八右エ門のいちご大福と、茶花と、和樂と、日本陶磁協会賞 受賞作家展

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シェフ夫婦がお知り合いで、更に近所であることからよく利用させてもらっているビストロ・アギャット@門前仲町の奥様から昨晩連絡が。
「山形の最高に美味しいいちご大福が届いた」。そこで夕飯を頂きつつ、そのいちご大福を頂いてきました。
結果から言うと超絶美味しかったです。いちご大福は実はあまり食べたことなくて、茶の湯を初めて和菓子好きになってからはたぶん口にするのが初めて。
「是非今日中に」と言われたとおり、中のイチゴがとても新鮮でシャリシャリ、そして表面の大福部はとてもモチモチでバランスが良く、実においしかったです。これはおすすめです。
そしてビストロ・アギャットもとても美味しいのでお薦めです。行かれる際には是非`ミヤシタ`の名前をお出しください。きっと良いことがあるでしょう(笑)

山形市 菓道 八右エ門のいちご大福

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当然、家稽古の茶菓子として頂きました。今日は土曜日なので濃茶・薄茶と時間を掛けて。

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先の写真ですと中がわからないので(笑)中身を割った状態。新鮮な山形のイチゴががっつり一つ。とてもとても美味しいです。懐紙は干支の午。

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今日の茶花は、椿と猫柳。椿は咲いていた状態なので半額。猫柳がピンク色でとても良い感じでした。

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ピンクネコヤナギと名前。そのまんま。かわいらしいですね。椿が赤なのでちょうどあっています。

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そういえば椿を拡大してみたことがないなと。フラワーアレンジメントレッスンに通っていた時はガーベラ、ダリア、薔薇などが好きだったのですが、すっかり椿・山茶花好きになりました(単純ですが・・)

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今日は、長板、炉、濃茶、薄茶の家稽古。ちょっと古い抹茶だったので濃茶がイマイチ美味しくない(抹茶というよりは練り方が悪いのか)。
いつもは平日の深夜帰り後の稽古なので、釜を乾かす時間を含めバタバタ。今日はお休みだったのでゆったりとした家稽古ができました。いちご大福も`超絶`美味しかったしですし。

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今日(2014/2/1)は雑誌`和樂`の発売日。面白そうな特集の時にたまに買っています。今月号はなかなか興味深い内容でした。映画「利休にたずねよ」で利休を演じた市川海老蔵さんと、建築家の安藤忠雄さんが利休の茶室`待庵(国宝)`などで茶の湯に関する対談。また写真の左側に写っている日本の名碗50ということで、代表的な抹茶茶碗が原寸大の写真とともに紹介されています。

今日午前中には、本日から銀座和光の和光ホールで開催されている日本陶磁協会 受賞作家展に行ってきました。目的は、先日智美術館で感動した川瀬忍さんの翠瓷茶碗を見に行くために。初日の午前に行ったのに既に契約済みでした。前日のプレオープンで招待客の方とのこと(とても私は買えませんが)。吸い込まれるような美しい茶碗でした。

2月に入りました春先の茶事に向けてそろそろ準備を開始しようかなと思っています。

2014年初詣。

毎年恒例の初詣に。そしてウチがお世話になっているお寺に護摩に願い事を。

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近くの滝宮神社で初詣。

続けて真言宗豊山派の龍水寺の護摩(供養)へ。

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岩壁に乗っている観音堂。相変わらず凄い。

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家内安全を祈願。

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そしてお雑煮。お餅も自家製です。

今年もサンタクローズから素敵なプレゼントが・・。

いつも通りの5時過ぎに起きようと思ったら何やら布団が重い・・・・・・。

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おお、去年に続いて(参考:去年の記事”クリスマスプレゼントと茶湯のお稽古(第七回目)”)、今年もサンタクローズからプレゼントがありました。
しかも今年は二つ!・・とはいえ、何か箱が出物(=中古)の様に痛んでいるぞ・・・・。あれれ。

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一つ目の箱には、なんと`円座(えんざ)`が入っていました(笑)。茶事において、寄付に重ねて置いてあり、茶室への席入りまで腰掛けて待っている間に使う円座でした。しかも五座。なんとまぁ。元々は農家が冬期の内職に藁で編んでいた物の様ですが、最近は円座自体求める人が少なくなり、また編める方も少なくなり新品が中々出ないので出物を捜していました(と、サンタが言っていた)。

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美しいですね。これは、茶事だけではなく、家の畳の上に座っている時も使えそうです。そういえば、師走のこの時期は`しめ縄`の時期なので、実家では家族が秋に収穫した残りの藁でしめ縄を編んでいるかと思います。この円座も私の親なら編めるかもしれません(たぶん)

さて、二つ目の箱は・・・

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なんと長板でした!真塗。どうやら風炉用なので、この時期には少し合わないのですが、畳が京間ですし、大は小を兼ねるから家稽古には良いだろうと思いました(と、サンタが言っていました(笑))
しかも出物とは思えないほど綺麗で、とても良い感じです。ただの板ですが、されど板でして、茶の湯では立派な`棚`の一つです。長板の四つ角に竹で柱を立てて、上にも板が乗ったのが`台子`で、雛人形の前列に並んでいますよね。昔は嫁入り道具に台子の棚に飾られた茶道具を持っていったのでしょうか??台子はかなり茶の湯の稽古のフェーズが進んでいますので、皆さん嫁入り前にそこまで進めたのでしょうか・・・。

さて、せっかく長板を頂いたので、稽古用の量産型`青磁皆具`で飾ってみました。

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風炉の長板。とても良い感じ。(鬼面風炉でないのが残念ですが・・・)。今まで長板と同じ大きさの紙を敷いて稽古していたので、これで家稽古も捗りそうです。

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炉用の飾り。やはり長板が長すぎて間延びしてしまいますね・・・。(炉用の長板はもっと横に短い様です)

去年の風炉先屏風(写真の後ろに写っている物)に続いて、今年もなかなか渋いクリスマスプレゼントで、家の稽古も楽しくなりそうです。円座も春先の茶事で使ってみようと思います。

さて、昨日はクリスマスイブで、帰宅時に地下鉄駅内のHIROTAでクリスマスバージョンのシュークリームが売っていました(ので、買ってきました)

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クリスマスっぽく白い茶碗(白天目の天目台なしで)で。

袴の着付け教室(2時間マンツーマン)@人形町`衣装らくや`

袴の着付けが自分で出来ないという恥ずかしい状態でしたので、近所の(日本橋人形町)の`衣装らくや`で2時間マンツーマン着付けレッスンに行ってきました。

らくやさんは、以前日本橋の呉服屋を回ったときに着付けもやっていることを掴んでいました。

参考:石田節子流着付け教室@衣装らくや : 自分で着たい方コース

2時間内でしたら何でも質問できるということで、まずは(ほぼ自己流の)着流しの着付けの確認。客観的に教えて貰うのはやはり良いですね。普段`貝の口`で角帯を結んでいるのですが、袴をつける際には、`一文字`結びの方が良いとのことでそれも教わりました。その後、袴の着付けを教えてもらいました。2時間あるので、何度も練習し、忘れそうな場所は写真を取って家で復習できるようにしました。

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(こんな感じで場面場面の写真を残しておきました)

今回は、盛夏の季節も過ぎた麻の長着と袴を持ちこんで受けてきました。麻に袴というのも変わった風合いで良い感じでした。こういう涼しげな着物で(内輪の気楽な)茶会も夏には良いかもしれませんね(かたい着物であることを認知した上で)。早速家に帰って復習。茶の湯の稽古は着流しで毎度通っていますが、今度は袴も着けていこうかなと。別記事にしますが9月末に茶事をおこなうので、今回のレッスンで安心です。

 

早雲寺、白雲洞茶苑@強羅公園、松永記念館:小田原の近代三茶人をたずねる。

箱根・小田原方面に茶の湯に関係のある場所を訪ねてきました。

◆臨済宗大徳寺派 早雲寺 @箱根湯本

秀吉が小田原の北条氏を征伐した”小田原征伐”(1590年)は有名ですが、

参考:小田原征伐 | Wikipedia
参考:早雲寺公式サイト
参考:早雲寺 | Wikipedia

その秀吉が小田原城に攻め込む際に本陣を張ったのが、箱根湯本にある早雲寺です。早雲寺の沿革は上の公式サイトをご覧くだされ。詳しく記載されています。実に茶の湯に関わりのあるお寺だと分かります。利休も参禅し(お墓もある)た臨済宗大徳寺派ですし。

さて、秀吉の陣ですから利休も来ているわけです。利休の逸話はいろいろ残っていますが、この早雲寺でのエピソードはたくさんあって実に興味深く、是非来てみたいと思っていました。

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さて、箱根湯本の駅から早雲寺までは歩けるのですが、”健脚坂(近道)”とぐるっとまわる道の2コースがあります。余裕で前者だと思って健脚坂を進んだのですが、泥だらけになりました(笑)あと蜘蛛の巣だらけ。上の写真のような自然たっぷりの中を歩かされます。皆さんが行かれる際には、ぐるっと回る普通のコースを歩くべきです。途中に箱根の郷土資料館もあるので。

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早雲寺惣門(そうもん)

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惣門を逆サイドからみた写真。木々が綺麗でした。

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臨済宗ですから禅寺です。`早雲禅寺`。中門。

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さて、このお墓は`山上宗二`のお墓です。400年前の利休のエピソード、茶会の記録などが今に伝わってきているのは、利休の弟子(高弟)の山上宗二が、「山上宗二記」という著を残してくれたからです。多くの点で矛盾が指摘されている「南方録」に関して、宗二記は実に詳細で貴重な資料になっています。同等の内容で少しずつ修正しながら何冊か現存していて、一つは不審庵にあるのかな。

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クリックすると拡大します。

さて山上宗二といえば、秀吉と馬が合わなかったことで有名です。小説「利休をたずねよ」では、余計な口を聞いてしまい、耳と鼻を切られて殺されてしまう章がありますね。その宗二の墓が早雲寺にあります。つまり、本陣が早雲寺にあり、利休もいて、そこに小田原陣営から宗二が抜き出してきて、この早雲寺付近で秀吉に面会し打ち首にされたわけです。冬公開の映画「利休にたずねよ」では、宗二役が誰になるかも楽しみです。三國連太郎さんが利休役を務めた映画「利休」では、井川比佐志さんが宗二役で良い味だしていました。

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町文化財の鐘楼(しょうろう)。秀吉も使ったとされています。

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北条5代の墓が写真の奥にあります。変な物が写るのもなんなのでこのあたりで。

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本堂。

一般の拝観は以上の外観のみ。奥に茶室があるようですが、見ることはできません。重要な文化財や、沢庵さんの書などいろいろあるようですが見ることはできません。たまに公開することもあるのかな?正直、茶室も拝観できないので、あまり見るものはないかもしれません。

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さて、惣門の近くには立派な竹が生える竹林が。利休作(利休好み)の竹の花入れは実に有名ですが、初めて作ったのは利休が小田原攻めの際に作ったのが最初とのこと。つまりこの竹林などを見てあの竹の花入れを思いついたのかもしれません。(実際には伊豆韮山の竹で作ったようですが)

上野の東京国立博物館に、その時作った3つの花入れの一つ”園城寺”が現存されています。
参考:竹一重切花入 銘 園城寺 @ 東京国立博物館

さて、もう一つ。茶の湯では実にいろいろな棚(茶道具を飾る棚)があるわけですが、利休時代から形が変わらない棚の一つ”旅箪笥”の棚も、この小田原攻めの際に使ったという言い伝えがあるようです。旅箪笥ですから、京から小田原に移動する際に移動式で野点てができるということで、旅箪笥の棚が生まれたのでしょうか?千家の流派では、どのお流でも旅箪笥は稽古であるようなので、この早雲寺あたりで利休が使っていたと考えるとなかなか興味深いですね。

参考:旅箪笥の棚@茶道入門

秀吉・利休・宗二はじめ、多くの利休好みの道具が初めて使われた早雲寺は歴史を想起させる素敵なお寺でした。

さて、帰りは回り道のコースを通り、郷土資料館に寄りました。

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郷土資料館

箱根の歴史や発展の仕方、昔から世界的にも有名な行楽地であったこと、そして後述する近代の茶人達が別荘を建てた歴史などを学ぶことができました。なかなか面白買ったですよ。私以外に客は皆無でしたが。

さて、箱根登山鉄道に乗り込み、強羅まで上がります。

◆白雲洞茶苑@強羅公園

強羅駅から急坂を登っていくと強羅公園に到着します。公園に入るのは有料で、いろいろな施設がある強羅公園ですが、白雲洞茶苑という茶室があります。

参考:強羅公園白雲洞茶苑

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白雲洞の茶室は、小田原の近代の3大茶人である、益田鈍翁原三渓松永耳庵にそろぞれ引き継がれた素晴らしい茶室です。三井物産の創始者であり(ウチの流派の先輩でもあり)、近代の大茶人として有名な益田孝氏(鈍翁)の別荘としてこの茶室を建てたのが始まりで、それぞれ二人に引き継がれ、現在は強羅公園内にあります(箱根登山鉄道所有)。原富太郎氏(三渓)は、横浜にある三渓園が有名で(参考:本ブログの三渓園の記事:三渓園に赴く。)、松永安左エ門氏(耳庵)は電力王として名高い財界人です。彼らが約100年少し前に茶の湯の魅力を再確認し、その財力で貴重な茶道具をコレクションしてくれたので、今こうやって世界大戦を乗り越えて残ったというのも事実だと思います。

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露地の入り口。

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(字が小さいのでクリックすると拡大します)

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露地を上がっていくと、不染庵、白雲洞、対字斎とよばれる2つの茶室と「田舎家の席」があります。いわゆる京都にある歴史のある茶室とは違い、近代茶人の趣向を取り入れた新しいスタイルの茶室と言えます。

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白雲洞の茅葺き。

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薄茶を頂けます。すると中を見学できます。人も少なかったのでいろいろ解説頂きました。

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箱根といえば・・・ということで寄付の横には温泉が。素敵すぎますね。

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原三渓が増築した茶室:対字斎。
見えにくいですが、正面の山の頂上には、”大文字山”の”大”の字が見えます。眺めも最高の茶室です。八畳の広間。素晴らしいですな。

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不染庵の四畳半の寄付。炉が切ってありますがここは寄付で、隣に二畳台目の茶室があります。

強羅は何度も来たことがありましたが直ぐにケーブルカー・ロープウェーと乗り継いでしまいあまりゆっくり回ったことがありませんでした。そもそも強羅は近代の富豪達がこぞって別荘と建てた地。近代茶人が三人に渡ってこの茶室を受け継いだのも分かります。
茶の湯に興味がなくとも、この強羅公園の白雲洞茶苑は、抹茶も頂けて露地も綺麗なので是非足をお運びくだされ。

さて、箱根登山鉄道を下りて箱根湯本へ。そして小田原駅に向かう途中で`箱根板橋駅`で下車し松永記念館に向かいます。

◆松永記念館@小田原市

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小田原市郷土文化館分館”松永記念館”

公式サイト:小田原市 郷土文化館・分館松永記念館
参考:松永耳庵 | Wikipedia

上記名前の通り、小田原三大茶人の一人:松永耳庵の最後の邸宅を、小田原市に寄し記念館にしたものです。

この記念館には、耳庵の邸宅「老欅荘」(もちろん茶室あり)、ほか3つの茶室は一般利用が可能で、茶会・茶事を催す事ができます。

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少し歩いて行くと(登っていくと)、「老欅荘」が見えてきました。イマイチな写真ですが、どのくらい自然に囲まれているか伝わるかなと。楓が多いので秋の紅葉は綺麗でしょうね。

20130720_jian3露地に入って行きます。基本的に自由に見学自由です(中にも上がれますし、説明もして頂けます)

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少し進んで振り返る。秋の紅葉の時期にもう一度来よう。

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右に広間、左は茶室。躙口が見えますかね?(暗いけど)

客は、この露地を通って躙口から茶室内へ。歴代の財界人、代議士達もこの躙口を潜って耳庵と供に日本の政治の話をここでしたのでしょうか。

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躙口より茶室をのぞく。床。こうやって自由に外から眺められるほど開放されている茶室も珍しく細かいところまで見ることができて勉強になりました。

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茶室(松下亭)は、四畳半台目。オーソドックスなデザインかな。
将来家に茶室を設けるなら、三畳台目か四畳半台目かなぁ。と妄想してみたり(笑)

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耳庵さんがこだわった半月の窓。素敵ですね。

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「老欅荘」の案内図。クリックすると拡大。素敵な数寄屋建築の邸宅でした。

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箱根は何度も行ったことがありましたが、茶の湯の視点で見るとまた違った楽しみがありました。早雲寺は一般拝観に限りがあるので少し残念ですが、強羅公園の白雲洞と、松永記念館(耳庵の邸宅)は実に素晴らしい日本庭園と茶室で感動致しました。原三渓の三渓園と供に、近代の三大茶人の偉大さと彼らの茶の湯のスタイルを見ることができます。伝統的な京都の茶の湯から少し現代風にアレンジというか、茶の湯を愉しんだということが随所に感じられて興味深い(日帰りの)旅となりました。

国宝茶室`如庵`、徳川美術館他、そして加藤亮太郎陶芸展へ。

少し前の事ですが、松坂屋名古屋店で、美濃焼窯元”幸兵衛窯”の加藤亮太郎さんが個展を催されるということで日帰りで行ってきました。日帰りとはいえ、せっかく名古屋に出るのですから、国宝茶室の如庵、犬山城、徳川美術館、古川美術館、爲三郎記念館、桑山美術館を回ってきました。

美術館は閉館時間が早いので、デパートで行われる加藤亮太郎さんの個展は夕方に行けるだろうと考え、まず犬山市にある如庵に向かいました。

◆国宝茶室`如庵`(じょあん):有楽苑、犬山市

名鉄犬山線にて名古屋から犬山遊園駅へ。ちなみに如庵(有楽苑)は現在名鉄の所有物です。

`如庵`は、織田信長の弟で、大茶人でもあった織田有楽斎が作った茶室で国宝です。東京の有楽町の名前の元になった方ですね(一時、今の有楽町付近に住んでいた)。有楽斎は、クリスチャンであり、そのクリスチャン名がJoan(ジョアン)であったことからこの名前が付いたという一説が。元々は、臨済宗開祖の栄西さんが建てた京都建仁寺内にあったのですが、その後三井家が引き継ぎ、東京に移築され、現在は更に名鉄が引き継いで、この犬山城の隣の有楽苑内にあります。如庵だけではなく有楽苑全体が名鉄の運営かな。

如庵公式サイト:http://www.m-inuyama-h.co.jp/urakuen/
参考サイト:如庵 – Wikipedia

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入り口の解説看板。クリックすると拡大。

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酷い写真だなぁ・・。有楽苑の入り口の一つ。有料。
犬山焼きの抹茶茶碗も、写真奥の入場券受付で売っていました。

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有楽苑内は綺麗な日本庭園になっています。
緑が綺麗でした。楓が多かったので紅葉の頃は素敵でしょうね。

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岩栖門(いわすもん)

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含翠門(がんすいもん)に向かう道。中に門がたくさんありました。

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人も少なそうなので、椅子に座ってゆっくりするのもよろし。

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普通のつくばいではなく、石の下が大きな空間になっていて心地よい音がするシステム。

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なんでこんなに写真が酷いのかわかりませんが・・・。
とりあえず庭の素敵な趣が伝われば良いのですが。

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さて、お目当ての国宝茶室`如庵`。外観の写真はOKです。中は撮れません。
二畳半台目の向切りの茶室。躙り口が床に向かって正面ではなく、90度横方向から入ります。また点前座の後ろが斜めに切って、板東さんが歩きやすい工夫や、その斜めの壁に当時の古い暦の紙(新聞のような感じ)がむき出して貼ってあったり(補強の為なのか?)、遊び心たっぷりの茶室でございました。

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写真は酷いですがクリックすると拡大するので、間取り等興味があればご覧くだされ。

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少し引いて撮った如庵。綺麗な庭園に囲まれています。国宝ですので火は使えず、既に茶室としては使われていないとのこと。しかし、三井家から名鉄に譲られこの場所に来たときに表千家の家元が一度だけ如庵で茶会を開いたとのこと。素敵ですね。

さて、この有楽苑には、有楽斎が大阪に住んでいたときに使っていた茶室を復元した`元庵`(げんあん)もあります。ここは一般の人が借りられるらしく、地元の茶人、茶の先生たちが利用しているようです。有楽苑での茶事・茶会も素敵ですね。

如庵の隣接している重要文化財 旧正伝院書院では、抹茶のサービスがあります。如庵解説員の方に如庵の歴史を教えてもらいながら薄茶を頂きました。この旧正伝院書院では、初釜の茶会が行われるとのこと。また襖の絵画は長谷川等伯など蒼々たるメンバーが描いた絵図が残っています。

◆国宝:犬山城

さて、茶の湯には直接関係ありませんが、如庵のある有楽苑の隣だったので犬山城に寄ることにしました。

犬山城公式サイト:http://inuyama-castle.jp/
歴史などは公式サイトなどで確認くだされ。茶の湯でいえば、秀吉も一時城主だったことがあるようです。

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酷い写真だなぁと。上に登れるのことで登ってきました。

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登ったところ。一個前の写真を逆から見ている構図。

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西側を望む。この木曽川を挟んで向こう側は各務原市。

さて、犬山城の城下町的な通りを通って犬山駅へ向かいます。そこから徳川美術館へ。

◆徳川美術館

さて、徳川美術館にやってきました。徳川園という日本庭園内にある美術館で、徳川家(特に尾張徳川家)に伝わる遺品・名品の数々が所蔵されて、中身を定期的に入れ替えて展示されています(あまりに量が多いらしく)。

徳川美術館 公式サイト:http://www.tokugawa-art-museum.jp/
徳川園 公式サイト:http://www.tokugawaen.city.nagoya.jp/

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徳川園入り口。美術館だけではなく、日本庭園、結婚式などもおこなえるレストラン、お土産ショップなどかなり大きな施設でした。もともと尾張藩二代藩主光友の屋敷があったみたいですね。

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失礼ですがここの日本庭園は趣き、自然のコントロール、見せ方含めイマイチで良い庭園だなとは思えませんでした。恐らく同じ事を感じる人は多いのではないかと。さて、写真にあるように庭園内には、瑞龍亭という有楽好みの茶室がありました。ここは借りられるのかな?

さて、庭園を一周してきてから美術館に。

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徳川美術館

お目当の利休自作の茶杓`泪`を見られるかな?と思いましたが、今回は展示されていませんでした。

参考:竹茶杓 銘 泪(なみだ)千利休作@文化遺産オンライン

利休が秀吉に切腹を命じられた際に、最後に自ら削って茶会に用い、そして古田織部に渡したと言われる茶杓。これは何とも見てみたかったのですが。たまに展示されるみたいですね。

徳川家の美術館ですから茶道具だけではなく、刀・兜等沢山ありました。着物とか素晴らしかったですね。茶道具に関しても第二展示室は`大名の数寄:茶の湯`となっていて、徳川由来の茶道具を毎回とりあわせを替えて展示しているそうです。これは名古屋に来る度に足を運ばないといけませんね。

さて、徳川美術館を後にして、古川美術館に向かいます。犬山に行ってきたので時間が結構経過しており、大急ぎで移動。

◆古川美術館、爲三郎記念館

ヘラルドグループの創始者であり、美術品のコレクター(もちろん茶道具も含め)として名高い古川爲三郎の古川美術館、そしてすぐ近くにある爲三郎記念館に行ってきました。

公式サイト 古川美術館:http://www.furukawa-museum.or.jp
公式サイト 爲三郎記念館:http://www.furukawa-museum.or.jp/memorial/index.html

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古川美術館入り口。

今回は、日本絵画が中心で茶道具・軸などの展示はなし。何度も来るのも大変なので見方がわからない日本絵画も一生懸命みてきました(笑)

さて、ここから徒歩で2~3分の所に爲三郎記念館があります。これがなんとも素晴らしい。

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住宅街の中に突如現れる日本庭園があります。爲三郎記念館の入り口。

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入り口には、

`初代館長古川爲三郎の遺志をうけ、その居宅を平成七年十一月三日より、古川美術館分館として開館いたしました。数寄屋造りの「爲春亭(ゐしゅんてい)」を中心に、爲三郎が愛した六本の椎の木など樹々が繁る庭には茶室「知足庵(ちそくあん)」や仮説の舞台が備えられています。財団法人古川会`

とのこと。その名の通り、邸宅を開放したわけですな。素晴らしい日本庭園でした。

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数寄屋造りの母屋 「爲春亭(いしゅんてい)」内は、カフェになっていて、お抹茶やコーヒーなどを庭園を見ながら頂けます。実に素晴らしい。

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先ほどの薄茶を頂いている席からの眺め(硝子越し)。正面には茶室`知足庵`が見えています。

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母屋 「爲春亭(いしゅんてい)」内には、多くの部屋があるわけですが、その一室には点前畳があり、そこに古川さんの茶道具による道具あわせが展示されていました。この前にはこの組合せの解説なども添えて。車軸釜って形に変化があって良いですね。

さて、庭に出ます。

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母屋 「爲春亭」。硝子が見えると思いますがこの中がカフェ席になっていて庭園を見渡せます。個人邸宅だったわけですから素敵ですね。

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竹もあり。

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さて、茶室の`知足庵`。これは借りられるのかな?(不明)。利休の「足ることを知る」という教えから取った名前とのこと。

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(禁止されていなかったので内部写真を撮らせて頂きました)

二畳半台目向切。そう`如庵`と同じです。斜めの壁を含め、如庵の趣向を踏襲しているようです。しかし、外観でも分かるように、知足庵は、床に向かって正面に躙口があります。如庵が床に対して90度横から入るのは有楽斎の遊び心なのですかね。

爲三郎記念館はお勧めです。カフェでまったりするのも(長居して良いかわかりませんが)。さて、桑山美術館に向かいます。もう夕方に近づいており大急ぎで移動。

◆桑山美術館

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汗だくになりながら、大急ぎで桑山美術館に到着。

公式サイト 桑山美術館:http://www.kuwayama-museum.jp/

コレクターの桑山清一さんという方が集めた美術品を展示している私立美術館とのこと。茶道具も多く。中国・朝鮮のものや利休の竹花入れなど。中に茶室もあって一般人でも利用可能とのことです。

という情報を得ていたので向かったのですが、閉館直後に到着で入れず・・・。戸締まりをしていた受付の方も遠くから来たのに申し訳無いなんて言われてしまい(こちらが遅いのが悪い)。やはり一日で回るのには無理があったかと・・・。

これ以上は時間的にも美術館巡りは不可能と判断し、一番のお目当ての松坂屋名古屋店に向かいました。

◆加藤亮太郎 陶芸展 @ 松坂屋名古屋店

数多くある美濃焼の窯元でも著名な窯元の一つ`幸兵衛窯`の陶芸家”加藤亮太郎”さんの個展に行ってきました。亮太郎さんの作品は、しぶや黒田陶苑で拝見して以来、興味を持っており、今回新作の陶芸展ということで是非見てみたいと思いました。今回で第三回目とのこと。

もちろんデパートの陶芸展なので写真はありませんが、多くの新作を拝見できました。なんと、ご本人がいらっしゃったのでお話することができまして感激でした。作品の説明等もしてもらい、陶芸(作っている側)とはどういう世界なのか、またその苦労などお話を聞くことができました。

どんな仕事でも想像力をフル稼働させて世の中に無いものを作り出していかないといけないわけですが、私と同世代の加藤さんのお話は、分野が違うとはいえとても私の仕事に関しても刺激を受けました。お金を貯めて(手が届かなくなる前に)まず志野茶碗目標に一つ購入したいなと思っています。同世代の陶芸家が作った茶碗を大切にずっと使っていけば、茶事で拝見に回ったときにも、今回の初めてお会いした話などを語れますので、よく分からない箱書きの内容を棒読みで答えるよりも、客との会話が弾みそうです。

充実した名古屋への茶の湯日帰りの旅でした。

茶の湯の稽古と、袴の仕立て上がりと、盛夏の反物。

今日は茶の湯の稽古。稽古を始めた頃は洋服(+帯だけ巻いて)で稽古に通っていたのも最近は着流しで通うようになり、電車等移動もだいぶ慣れてきました。しかし今日は夏陽気だったので、袷の着物は実に暑く。

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garminの腕時計を何とかせねばならん。

来月で茶会デビュー(亭主と板東+雑用)ですが、今日の稽古はその最終確認。お友達が亭主の時に板東をやったり、その逆をやったりととっても楽しく。そして奥深く。毎度の事なら勉強になります。しかし板東をやっていると友達の綺麗なお点前が見えないのが少し残念だったかな。今回の茶会での道具の組合せを先生に見せて頂きましたが、香合などとっても素敵なもので、遊び心もあり興味津々でした。6月らしく、涼しげな道具の組合せになりそうです。

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来月の茶会で使う袴のお仕立てが上がってきたので取りに行ってきました。馬乗りです。とっても良い感じ。やっぱり出来合の物が多い時代にこうやって仕立てて貰うというのは愛着がわきますね。大切にしようと。さすがに正式な(最高格)の仙台平は高すぎて手がでませんでしたが、まずはこの袴で。これだと知人の結婚式にも出られますし。

昨日優秀な後輩の結婚式でしたが、残念ながら黒スーツでの参加でした。スーツでの結婚式参加は昨日をもって最後にしたいものです。せっかくの日本に生まれておきながら着物で冠婚葬祭に参加するのはやはりもったいないなと。それにしても年下のお二人の結婚式でしたが、素晴らしすぎておっさん(私)はウルウル来そうでした(笑)とてもしっかりしていて、同じ歳の頃の自分と比べると雲泥の差。こんなに将来が心配”する必要がない”カップルもないですな。末永くお幸せに。

7月になりますと盛夏の着物になるわけで、麻の反物をちょうど探していました。袴をいつもの閉店セールのお店に取りに行ったところ、いままで無かった麻の反物(男性用キングサイズ)が入っていました。閉店じゃないの?という疑問を抱きつつ5本新しく入ったとのこと。というわけで、麻の反物を買ってきました。お仕立ては茶の湯の先生のお知り合いに特別お安く仕立てて頂けるのでとっても安心です。もちろん良い反物は上天井であるのでしょうが、まずはこんなところから。

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盛夏の着物も楽しみです。さて、暑い中どれだけ着物で出かけられるか。洋服よりも涼しいのかなど楽しみもあり。

先週後半の家での茶の湯の稽古は、神田神保町の御菓子処”さゝま”さんの主菓子でとっても素敵でした。よって紹介。

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抹茶:上林 綾の森
主御菓子:御菓子処 さゝま `玉川(錦玉羹)`

「小豆の漉し餡と白餡と黒胡麻の入った白餡を錦玉羹で固めた物です。美しい流れの玉川を表現しています。」とのこと。田舎で川遊びをしたのを思い出します。いかにも涼しげ。

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抹茶:上林 綾の森
主御菓子:御菓子処 さゝま 紫陽花(錦玉)

紫陽花。素敵ですよね。梅雨の時期は憂鬱ですがこういう御菓子を見ると少し気持ちが晴れますね。

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日本政府観光局がとっても素敵な外国人向け`日本`紹介動画を作成しています。もう数年前作成の物ですが、内容的に全く色褪せるものではなく。その為FullHDではなく画質が悪いですが、実に素晴らしかったので紹介。音楽も素晴らしく。
本当にこの国に生まれて良かったと思います。茶の湯を始めて、指先に気を遣うようになり、茶人・日舞の方達の手の動きの美しさにはっとさせられます。自分が同じようにできないから美しいと感じる。これも茶の湯を始めて良かったことの一つです。

初釜と新しい着物と

茶の湯を始めて初の年越し。先生より初釜のお誘いがありました。そこで先生のご自宅での初釜にお友達と赴きました。私とお友達の他に別の曜日に稽古を受けておられる三人の計五人で。ご自宅でということで、洋服でも良いとのことでしたが、せっかく仕立てて貰った着物が先月末に上がってきていたので、その着物(着流し)と羽織で伺いました。年末・年始になかなか新しい着物を試す機会がなく、当日朝からバタバタ。やはり自分で着付けるにも洗面台以外に大きな鏡が欲しいです(これ以上狭くなるので当分無理ですが)

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そういえば、自分の新着物姿の写真を撮るのを忘れました。目的地近くの駅のトイレで(iPhoneで)撮った一枚だけ。帯の位置が高すぎると先生に直され(笑)。

さて、初釜は露地での’つくばい’など茶事の客の所作などもちゃんとやってみようとのことで、いろいろ初体験することができました。実に面白買ったです。菱葩餅をお茶菓子で頂き、濃茶、懐石、そして薄茶と頂きました。初めて先生のお点前(濃茶)を拝見しました(普段のお稽古時にお点前を見せてくれることはない)。やはり綺麗でした。普段の稽古中、私の所作を一つ一つ指導頂いていますが、実際に先生のお点前を見れば、それが連続動作で納得する箇所も多かったです。床はもちろん、皆具の茶道具やお茶碗、吹雪の薄茶器など素敵なお道具でうっとりでした。京都の旅行や、茶道具店通い、陶器の展示会、陶器の書籍をこの数ヶ月読んでいたからか、茶道具に関しては、いつのまにか”その種類”くらいはわかるようになっていました(ふふふ)。私はもちろん点前をしませんでしたが、非常に興味深い、楽しい初釜となりました。いずれ点前座に座れるようにがんばろうかと。

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さて、家に帰っての自宅のお稽古。

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お土産で頂いた”菱葩餅”。

ゴボウの良い香りもあり美味しい主菓子ですね。初釜で頂く機会が多いのでしょうね。
今週の家稽古でのお抹茶は、一保道茶舗の”丹頂の昔”。なかなか美味しいです。

家稽古も、遅くに帰宅してからなのであまり時間がありません(夜更かしすると次の日の朝トレに響く・・)。とはいえ、先生のお点前を拝見する限り、短い間でも集中してやらんといけないなと自認しました。

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さて、新春に向けて、去年の年末に茶道具を2つ購入しました。

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一つは今年の干支にちなんだ巳の蓋置き。安い物ですが、なかなか良い感じです。お気に入り。

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扇子の平棗

正月らしくて良い感じの平棗。プラスチック製ですが、平棗は持ちにくくお点前の練習にもなり良かったかなと。どちらも1000円台の安物ですが、こうやって季節に合わせた道具も楽しみの一つですね。その前にもっとお点前だろうという声が聞こえてきそうですが・・・・・。

 

2013年正月。実家での母親の茶道具での茶の湯。

あけましておめでとうございます。今年も今までどおり、食わず嫌いにならずあらゆる分野に興味深く関心を持ち、広くアンテナを張って過ごしてゆきたいと思います。今年もよろしくお願いします。

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年賀状””写真。蓋置が干支になっているのに加えて、柄杓と蓋置の影で”琵琶”を表現したかったのですが、どうもうまくいかず。これでは瓢箪に見えますよね。瓢箪でも縁起が良いので良いかなと思いましたが、やはり蛇+琵琶にしたかったので、年賀状は巳だけの違う構図の写真にしました。

さて、年末に実家の長野に帰省致しました。ウクライナで既に極寒を経験しているからか、毎年新幹線を降りる時に感じる”つーんとする寒さ”を感じず。両親に言わせればこの2,3日暖かいと言っていましたが。

さて、母親は20代の頃に少し裏千家で稽古をしていた事があるとのことでした。通っている内にお腹が大きくなってきて(兄)、やめてしまったそうですが、将来また稽古を再開するということで、先生に頼んで茶道具一式を揃えたそうです。その茶道具を使って実家で薄茶を点ててみることにしました。そういえば大学で上京するまでの18年間床の間に風炉釜(当時は風炉という言葉も知りませんでしたが)が飾ってあって完全に風景と化していましたが、今回その風炉釜が40年ぶりに再稼働させました(つまり、結局母親は稽古を再開しなかった)

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さて、40年ぶりなので内部が埃っぽいのと、風炉の灰を少し減らすために外に持ってきていろいろ掃除。風炉に灰が入っていたってことは少し使ったのかな?と母親に質問するも、まったく記憶がないとのこと。そこらじゅう拭いて、釜の部分は何度も水で流して清掃。炭での風炉点前なんぞ、なかなか練習できないので良いきっかけとなりました。

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”炭”自体は、当時買ってあったものがそのまま残っており良質な炭が大量にありました。ガスコンロで火をつけて、炭を配置。何度か試行錯誤を繰り返すことで火力や加減などがわかってきました。そもそも、農家の出身なので昔から野焼や山焼で炭はよく扱ってきました。この綺麗な炭がなくなっても、実家には炭がたくさんあるので扱いなどは大丈夫そうです(東京でやるには少し考慮が必要ですが)。あと炭が定期的に火花を飛ばしますが、そのために風炉の前にガード(名前がわからん)があるのも経験的に分かりました。東京の自宅で使っている電気式の風炉釜も見た目をそろえるために前にガードがありますが、これも実際に炭を使って火花が四方八方に飛ぶのを見ると見方が変わりますね。

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先日のブログで紹介したように、風炉先屏風を東京の家で購入頂きましたが、実家には無いようで、写真のように奥に父親の碁盤が写ってしまっています(笑)。風炉先重要ですね。また長野県ですので、やはり畳は江戸間。いつもより狭くて少し感覚が違いました。

さて両親、兄夫婦、姉夫婦に下手な点前ではありますが、薄茶を点てました。あと兄夫婦の甥っ子たちにも。彼らは走り回っていましたが(笑)。やはり炭の風炉は見た目貫禄あって良いですね。火力のコントロールは止められないので難しいのですが、水差しで調整するなどだいぶ慣れてきました。それにしてもこの風炉釜が沸騰温度近くになったときに”鳴き”は本当に良い音です。水を差すとまたすっと収まるのも良い音ですし。

さて、建水が抹茶色なのは理由がありまして後述。

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新幹線で上田駅に帰ってきた時、迎えに来てくれた母親に”お菓子屋さんないの?お茶の前に食べる主菓子を買いたい”と聞いたところ、家にお菓子があるよとのこと。そこで出てきたのが写真の主菓子。見た目はちょいと悪いですが、実家でとれたサツマイモと小豆(あんこ)で作った母親手作りのお菓子。とても素敵でした。東京ではそれこそ一個数百円もする主菓子を御菓子司から買ったりするのが当たり前でしたが、こうやって実家の自家製でさっと出されると、東京の生活をちょっと考えてしまいますね。これには少し感動しました。母親からすれば(正月だし)あんこもいくらでもあるのに、お菓子位さっと・・という感覚の様でしたが、”わび茶”なりいろいろ歴史を調べているにも関わらず、なんでも買って揃えている感覚が少しずれているなと。

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今回の抹茶は、(記事の公開が遅れていますが)先日行ってきた京都の醍醐寺で買ってきた金粉入りの抹茶。醍醐寺ですから、秀吉がモーレツに豪華な茶会を開いた記録が残っています。それに合わせて、金粉入りの抹茶が売っていました。正月にはちょうど良いかなと思ってその抹茶で点てました。写真で金粉見えるかな?

さて、金粉はめでたいので良いのですが、どうもこの抹茶があまりおいしくない・・・・・。いろいろ抹茶の量や、別に買ってきた一保堂茶舗の抹茶と比べてもやはり味が劣る・・・。一連の点前の後にいろいろ試行錯誤して抹茶を捨てたりしていたので前の写真の建水が緑になっているのでした。結果的にはやはり観光地で売っていた抹茶で金箔のみが売りの抹茶という結論になりそうですが、その前に釜の白湯の味が良くない。姉夫婦が昼に実家に来て、私は待せまいと、ガスの瞬間湯沸かし器で中途半端に温めたお湯を釜で加熱したのですが、やはりお茶に限らず経験的に瞬間湯沸かし器のお湯ってまずいですよね。その白湯のまずさが直接お茶にも出てしまっていました。感覚的にはそう思っていたのですが、今回金粉の不味の抹茶で”おかしいなー”と思った為にいろいろ試行錯誤をして、この白湯の味にも気が付きました。やはり水を一気に釜で沸かしたほうが白湯の味が良いですね。プラセボかな?(笑)

そういえば、帛紗さばきで”ちりうち”をしたところ、母親も稽古でちりうちをしたとのこと。そして茶道具と伴に出てきた教則本に”表千家”と。というわけで母親も表千家でした(笑)勘違いしていたようですが、40年前ですからそんなものかなと。私は一緒に稽古に行っているお友達以外表千家の方を見たことがないので、珍しいなと。

まだまだお点前が下手すぎて話にならないのですが、家族に薄茶を点てられたのはとても良い経験とお稽古になりました。特に炭を扱えたのが大きかったですし、先述の自家製菓子や、白湯の味などいろいろ学ぶことは多く楽しい”茶の湯”の帰省になりました。茶杓作りに挑戦しようと実家の山の畑から竹を持って帰ろうとしましたが、細い竹しかなくどうも作れそうにありませんでした。またそれは別途考えます。あと、先日、記事を書いた上田紬の反物も見てきました(参考:地元の伝統工芸”上田紬”と”真田紐”)。男性の反物は数が少なかったのですが、女性物の反物はかわいいものが多く素敵でした。いずれ上田紬の着物もほしいなと(聞くと、東京よりも仕立て代が安いみたいですし)

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さて・・。正月なので、ウチの檀家のお寺さんと、近くの神社に初詣に行ってきました。

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お世話になっているお寺の観音堂。激傾斜の石の階段が右側に。昔、この階段上るの怖かったなぁと思い出しました。ちなみに観音堂は年々傾いているそうです。怖い・・・。

天気も良く、茶の湯も楽しみ、兄弟の甥っ子・姪っ子にも会えた良い正月となりました。

 

 

******* 2013/01/02 追記 *************

さて、1月2日の午後に上京予定だったのですが、早朝に朝ランニングして、出発までにまた薄茶を点てました。

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そもそも表千家のお点前は、薄茶を点てるのにこれ以上省略できないところまで最適化されている訳ですが、今回また一つ良い経験がありました。湯を茶碗に入れ、茶筅通しをする訳ですが、四〇年間使われていなかった茶筅だからでしょうか?、この三日の点前で茶筅の先の一本がポキッと割れました(茶筅通しの時に)。茶筅通しは、茶筅の先の痛みを確認する意味があるのですが、こうやって古い道具で実際に茶筅から先が折れるとこの茶筅通しを省略せずにお点前に残っている理由が分かりますね。茶碗に1cm程度の竹片が入ったのはわかったのですが、そのまま点前をしたところ、茶巾で茶碗を拭く時点で回収できました。これが抹茶に入ってしまったら客の口に入ってしまう可能性がありますものね(もちろん水屋で仕組む時点で確認する必要があるとは思いますが)。やはりいろいろな環境で点前をするといろいろ経験することができますね。

地元の伝統工芸”上田紬”と”真田紐”

某ソーシャルサイトの企業ページで、”今週は上田紬を使ったコーディネート”というものをたまたま見かけました。その企業ページは、いろいろな着物の種類、コーディネートなどを紹介するもので、今週は実際に上田紬を作っている工房の方のご意見も含めた上で上田紬を使った着物を紹介するという内容でした。

以前ならこの内容でも見過ごしていたかもしれませんが、この数年着物を着るようになったのと、茶道を始めたことで目がとまりました。しかも地元である長野県上田市の伝統名産「上田紬」でした。そういえば18歳まで過ごしていた間に「上田紬」という単語は何度も耳にしたことがありました。その時の趣味・趣向で目に付くものは変化するわけですが、このたまたま良いタイミングで上田紬を見つけたので、少し調べ見ることにしました。

まず、実家の母親に電話してみたところ、

上田はそもそも紡績関係の会社も多く(現在は別業種に転換しているが)、日本で2つしかない”繊維学部”が、信州大学上田キャンパスにあるくらい元々紡績が盛んな街であったと。兄が勤めている会社も今は小型モーターなどの仕事をしているが元々は絹糸工業であったりと。そういえば、ウチの実家や母方の祖父・祖母の家でも昔、蚕を飼っていたことを思い出しました。山の畑は”桑”だらけで、その桑の切り株で足を怪我をして縫ったこともありますし(笑)。そんな紡績の街で、”上田紬”はもちろん有名らしく、母方の祖母ももちろん何着か上田紬の着物を持っていたとのこと。茶道の話を含めると、上田紬は物は良いけど、”紬”なのでやはり”格”の問題で茶会などには使えないのでは?あくまで普段・ちょっとした訪問着程度ではないかとのこと。(当たり前の事ですが)着物に格があることを思い出しました。茶道では、ちゃんとした席では格が最も高い袴である必要があります。それでも年末帰省時に地元の呉服屋に行ってみることにしました。いろいろ写真を見ると上田紬の風合いがとても綺麗だったので。

母方の祖母は、既に他界しておりますが、家庭科の先生でした。戦前生まれの家庭科の先生ですから、言ってみればこういった着物など布の扱いは特別と言えるほど器用で小さい頃に私が来ていた服、小物、帽子、バッグなど祖母の手作りの物が多かったことを思い出しました。近年着物を着るようになり、茶道を始めたことを母に話すと、祖母が元気だった頃にその話をしたらきっと凄く喜んだはずと言っていました。おそらく反物だけ持って行けば、仕立ててくれたでしょうし。父方も母方も両方の祖父・祖母にはとてもお世話になりましたが、父方の方は私が保育園の頃になくなってしまったので、色々と物心ついても思い出が多いのは母方の祖母・祖父です。祖父は中学校の理科の先生(なんと父親の担任)でしたので、よく勉強を教わった記憶がありますし、私が宇宙工学の道を目指すと聞いて喜んでくれていました。祖母に関しては泊まりにいっては、いろいろな躾をしてもらいましたし、面倒を見てもらった思い出がたくさんあります。私が和の道に入るのがもう少し早かったら、私に合わせて着物を仕立ててくれたのでは?と考えるとどうしても悔しくて仕方がありません。ばーちゃんが作ってくれた着物を着られるなんぞ、これほど嬉しいものはないなと。母親と話していて、いろいろ残念に思う一方、いろいろな祖母の記憶がよみがえり、そういえば器用なばーちゃんだったなぁと思い出してきました。着物や茶道を通して、上田紬の文字を見落とさず、それを通して、祖母をまた思い出せたのは良いきっかけになりました。

さて、上田紬を調べてみると、江戸時代前期からかなりの生産量だったようで、江戸や京都にまでその紬が行っていたようです。何せ紬は”普段着”ですから、ハレの日では無い限り大衆が普通に来ていたものであり、また江戸時代の「奢侈禁止令」(いわゆる贅沢禁止令)で絹は禁止になったりしたことから、紬の着物はかなり多く庶民に使われた様です。井原西鶴の「日本永代蔵」に上田紬の記述が残っているらしく、

「この手紬の碁盤縞は命知らずとて親仁(おやじ)の着たる」(一六八八年頃)

は?これ?という感じですが、この碁盤縞というのが上田紬の特徴らしく、”上田”の文字はなくともこの紬を指しているようで、命知らず=丈夫(やぶれない)という評価をもらっていたようです。紬といえば、鹿児島県奄美大島(+鹿児島市)の大島紬、茨城県結城市の結城紬が圧倒的ツートップに君臨しており、日本三大紬の三個目に、この上田紬か、新潟県塩沢町の塩沢紬か、石川県白山市の牛首紬のいずれかが入るようです(笑)。それぞれ三箇所とも三大紬と言えば自分の所と主張しており、省庁のお墨付きやら、重要文化財登録にするやら、ユネスコに申請するやらで、いろいろアピール合戦しているようです。別に地元の上田紬が三大に入るか否かはあまり興味がありませんが、wikipediaで上田紬のページがないので、少なくとも劣勢な様相です。そもそも長野県(信州)では明確に有名だった上田紬を、”信州紬”という名前で1975年に経産省で伝統的工芸品として認可されてしまったことにより知名度とアピール度が逆に下がってしまった感がありますね。これを上田紬にしておけば、江戸時代の生産量は確かなものだったようなのでもう少し結果は変わっていたかもしれません。

もともと絹糸を作る際にできる屑繭を集めて(つむいで)作ったのが紬ですから、当時の水仕事なり普段着に使っていたという紬の生成過程を踏まえ、紬の着物の格が低いのはしょうがないのかなと思いました。一方で洋服がこれだけ溢れた世の中では、紬であっても着物を着れば素敵な気分になる気がしますが、晴れの日・褻の日があるのが日本の伝統的な感覚ですから、悪い意味ではなく格が下の紬があるのは良いことだと思いました。善し悪しではなく、格の上下。実際、大島紬なんぞ絹糸で作っているようで、そもそも製法からして歴史的な紬とは様相が異なっているようですし、かなり高価なものの様ですが、紬という文化はこれからも残って欲しいですね。ネットで検索していると、先ほどの”贅沢禁止令”の中で絹が使えないという社会において、紬はその中でできる粋な着物であったと。いろいろ面白いですね。

上田紬を調べてみると、先ほどの上田紬の特徴である”碁盤縞”は、上田の戦国武将真田氏の”真田織”から来ていると。(文献をたどっていないので真偽はわからず)真田昌幸が上田に上田城を築城後、真田織という織物を始め、それが江戸時代になり、そのおこぼれからできる紬が上田紬になったという説があるようです。真田氏のお屋敷なんぞまさに実家から徒歩ですぐの距離にあり、小さい頃から真田氏最強伝説(地元びいき)を植え付けられて育ってきているわけですが(笑)、歴史を遡ると真田関連の織物から始まったことがわかりました。真田といえば、”真田紐”。これは私も着物を着始めた頃から和物集めで注目しており、上田駅にも売っているので、数本買って持っております。強い紐で有名で、大阪冬の陣・夏の陣でも強かった真田氏と掛けて”強い紐”で一躍有名になったと。上田紬から真田紐に繋がったので面白いなぁと思っていたところ、どうやら真田紐は京都にいろいろ工房があるようです。真田紐の発祥は真田氏というのはそれなりに定説のようですが、大阪冬・夏の陣以来、京都あたりでもその紐が伝わって工房ができたようです。その紐に注目したのが、なんと”千利休”。ただ、大阪の陣は利休が切腹するより後の時代なので、事前に真田紐が京都に伝わっていたのか、そもそも”真田紐”と今でこそ呼んでいる紐が既にあったのかなどは興味深いところ。

抹茶茶碗、棗(薄茶器)など茶道具は基本的に桐箱に入れられ、時の有力者(千家家元、大徳寺の和尚など)の銘が入って茶道具の格(+値段)が上がったりします。その桐箱をとじるのに使われる紐に真田紐を使うようにしたのが他ならぬ千利休とのこと。確かに家にある安い茶道具の桐箱にも紐があり、どこかで見たことあるようなと思っていましたが、まさか真田紐とはと驚いた次第です。まさに生まれ故郷の真田氏発祥の紐が、こうやって着物と茶道を通して繋がったのは不思議な縁と感じつつ、むしろそんな真田紐と茶道具の桐箱の関係なんぞ私が生まれる前から決まっていたことで、その関係を気づくようになったと考えるべきか。

上田紬をきっかけに、祖母との思い出、上田紬の歴史、真田紐に繋がって利休に繋がった興味深い探索でした。


四方右掛け・・・のつもり。ちゃんと出来ているかな?

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参考1)上田紬 伝統の技に歴史の風合いが息づく
参考2)千曲川の川風と蚕種製造
参考3)上田紬と真田紐
参考4:これはあくまで雑談程度に)紬はどうして普段着?
参考5)手織り 上田紬 小岩井紬工房