
(注:厳密にいうと焦点のあわせ方など多くの違いはあるが,撮り方という点ではこの点に差異がある)

一眼レフ方式は,撮りたい物に拡大して見えた空間がそのまま写真になる点で,”写真を撮る道具”として使いやすい方式であり,世界的にも主流となった.一方レンジファインダーは,撮りたい物を肉眼で見える世界から切り取るという,普段の生活に近い方式である.つまり,レンジファインダーには,一眼レフにあるような極端な望遠や広角レンズは存在しない.人間の目で見える世界しか基本的に対象としていないのだ.写真を効率良く残すという点では確かに一眼レフの方が機能的に優れていると思うが,レンジファインダーには一眼レフにない撮影感覚がある.

・肉眼そのままの空間から気になったものを切り取る感覚
・一眼レフにあるミラーの動く動作がないので,撮影に下品な音がしない.極めて静か.
・一眼レフに比べてカメラのサイズがコンパクトに抑えることができ,ふと散歩に持ち歩こうと思える.

実はこのレンジファインダーの魅力だけでライカM型を使っているのではない.ライカM型にしかない魅力があるからだ.

– ライカM型の魅力とは?

ライカの魅力は本音を言うとこんなエントリーで伝えられるとは思っていない.それは私自身ライカの魅力を知る前は,いろいろなカメラ本・雑誌などで紹介されているライカの記事にやや疑問を感じていたからである.その時私は,キヤノン,ニコン,ミノルタをはじめとする最先端のカメラを利用し,しかもディジタルに完全移行が完了しており,まさに写真を効率よく量産するという姿勢でカメラ・写真を楽しんでいた.工学部の性か,写真を撮ること,見ることももちろん好きなのだがカメラという機械をいじるのが好きで,カメラ雑誌を読んでは各社のカメラの差異,特徴などを追いかけていた.基本的に新製品が紹介されるカメラ雑誌に定期的に,新製品でもないライカM型が素晴らしい写真とともに掲載される.ここに何とも違和感と疑問を感じずにはいられなかった.なぜそんな古いカメラを未だに取り上げるのか?古い方式のレンジファインダー(当時使ったことは無かった)はそんなに魅力なのか?常に頭の片隅にライカへの疑問があった.そんな疑問の中でも実際に使ってみようと思わなかったのには訳があり,カメラを始めた頃,中古カメラ屋でライカのM型を手にとった覚えがあった.金属カメラで持ったときの印象は冷たく,そしてファインダーを覗いても肉眼と同じ世界が広がっているだけ・・・.ピントのあわせ方もわからず,シャッターを押しても一眼レフのようなバシャリといういい音もしない.こんな経験がライカへ疑問を持っていた理由だと思う.

ある時オークションで完全に未使用の中古ライカ(M6)を見かけた.定年退職を迎えたフェリーの船長さんで,ライカM6を新品で3台購入し,2台を使用し1台はコレクションとしてとっておいたものをオークションに売り出していた.しかもライカとしてはあり得ない低価格であったので即決購入をし,ついに半信半疑のままライカを手に入れてしまった.ずいぶん一眼レフに慣れていた時分でライカのシャッターを切った瞬間・・・”ん?”
正直言うとビックリした.一眼レフのバシャリという音に既に慣れ,町中で撮り歩いた経験などからうるさいとまで感じていたシャッター音がほとんどなく,そのレリーズを押し込んだ時の手に返ってくる柔らかな感覚がものすごく心地よかったのだ.そして次のシャッターを撮るためにクランクを巻き上げた時,またビックリした.カメラ機械として精巧に作られているからか,本当にしなやかに適度な重さをもったフィルムの巻き上げ感だった.レンズのピントヘリコイド,絞りヘリコイドを回してみると,日本のメーカーのレンズにはない何とも表現し難い柔らかく滑らかな感じであった.カメラ自体が今まで撮りまくっていた一眼レフとは全く違い,精巧で丁寧で気品すら感じるものであったのだ.そしてカメラの大きさ,手にすっぽりと収まりそのデザインもお洒落で,一気にライカの魅力にとりつかれた.私が感じた魅力は写真の写りには一切作用しないカメラ自体の魅力であった.

この感覚が嬉しくて,研究室のカメラを持つ後輩などにシャッターを切ってもらった.すると”違いがわかりません・・・・”.たぶん私が過去に中古屋でライカを手に取った時と同じ感覚だったと思う.はっきり言ってカメラ雑誌に書いてあった魅力などを読んでライカ好きになったのではなく,一眼レフなど多く使用し,その後実際にライカを使うことでこのライカの魅力を感じている.だからこんな拙い文章のエントリーでライカの魅力を伝えられるとは思っていないのだ.

とはいえライカの魅力を是非伝え,一人でも経営が奮わないライカカメラに貢伝していただきたい.そこで極めて安直であるがライカの格好いい(かわいい?)姿を写真で紹介する戦略とする.私は一眼レフとの差異がきっかけでライカの魅力に至ったが,初めてのカメラがライカでもその魅力は十分に感じていけると思う.いつか一眼レフを触ったときにいかにライカが良くできたカメラか感じることができるであろう.ライカは小さいカメラなので,女性などにもお勧めのカメラである.むしろ日本の黒くて大きなダサいカメラなど使って欲しくない.ある撮影の仕事で一緒になった女性モデルさんがライカをたすきがけにして持っていた.最近カメラを趣味で始めたらしく,形がかわいいのと”あるブランド”が魅力で買ったという.そのブランドとはエルメスである.

ライカカメラ社復活にエルメス社が筆頭株主となり多くのお金を援助した.その関係から3年前とんでもないライカが発表された.Leica MP Hermes Edition (ライカMP エルメスエディッション).ライカのMPという最新型のM型のボディとストラップに最高級エルメスの革を使ったという限定モデル.値段は130万円.ブランド戦略などと批判を浴びたがやはり日本から多くの購入があったらしい.限定とはいえさすがに値段が高いのでまだ購入することができる.さすがに私は手が出ないが,実際エルメスの革が極めて美しくなんとも素晴らしいライカである.

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Leica MP Hermes Edition

ライカは高級なカメラだと思う.他のメーカーに比べるとすべての物が高いが,その分極めて精巧に大切にしっかりと作られておりちょっと落としたくらいでは壊れない.しかも相当な壊れ方をしない限り修理が可能である.50年前のライカM3は現在でも修理可能である.つまり一生のカメラなのである.人生の大切な思い出を残すカメラという道具に少々お金をかけることは決して無駄遣いだとは思わない.今逆に何十年も使える道具が他にあるだろうか?携帯電話でも”写真”が撮れる今,とても素敵にお洒落に気持ちよく”写真”が撮れ,また普段の生活に近い空間を切り取るというレンジファインダー式のライカをこれからも愛してやまないと思っている.

先日,ネットで知り合ったライカ友達に子供が生まれた.病院で子供の写真を撮った後,カメラ屋に走ってライカMPを買ったという.娘さんの誕生日と同じ日に買ったライカを物心が付いたらプレゼントするそうだ.ライカなら誕生年のワインを買っておくのと同じくらい味わい深く,そして壊れることのない素敵なプレゼントになると思った.

注意:最近アユがCMしているように現在ライカカメラ社はパナソニックと組んでレンズなどを提供している.しかしあんなものは”ライカ”ではない.コンパクトディジタルカメラを買うならルミックスではなく,フジのファインピックスをおすすめする.

– 比較的中古市場で安く出回っているライカM6の紹介

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Leica M6
Leica M6 Silver + Leica Summicron 50mm f/2 Silver

Leica M6
Leica M6 Silver
背面

Leica M6
Leica M6 Silver + Carl Zeiss Biogon 35mm f/2 T* with food

Leica M6
Leica M6 Silver + Leica Summicron 50mm f/2 Silver

Leica M6
Leica M6 Silver
背面のフィルム感度設定.横に革が見えると思うが,エルメスエディッションはこの革とカメラストラップがエルメスの最高級革なのである.

Leica M6
Leica M6 Silver
全て撮り終わった後のフィルムの巻き上げクランク

Leica M6
Leica M6 Silver
シャッターレリーズとフィルム残量表示窓

Leica M6
Leica M6 Silver
フィルム残量表示窓:全て彫り込みである.ここまで精巧な物は現代には少ないと思う.

Leica M6
Leica Summicron 50mm f/2 Silver
絞りヘリコイド・ピントヘリコイドは極めて精巧に動く.

Leica M6
Leica M6 Silver
R印は,リバースのRで全てを取り終えたあとこのリバースレバーを倒してフィルム巻き上げを行う.

Leica M6
Leica M6 Silver
ドイツ製

Leica M6
Leica M6 Silver + Carl Zeiss Biogon 35mm f/2 T*
今までの写真で気づいた人もいるかもしれない.ライカのボディにカールツァイスのレンズが付いている.ライカとコンタックス(カールツァイス)といえば,完全なライバル会社でありこの組み合わせは昔ではありえないことである.しかし,時は経ちカールツァイスがライカのボディに搭載できるレンズ(ZMシリーズ)を昨年発表し話題を呼んだ.ライカの精巧なボディと空気まで写し込むと言われるカールツァイスの夢のコラボレーションも現在なら可能である.

Leica M6
Leica M6 Silver
フィルム巻き上げクランクとシャッタースピード調整とシリアルナンバー.シリアルナンバーを調べることで,開発の年を調べることができる.つまり生まれた年のライカを探すことも可能である.実際にそれをねらって中古市場を探している人は多い.

Leica M6
Leica M6 Silver + Leica Summicron 50mm f/2 Silver
私はライカのレンズなどで使われているフォント(書体)がカクカクしていて好きである.

Leica M6
Leica M6 Silver
本当にフィルム巻き上げがし易いように工夫されているクランク.使っていて気持ちが良い.

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ストラップを付けたLeica M6 Silver + Carl Zeiss Biogon 35mm f/2 T* ZM

P.S. ライカM型はM3が最初でM3 > M2 > M1 > M4 > M5 > M6 > M7 + MPという発展をしている.現行機種はM7とMPである.

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ロケット打ち上げ映像(ムービー)

先日,日本の国家宇宙機関であるJAXAのロケット(M-Vロケット8号機)が打ち上がった.そのロケットには,我々が手作りで開発した人工衛星が載せられ無事宇宙に打ち上がった.
(厳密にいうと,メインの人工衛星を打ち上げるのに便乗して隙間に載せてもらった)

開発した人工衛星はCute-1.7 + APDと呼び,一応私がプロジェクトのリーダーとして開発してきた.鹿児島から打ち上げられるロケットを肉眼で見届けたかったのだが,私は次に説明する理由で東京に待機していなければならなかった.
人工衛星は地球を時速28000kmというスピードで回っている.自動車が平均時速60km位と考えると猛烈に速く,地球を1日15周も回ってしまう.人工衛星は打ち上げたら終わりではなく,電波を使って地上と交信し,宇宙で取得された様々なデータなどを地上に送信する.人工衛星と同時に必ず必要になってくるのは,人工衛星と交信するためのアンテナや無線機などからなる地上局と呼ばれるシステムである.つまり,時速28000kmで地球を回っている人工衛星が,たまたま東京上空を通過したときだけ,その地上局を使って交信ができる.
Cute-1.7 + APDを載せたロケット(JAXA M-Vロケット8号機)は,鹿児島県から打ち上げられ,10時間程度で,初めて東京上空を通過する.その時に無事衛星に電源が入りしっかりと動作しているかなどをチェックする意味で,私は東京に居なければならなかった.
一方で,我々の衛星開発チームの後輩が何人か記念に打ち上げを見に行って貴重な映像を撮ってきてくれた.今回その映像をパラパラアニメーションで紹介する.

打ち上げロケット:JAXA M-V-8
打ち上げ場所:JAXA 内之浦宇宙センター(内之浦宇宙空間観測所)@鹿児島県
ロケット搭載の人工衛星(メイン):ASTRO-F (あかり) 赤外線天文衛星
ロケット搭載の人工衛星(サブ):Cute-1.7 + APD
打ち上げ時刻:2006/02/22 朝6:28


Image Courtesy of earth-observer.jp

前号機の6号機は生で見てきた.そのものすごい地響きと轟音で体が震えたのを覚えている.きっと生でみた後輩たちも感動したことだろう.

スクリャービン ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 作品20

ラフマニノフと並ぶロシア・ロマンの作曲家にアレクサンドル・スクリャービン[スクリアビン](Alexander Scriabin, Александр Скрябин)がいる.スクリャービンの生い立ち,作品などは,wikipedia (アレクサンドル・スクリャービン – Wikipedia)に詳しい.ピアノ,クラシック音楽を聞く機会が多い人には,スクリャービンは一般的でファンも多いと思われるが,実際にはその名を聞いたことがない人も多いのではないだろうか?スクリャービンの曲の美しさをご存じない方のために,今回スクリャービンの素敵な曲を紹介したい.本音を言えば,今日BGMでずっと流した曲の紹介である.

スクリャービン ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 op.20
Scriabin Piano Concerto in F sharp minor, Op. 20
* wikipediaにこの曲の記事を見つけた:(ピアノ協奏曲(スクリャービン) – Wikipedia)

ピアノ協奏曲は,ショパン,ベートーヴェン,グリーグ,シューマン,ブラームス,ラフマニノフなど有名な作曲家がそれはもう美しい曲を多く残している.こういった大作曲家の名を連ねて書いてみるだけでも,各曲の背筋がぞっとするほど美しい旋律が脳裏に浮かぶ.ラフマニノフの3番など,音楽評論家の黒田恭一氏曰く,”この曲を弾きたくてピアニストになった人が多い”というほど,ピアニストを含めた多くの人を魅了し続けている.いずれそれぞれのピアノ協奏曲を紹介したいが,ここは敢えて(若干)マイナーなスクリャービンのピアノ協奏曲を紹介したい.

スクリアビンのピアノ協奏曲は,BGMとして相当使えない曲である.この日記を書いている時もこの曲を如何にして伝えようと聴きているのだが,美しくて,もどかしくて(手が動かないことが・・),切なくて,キーボードが進まない.そうバック・グラウンド音楽にはならないのだ.分かりやすい表現でいえば,この曲にロマンチックが止まらない(CCB)感じになり居てもたっても居られなくなる.第3楽章の最終部(コーダ)に向けて,どんどん気持ちが引っ張られて,その美しさにいらいら感が湧き出て手作業が止まる.もう下手な日本語で伝えようとするのも馬鹿馬鹿しい.有無を言わず,この曲を聴いてくれ.

今回,どの盤を紹介しようか迷った.というのは,スクリアビンのピアノ協奏曲は若干マイナーなため,録音数が極めて少ない.ブーニンの父親であるネイガウス盤を推そうかと思ったが,このサイトで紹介するCDは音質が悪いモノばかりなので,比較的新しい盤を紹介したいと思う.

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Alexander Scriabin (1872 – 1915)
法悦の詩,Op.54 (交響曲第4番)
プロメテウス,Op.60(交響曲第5番)
ピアノ協奏曲,嬰ヘ短調,Op.20
• 演奏者 : Ashkenazy (アシュケナージ)
• 指揮者 : Maazel, Lorin (ロリン・マゼール)
• 楽団 : Cleveland Orchestra

おいしい紅茶をもとめて

友達に紹介されて以来,定期的にリーフを購入している世界のお茶専門店”Lupicia (ルピシア)“.先週,ネプチューンという紅茶を飲み終えてしまったので,田園調布店まで自転車で買いに行くことにした.田園調布駅は,写真を撮りながら行っても15分程度で着いてしまった.

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Lupicia 田園調布駅店
*もちろん店員さんに撮影許可を頂きました.

Lupiciaは,千駄ヶ谷を本店とし,田園調布,渋谷,横浜などの主要都市だけでなく全国に店舗を構え(Lupicia 店舗案内)紅茶・日本茶・中国茶など数百種類のリーフを抱えるとっても素敵なお店.私のような味に鈍感な男でも違いが分かるほど美味しいお茶が,とってもリーズナブルな値段で購入できる(ホームページから通販も可能).当たり前だが120円の缶の紅茶よりもコストは安く,比較にならないほど美味しい.松浦さんがどんなに頑張っても,ここで売っているようなお茶には到底かなわないので,あまり無理に甘くするのは避けてほしい.

現在,Lupiciaは春に関わるお茶を多く扱っていた.そのうち,”さくら”シリーズの3点セットを購入してみることにした.帰ってきて早く飲もうかと思ったのだが,パッケージがとても素敵だったので,写真をとっておくことにした.

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Lupicia さくら (さくら焙じ茶, SAKURA, SAKURA VERT)

本来,味の感想を述べるべきだが,また後日紹介したい.

田園調布の駅周辺は,やはり田園調布というだけあって,おしゃれな町である.少し写真を撮りながら散歩をしてみた.駅前のおしゃれなイタリアンにでも入れば良かったが,田園調布に来る途中で見かけた蕎麦屋が頭から離れず,そのお店でお昼をとることにした.

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ラフマニノフ 作品37 Vespers (徹夜禱, 晩禱)

本日のBGMは,大好きなロシア・ロマン派の作曲家ラフマニノフの歌曲”Vespers” 作品37である.

セルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Rachmaninoff, Сергей Рахманинов)は,クラシックを聴き始めた誰もがその美しさに必ず一度はハマる作曲家である.ラフマニノフの詳しい解説は,wikipedia (セルゲイ・ラフマニノフ – Wikipedia)に譲るが,映画”シャイン”(David Helfgott – Wikipedia)で,使用されたピアノ協奏曲第3番ニ短調(Op,30)や,荒川静香さんがトリノオリンピックのExhibitionで使用したパガニーニの主題による狂詩曲 (op,43) など,いろいろなメディアで取りだたされ,ご存じの方も多いのではないだろうか.私はこのラフマニノフが大好きで遺作,作品番号未詳のものまで含め,手に入れられるものは全て手に入れ聴き込んだ.その中で最も愛している曲を紹介したい.

セルゲイ・ラフマニノフ 歌曲 作品37 “徹夜禱” or 晩禱 or 徹夜祷 or 晩祷
Sergei Rachmaninoff Opus.37 “Vespers”

*日本語題がいくつもあるのは,”祈る”意味の漢字が”禱”と”祷”が両方あるのと,”Vespers”の日本語解釈に問題があるからである.

私が最も愛しているラフマニノフの曲は,ピアノ曲でも交響曲でもなく歌曲である.Vespersは,ラフマニノフが信仰していたロシア正教会の典礼音楽である.Vespersは,ロシア正教会において,夕方(晩)に行う晩禱ではなく,夜通し行う”徹夜禱”と訳すべきらしく,その点で日本語名に多くの解釈がある.私はロシア正教徒ではないので,このような解釈問題や,歌われている歌詞の意味などは全く分からないが,音楽として歌曲として表現できないほど美しい.宗教歌は美しいものが多い,しかしVespersは,私が聴いた宗教歌では最も美しく,恥ずかしい話聴いていて身が浄化される気がしてしまう.それほど美しい.この評価は私の戯言に聞こえるが,実はラフマニノフ自身もVespersを彼の葬儀に用いるように指示しているほど,お気に入りの曲だったようだ(暗い話だが・・・・・)

私はこの第2番「わが霊(たましい)や主を讃め(ほめ)あげよ」(Bless The Lord, O My Soul)が特に好きで,iTunes(iPod)の再生回数をみてもこの曲だけ300回の再生を越えている・・.

宗教・信仰とは関係なく,教会で流れているような音楽が好きな方,ラフマニノフのピアノは大好きだけど,歌曲などは聴いたことが無い方など是非このVespersを聴いて頂きたい.ラフマニノフ(と私が・・)が愛した素晴らしく美しい音楽に出会えるはずである.また,Wikipediaにはこの曲のページがあった.その内容のマニア度と熱意に脱帽である.世の中マニアは多い.

参考:晩祷 – Wikipedia
参考:ロシア聖歌とラフマニノフの二大宗教曲

おすすめのCD

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作曲: Sergey Rachmaninov
指揮: Robert Shaw
アンサンブル: Robert Shaw Festival Singers
Telarc – #80172 / 1990/03/15
ASIN: B000003CV0

要らないもの

ウェブのフォームで,今まで入力した内容をすべて消去する”リセット”というボタンは,掃除機の電気コードのそろそろ終わりますよという黄色印くらい要らないと思う.
そのほとんどが,”OK”ボタンよりタブオーダー的に前であることが非常にやっかいである.

以上小さい人間のたわごと.

心のピアニスト(アルフレッド・コルトー)

昨日までの雨も上がり,とても良い天気で暖かくなってきた土曜日の研究室(本当はカフェとかが素敵なんだけど・・).レピシエあらため,ルピシア(lupicia)の紅茶(ネプチューン)を飲みながらをクラシックを聴いている.今週は我々の人工衛星がトラブルを起こし,無事回復したのだが,その運用などで多忙の週であった.その反動で,(研究室ではあるのだが・・)優雅な気分でゆっくりしている.

今日聞いているCDはショパン.そしてピアニストは最も好きなピアニスト”アルフレッド・コルトー”(Alfred Cortot)である.

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Alfred Cortot (1877-1962)

コルトーはこのウェブログでも既に登場しているが,高校1年の時に初めて彼の演奏を聴いて衝撃を受けて以来,大好きなピアニストである.高校の担任がクラシックマニアで,先生とは毎日のようにクラシックの話をしていた.ある時に先生が貸してくれたLPが,アルフレッド・コルトーのショパンエチュード集(OP.10, OP.25)であった(1936年盤).エチュードとは練習曲という意味で,エチュード集とは,ショパンが作曲した練習曲集である.ショパンにかかれば,練習曲といっても退屈な曲ではなく,極めて美しい旋律の中に運指を鍛えられたり,いろいろなアイデアが織りばめられている.有名な「別れの曲」や「革命」も練習曲(Etude Op.10-3, 10-12)であることからも,いかにショパンがピアノの詩人であったかが分かる.

 ショパンの直系の弟子(直接教わったわけではない)にあたるのがアルフレッド・コルトーというピアニストである.コルトーの評価には,かならず前置詞的にある言葉が付加されることが多い.”テクニックは甘いが・・・・”.
 コルトーのミスタッチは割と有名でCDを聞いていれば,時々ミスタッチをしていることに気がつくことがある.しかし,コルトーにはミスタッチなど,全く感じさせない極めて柔らかく,優しく,美しい音がある.その美しさから,ある書籍では,”強烈な魅力ある個性と,美しいタッチ,絶妙にして詩的な解釈は当代無比”.とかまで掛かれている.(引用:(「大ピアニストは語る」)
 我々はショパンの生演奏を聴くことはできない.ショパンは彼の頭の中にある美しい旋律を,我々でも分かるような不完全な楽譜に一度精度悪く落とすことでしか,我々にその音楽伝えることはできない.しかし,コルトーのピアノは,一度精度を失ったショパンの美しい旋律を,本当に美しく再現している(と思っている).直系の弟子というのもあるが,きっとショパンはコルトーの演奏を喜ぶのではないかと,コルトー好きの私は勝手な解釈をしている.今日は,高校生の時に衝撃を受けたコルトーの別れの曲を再び聴いて,午後衛星がまた東京上空を通過するまで過ごす予定である.(いや,午後,ちょっと写真でも撮りに洗足池にでもいこうかな・・)

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グランドマスター・シリーズ・エクストラ-GR編-
コルトー/ショパン:練習曲集(全曲)
演奏者 (ピアノ)アルフレッド・コルトー
録音:1)1933-7  2)1934-6  3)1949-11
カタログNo: TOCE3562
レーベル: 東芝emi
発売国: 日本
(クリックすると,HMVのサイトに飛びます)

上記のCDが私が持っている1936年盤がちょっとわかりません.最近”リマスタリング”とかいうCDが多く,ベースのLPがどれを参照しているか不透明で困ります.

留意点:相当音は悪いです.1936年なので.もちろんモノラルです.

*練習曲は退屈な曲が多いという考え方は私の偏見です(笑)私が大学時代に教わったピアノの先生は,バイエルをそれはもう美しく,楽しく弾いてくれました.

のみくいやひさご 呑喰屋・「瓢」 – HISAGO –

 三軒茶屋のすずらん通りに,呑喰屋「瓢」はある.前回紹介した“DOOM” Dining Barの姉妹店で,以前DOOMの和食シェフであったくぼちゃんと,バーテンダーのK5くん,元寿司職人のカイセさんの3人が織りなす”和”にこだわり,”和”を大切にした呑喰屋である.”瓢(ひさご)”という珍しい単語を辞書で調べてみる.

ひさご【瓠・匏・瓢】

Ⅰ (古くは「ひさこ」とも)
1 夕顔・瓢箪(ひょうたん)などの総称。また、特にそれらの果実。なりひさご。《季・秋》
2 1の実をくりぬいて作った容器。水・酒・穀物などを入れる。
3 (「杓」「柄杓」)水などをくむ用具。1の実を縦に二つに割って用いたところからいう。後には、木を刳(く)って作り、柄をつけたものなどもいう。ひしゃく。
4 紋所の名。1にかたどったもの。丸に一つ瓠、抱き瓠、三つ寄せ瓠などがある。
Ⅱ (ひさご)連句集。一冊。浜田珍碩編。元禄三年刊。芭蕉と珍碩・乙州・正秀らを中心とする近江国(滋賀県)蕉門の連句五歌仙を収める。俳諧七部集の一つ。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988

 瓢は,ひょうたんの総称でお酒などをいれていたことから,お店の名前になったという.私は,瓢に対して”居酒屋”という表現はどうもしっくりとこない.居酒屋というと,大手チェーン店みたいな何となく”テキトー”なイメージがあるからである(本来はそういう意味ではないようだが・・).DOOMと同様に,お酒を飲めるだけではなく,がっつりと和食を食べられるお店という意味で,”居酒屋”ではなく,お店の名前にもある”呑喰屋”がしっくりとくる.
 その和食は,くぼちゃんとかいせさんがカウンターのお客さんと会話をしながらも手抜きなく,おいしく,そして丁寧に作ってだしてくれる.瓢において,料理がうまいのは当たり前で,ここに見た目の美しさが加わる.お造りのようなものはもちろん,宮下特性のお造り丼などもいつも美しい.時事ネタでいうと,得点に関係のない荒川静香さんのイナ・バウアーと同様に,料理の成分には関係のない”見た目”にも,しっかりと気を抜かず作ってくれる.しかし見た目で味は十分に変わるとおもう.食べているときに,料理の味に丁寧さを感じることができるのだ.こんな感覚は海外では絶対に感じることができない.レアで頼んでウェルダンでくるステーキ,アルデンテの3倍くらいの直径でくるパスタ,サイズを言わなかったら牛乳パックのサイズでくるコーラ,そんな国ではこの感覚は皆無であり,この感覚をもつ国の文化を持っていることに感謝をしたくなってくる.
 お酒を出してくれるのはK5くん.何せ男の自分から見ても超かっこいい.300種類ある瓢の焼酎をお客さんに説明し,シェフの作った料理を席まで運ぶ.移動も多く行動としてバタバタせざるを得ないポストでありながら,K5くんはそれを極めてクールにこなす.多忙だと顔に出やすい私の性格からすると,K5くんの振る舞いは見習いたいなぁと思う.
 結局,瓢につい足を運んでしまうのは”人”だと思う.その人たちが一生懸命お酒・料理をつくり,気軽に相手をしてくれる.とても基本的なことで,何も珍しい話ではないのかもしれない.しかし,こんな基本的な事が,世の中のお店には実現されていないことが多く,こんな基本的な事でつい足を運んでしまう緩やかな動機になるんだと思う.
 最近,とても大切にしている漢字がある.”間”.”間”には読み方がたくさんあって,そのどれもがとても素晴らしく日本的で,極めて美しい意味を持っている.瓢はその中の,間とかいて”あい”と読む”間”かなと思っている.”間・合”(あい)を辞書で調べてみると.

あい(あひ)【間・合】
(「あい(合)」と同源で、両者の相向かうこと、ところ、の意から転じたものか。時代的には「あいだ」の方が古く、また、類似の語に「あわい」もある)
(1) 二つのものの間をいう。
1 物と物との間。あわい。ま。
2 人と人との間柄。関係。仲。
3 酒杯のやりとりの際、二人の間にはいって第三者が代わりに杯を受けて酒席の興をたすけること。「あいの又間」*評判・秘伝書「あひをなどとて人出る事あるべし」
4 「あいのしゅく(間宿)」の略。
5 「あいのて(間手)」の略。
6 人形浄瑠璃で、太夫が語る文句と文句との間を三味線だけでつなぐ演奏。短い旋律で、おもに文意を助けて印象を深めるために行なう。
7 「あいきょうげん(間狂言)」の略。
8 「あいがたり(間語)」の略。
9 「あいごま(間駒)」の略。
10 「あいのもの(間物)」の略。

Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988

 ここでいう間(あい)が何とも瓢で感じることが多く,何とも居心地が良いのだ.
 三軒茶屋に来られましたら,是非瓢に足を運んでみてください.それぞれ感じ方は異なるかとおもいますが,3人の一生懸命さと,”間”を宮下的には感じるとても素敵な空間だと思います.

のみくいやひさご 呑喰屋・「瓢」 – HISAGO - @ ぐるなび

姉妹店:DOOM Dining Bar @ ぐるなび

 瓢もオープン前に写真を撮らせて頂いた.そのときの写真を掲載.

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入り口の暖簾

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入り口の提灯

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店内カウンター