箱根・小田原方面に茶の湯に関係のある場所を訪ねてきました。
◆臨済宗大徳寺派 早雲寺 @箱根湯本
秀吉が小田原の北条氏を征伐した”小田原征伐”(1590年)は有名ですが、
参考:小田原征伐 | Wikipedia
参考:早雲寺公式サイト
参考:早雲寺 | Wikipedia
その秀吉が小田原城に攻め込む際に本陣を張ったのが、箱根湯本にある早雲寺です。早雲寺の沿革は上の公式サイトをご覧くだされ。詳しく記載されています。実に茶の湯に関わりのあるお寺だと分かります。利休も参禅し(お墓もある)た臨済宗大徳寺派ですし。
さて、秀吉の陣ですから利休も来ているわけです。利休の逸話はいろいろ残っていますが、この早雲寺でのエピソードはたくさんあって実に興味深く、是非来てみたいと思っていました。
さて、箱根湯本の駅から早雲寺までは歩けるのですが、”健脚坂(近道)”とぐるっとまわる道の2コースがあります。余裕で前者だと思って健脚坂を進んだのですが、泥だらけになりました(笑)あと蜘蛛の巣だらけ。上の写真のような自然たっぷりの中を歩かされます。皆さんが行かれる際には、ぐるっと回る普通のコースを歩くべきです。途中に箱根の郷土資料館もあるので。
さて、このお墓は`山上宗二`のお墓です。400年前の利休のエピソード、茶会の記録などが今に伝わってきているのは、利休の弟子(高弟)の山上宗二が、「山上宗二記」という著を残してくれたからです。多くの点で矛盾が指摘されている「南方録」に関して、宗二記は実に詳細で貴重な資料になっています。同等の内容で少しずつ修正しながら何冊か現存していて、一つは不審庵にあるのかな。
さて山上宗二といえば、秀吉と馬が合わなかったことで有名です。小説「利休をたずねよ」では、余計な口を聞いてしまい、耳と鼻を切られて殺されてしまう章がありますね。その宗二の墓が早雲寺にあります。つまり、本陣が早雲寺にあり、利休もいて、そこに小田原陣営から宗二が抜き出してきて、この早雲寺付近で秀吉に面会し打ち首にされたわけです。冬公開の映画「利休にたずねよ」では、宗二役が誰になるかも楽しみです。三國連太郎さんが利休役を務めた映画「利休」では、井川比佐志さんが宗二役で良い味だしていました。
北条5代の墓が写真の奥にあります。変な物が写るのもなんなのでこのあたりで。
一般の拝観は以上の外観のみ。奥に茶室があるようですが、見ることはできません。重要な文化財や、沢庵さんの書などいろいろあるようですが見ることはできません。たまに公開することもあるのかな?正直、茶室も拝観できないので、あまり見るものはないかもしれません。
さて、惣門の近くには立派な竹が生える竹林が。利休作(利休好み)の竹の花入れは実に有名ですが、初めて作ったのは利休が小田原攻めの際に作ったのが最初とのこと。つまりこの竹林などを見てあの竹の花入れを思いついたのかもしれません。(実際には伊豆韮山の竹で作ったようですが)
上野の東京国立博物館に、その時作った3つの花入れの一つ”園城寺”が現存されています。
参考:竹一重切花入 銘 園城寺 @ 東京国立博物館
さて、もう一つ。茶の湯では実にいろいろな棚(茶道具を飾る棚)があるわけですが、利休時代から形が変わらない棚の一つ”旅箪笥”の棚も、この小田原攻めの際に使ったという言い伝えがあるようです。旅箪笥ですから、京から小田原に移動する際に移動式で野点てができるということで、旅箪笥の棚が生まれたのでしょうか?千家の流派では、どのお流でも旅箪笥は稽古であるようなので、この早雲寺あたりで利休が使っていたと考えるとなかなか興味深いですね。
参考:旅箪笥の棚@茶道入門
秀吉・利休・宗二はじめ、多くの利休好みの道具が初めて使われた早雲寺は歴史を想起させる素敵なお寺でした。
さて、帰りは回り道のコースを通り、郷土資料館に寄りました。
箱根の歴史や発展の仕方、昔から世界的にも有名な行楽地であったこと、そして後述する近代の茶人達が別荘を建てた歴史などを学ぶことができました。なかなか面白買ったですよ。私以外に客は皆無でしたが。
さて、箱根登山鉄道に乗り込み、強羅まで上がります。
◆白雲洞茶苑@強羅公園
強羅駅から急坂を登っていくと強羅公園に到着します。公園に入るのは有料で、いろいろな施設がある強羅公園ですが、白雲洞茶苑という茶室があります。
参考:強羅公園白雲洞茶苑
白雲洞の茶室は、小田原の近代の3大茶人である、益田鈍翁→原三渓→松永耳庵にそろぞれ引き継がれた素晴らしい茶室です。三井物産の創始者であり(ウチの流派の先輩でもあり)、近代の大茶人として有名な益田孝氏(鈍翁)の別荘としてこの茶室を建てたのが始まりで、それぞれ二人に引き継がれ、現在は強羅公園内にあります(箱根登山鉄道所有)。原富太郎氏(三渓)は、横浜にある三渓園が有名で(参考:本ブログの三渓園の記事:三渓園に赴く。)、松永安左エ門氏(耳庵)は電力王として名高い財界人です。彼らが約100年少し前に茶の湯の魅力を再確認し、その財力で貴重な茶道具をコレクションしてくれたので、今こうやって世界大戦を乗り越えて残ったというのも事実だと思います。
露地を上がっていくと、不染庵、白雲洞、対字斎とよばれる2つの茶室と「田舎家の席」があります。いわゆる京都にある歴史のある茶室とは違い、近代茶人の趣向を取り入れた新しいスタイルの茶室と言えます。
薄茶を頂けます。すると中を見学できます。人も少なかったのでいろいろ解説頂きました。
箱根といえば・・・ということで寄付の横には温泉が。素敵すぎますね。
原三渓が増築した茶室:対字斎。
見えにくいですが、正面の山の頂上には、”大文字山”の”大”の字が見えます。眺めも最高の茶室です。八畳の広間。素晴らしいですな。
不染庵の四畳半の寄付。炉が切ってありますがここは寄付で、隣に二畳台目の茶室があります。
強羅は何度も来たことがありましたが直ぐにケーブルカー・ロープウェーと乗り継いでしまいあまりゆっくり回ったことがありませんでした。そもそも強羅は近代の富豪達がこぞって別荘と建てた地。近代茶人が三人に渡ってこの茶室を受け継いだのも分かります。
茶の湯に興味がなくとも、この強羅公園の白雲洞茶苑は、抹茶も頂けて露地も綺麗なので是非足をお運びくだされ。
さて、箱根登山鉄道を下りて箱根湯本へ。そして小田原駅に向かう途中で`箱根板橋駅`で下車し松永記念館に向かいます。
◆松永記念館@小田原市
公式サイト:小田原市 郷土文化館・分館松永記念館
参考:松永耳庵 | Wikipedia
上記名前の通り、小田原三大茶人の一人:松永耳庵の最後の邸宅を、小田原市に寄し記念館にしたものです。
この記念館には、耳庵の邸宅「老欅荘」(もちろん茶室あり)、ほか3つの茶室は一般利用が可能で、茶会・茶事を催す事ができます。
少し歩いて行くと(登っていくと)、「老欅荘」が見えてきました。イマイチな写真ですが、どのくらい自然に囲まれているか伝わるかなと。楓が多いので秋の紅葉は綺麗でしょうね。
露地に入って行きます。基本的に自由に見学自由です(中にも上がれますし、説明もして頂けます)
客は、この露地を通って躙口から茶室内へ。歴代の財界人、代議士達もこの躙口を潜って耳庵と供に日本の政治の話をここでしたのでしょうか。
躙口より茶室をのぞく。床。こうやって自由に外から眺められるほど開放されている茶室も珍しく細かいところまで見ることができて勉強になりました。
茶室(松下亭)は、四畳半台目。オーソドックスなデザインかな。
将来家に茶室を設けるなら、三畳台目か四畳半台目かなぁ。と妄想してみたり(笑)
「老欅荘」の案内図。クリックすると拡大。素敵な数寄屋建築の邸宅でした。
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箱根は何度も行ったことがありましたが、茶の湯の視点で見るとまた違った楽しみがありました。早雲寺は一般拝観に限りがあるので少し残念ですが、強羅公園の白雲洞と、松永記念館(耳庵の邸宅)は実に素晴らしい日本庭園と茶室で感動致しました。原三渓の三渓園と供に、近代の三大茶人の偉大さと彼らの茶の湯のスタイルを見ることができます。伝統的な京都の茶の湯から少し現代風にアレンジというか、茶の湯を愉しんだということが随所に感じられて興味深い(日帰りの)旅となりました。
「早雲寺、白雲洞茶苑@強羅公園、松永記念館:小田原の近代三茶人をたずねる。」への1件のフィードバック