第二回:続”茶の湯”を辿りに京都へ赴く(二日目)

”茶の湯”に関する京都への旅に再び行ってきました。その二日目の記事です。

参考(一日目の記事:この記事の前編):第二回:続”茶の湯”を辿りに京都へ赴く(一日目)
参考(前回の京都の旅「一泊二日」):”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(一日目)

さて、ビジネスホテルの朝食をできるだけ早く食べて出発。今回もAPAホテルを利用しましたが、さすがは京都・・・。ビジネスホテルとはいえ高いです。京都の宿は、こういったビジネスホテル以外の選択を考えないと。

本当は、東山区鷲尾の西行庵の朝茶(朝5時 or 6時)に行ってみたかったのですが、一人では予約も出来ず。京懐石などもそうですが、やはり京都は一人で行くのはいろいろ不利ですな(笑)門前払いとはこのこと。

さて、京都駅(JR)→向日町駅→(バス)→南春日町バス停という移動・・・。遠い・・。
大原野神社に向かいます。

今回の写真も全てクリックすると拡大します。細部をご覧になりたい方は。

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周辺地図を一応掲載(クリックすると拡大)

◆其之九:大原野神社(おおはらのじんじゃ)

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大原野神社(おおはらのじんじゃ)の解説板。クリックすると拡大。

大原野神社公式サイト:http://oharano-jinja.jp/

この神社の由来は公式サイトなどをご覧頂きたいですが、784年に平城京→長岡京に遷都の際に、春日大社の分霊を遷し祀ることにしたのが起こりとのこと。1200年以上の歴史があります。

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大原野神社 一の鳥居

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(酷い写真ですが)鯉沢の池

この時期は何もないですが、かきつばた、水蓮の花が綺麗とのこと。

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千里桜 : 春に来れば綺麗でしょう。

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本殿 ちょうど朝9時で祈祷(?)されていました。

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本殿。

さて、これだけですと歴史のある神社の紹介で、一見`茶の湯`に関わりがないようですが・・。

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なんと、茶筅形。おみくじをくくりつける竹の置き物。

どうやら、ある茶の流派の方達が、茶会や茶筅供養などこの神社で以前やっていたことから来ているようです。

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春日乃茶屋

神社内に春日乃茶屋というのがあります。ここで薄茶でも頂きたかったのですが、営業していませんでした。

さて、大原野に来たのは、この大原野神社だけではなく、勝持寺を見たかったからです。大原野神社からすぐ近くなので歩いて向かいます。その道が実に素晴らしく。

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素晴らしい太さの竹が生える竹林

野上彌生子の小説『秀吉と利休』をベースとした映画「利休」で、利休役の三國連太郎が竹林に入って、”竹を一本貰うよ・・”というシーンがあるですが、あんな太い竹林なんぞ京都には普通にあるのかな?(あのシーンは小田原界隈かもしれませんが)と思っていましたが、やはりあるのですね。正月に実家に返った際に、茶杓用に実家の竹林を見に行きましたが、とても細くて茶杓にはむきませんでした。こうやって、写真の様なガッツリ太い竹を見ると、確かにの花入れを作りたくなりますね。一本持って帰りたかったです(もちろんダメ)

◆其之十:勝持寺(しょうじじ):花の寺

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勝持寺に到着したとおもったら、あれれ門が閉まってる。どうやら2月は一般拝観はしていないようで、拝観したい場合はインターフォンで呼び出して門を開けて貰う必要があるとのこと。勝持寺は、”花の寺”として知られ桜が極めて有名なお寺です。きっとこの2月に来る方は少ないのでしょうね。季節外れに勝持寺を訪れる際には、事前に問い合わせください。

勝持寺公式サイト:http://www.shoujiji.jp/

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西行桜

西行さんが植えたと伝わるこの”西行桜”が有名で花の寺と呼ばれるようになったとのこと。

お寺の由来を公式サイトより引用。

当山は、京の西山連峯の麓にあって、小塩山大原院勝持寺と呼ぶ古刹であります。白鳳8年(西暦679年)天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者が創建したのが始まりで、延暦10年(西暦791年)に伝教大師が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽羅を再建され、薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻まれて本尊とされました。

このお寺も非常に歴史があるのですが、1140年にこの寺で出家して”西行”と名乗ったことで有名なお寺でもあります。西行さんが出家したのがこの勝持寺で、朝茶に”行けなかった”西行庵が、西行さん最後の地とのことです。さて、この勝持寺を訪れたのは、このお寺で”闘茶”を行っていたという記録があるため。

前回の京都の茶の起源を訪ねる旅(二日目)で、高山寺の栂尾茶の茶畑を見てきました。栂尾茶は本茶と呼ばれ、それ以外と区別されていたようです。”闘茶”は、その茶が本茶か否かを当てるゲームであり、一時流行ったとのこと。このお寺は花が綺麗なので、花見をしながら闘茶がとても盛り上がったようです。今は闘茶にかかわらず茶事などの行事もないようです。

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解説板。クリックすると拡大

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2月は拝観者が少ないとのことですが、椿が庭中に。むしろ茶の湯の方達は2月頃来て、静かに見て回るのも良いかもしれません(おそらく桜の季節にきたら意見がかわる来もしますが(笑))

(*さてこの記事を書くのが遅くなってしまい、今はもう3月も下旬。京も東京と同様に桜の開花が今年は早いようですので、今頃勝持寺は桜満開かもしれません)

さて、ここでもバスの時間を調べておいたので、南春日町バス停にダッシュで戻ります。バスで向日町駅に戻り、JRで京都駅に戻ります。そして、京阪電車で八幡市駅に向かいます。

◆其之十一:松花堂 庭園・美術館(しょうかどう)

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松花堂美術館(どうでもよい写真ですが・・・)

松花堂庭園・美術館公式サイト:http://www.yawata-bunka.jp/syokado/

さて、前日に本阿弥光悦の光悦寺に行って参りましたが、光悦と共に寛永の三筆として、書の達人であり、茶人としても名高い松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)の邸宅があった松花堂庭園、および美術館に向かいました。はっきり言って勝持寺あたりからだと公共の交通の便が悪くかなり時間がかかりました。車があればだいぶ違ったかもしれませんが、観光シーズンだと車は渋滞の可能性もあり難しいところです。

写真の美術館は庭園を見た後に見に行ってきました。松花堂昭乗の生い立ち・文化人との交流など歴史を学べます。利休の時代よりも新しく、小堀遠州との交流が深かったため、少し茶風も変わってきていたのでしょうね。そういえば、美術館の内容を含めどんな茶風であったのかは、あまり書かれていなかったような・・(気が付かなかっただけかな)

庭園とこの美術館の間に、「きっちょう」松花堂店があります。松花堂といえば松花堂弁当を思い浮かべる方もいるかと思いますが、その松花堂弁当の発祥はもちろんココ。そこでここの「吉兆」では元祖松花堂弁当のランチを頂けます。今回は時間がなかったので頂けませんでしたが。

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数寄屋”梅隠”(再現したもの)

松花堂庭園は数寄屋(茶室)がたくさんあります。一般でも予約すれば使えるようで茶事などに使われている様ですね。この”梅隠”は、利休の孫”千宗旦”好みの四畳半の数寄屋を再現したもの。という様に私が解説するよりは・・・

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茶室「梅隠」の解説板。クリックすると拡大。

このようにそれぞれの茶室に間取りも含め解説されています。

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蹲(つくばい)も。

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数寄屋「松隠」

小堀遠州の数寄屋「閑雲軒」を数寄屋研究の第一人者中村昌生先生が再現された茶室とのこと。4畳台目。数寄屋を学ぶときに中村先生の本は避けては通れないですね。家にも数冊あります。数寄屋の研究とはなんと優雅な。

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「松隠」の蹲。こんなに高い位置に。元々床の高い建築の様で。どうやって手を清めるかこの高さだと分かりません(・・・と外からやるわけではないのかな??)

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さて、「梅隠」「松隠」と来て、

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数寄屋「竹隠」

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この「竹隠」は、千宗旦・小堀遠州などの再現ではなく、現代の数寄屋大工(茶室専門の大工)が現代の技術を使って作った茶室とのこと。右奥には金色の竹が見えますでしょうか?

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「竹隠」から見える金明孟宗竹

竹の中で最も美しいと言われる金色の竹「金明孟宗竹」が「竹隠」からは見え、借景としています。素敵です。

ちなみに松竹梅の茶室。それぞれの茶室は一般人でも利用できるようですね。
http://www.yawata-bunka.jp/syokado/shiyou/index.htm
これによると竹隠で15000円。意外と安い??

さて、いよいよ松花堂昭乗の草庵茶室「松花堂」に向かいます。しかし写真禁制でした。しかも茶室「松花堂」自体も工事中で外観が見えないという・・・。少し遠くから覗きましたが小さな草庵で、晩年多くの昭乗の友達(超一流文化人達)が気楽に遊びに来ていた雰囲気が出ておりました。昭乗が寛永14年(1637)に建てたもので(復元ではない)、京都の有形文化財となっています。

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とにかく松花堂庭園は綺麗でした。ちょいと京都市内から遠いですが、数寄屋(茶室)にご興味があれば是非に。

◆其之十二:朝日焼窯元@宇治(あさひやき)

さて、宇治にやってきました。

京都の焼き物といえば、樂焼、京焼、清水焼、御室焼と・・・・朝日焼。

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朝日焼(窯元)

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朝日焼(窯元)

宇治の窯元 ”朝日焼” 公式サイト:http://asahiyaki.com/

茶の湯と共に400年の歴史のある窯元。宇治に訪れた際に是非足を運ぼうと思っていました。現15世にはお二人の男性のお子様がいて、お二人とも陶芸をされているとのこと。弟さんは、今までの朝日焼とは違うテイスト(というより全然違った)で作品を作り、兄弟でコラボしたりいろいろ試しているようですね。長男さん(次期16世の方)の作品を拝見しましたが、素敵でした。買うなら値段の安い今のうちですかね(笑)先日の多治見に行った際にも同世代の`次`代が活躍していましたが、こうやって家を繋いでいくのも大変ですが素敵な文化ですね。(当たり前ですが)茶の湯もされているとのこと。

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福寿園の宇治工房が朝日焼窯元の隣にありました。とりあえず、家稽古用の抹茶を買ってきました。

◆其之十三:通圓(つうえん)

さて、宇治と言えば、宇治橋のたもとにある通圓。

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通圓(つうえん)

通圓公式サイト:http://www.tsuentea.com/

もともと武家であり、宇治の橋の橋守などから商売をはじめ、橋を渡る人々にお茶を配り(売り)売り続けて853年。すごい歴史です。実際には前回の京都の旅の記事でも書いたように、栄西さんが茶の種を持ってきて建仁寺を建立したのは、1202年ですから通圓創業(1160年)より後です。その旨を通圓のご主人に質問したところ、最初は上記の様に、橋守などから始めたようです。茶の起源を自分の足で歩いておきますと、こういう無駄な知識が付きますね(笑)

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さて遅いお昼。茶そば。

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続けて、薄茶と茶だんご。

さて、お土産に”橋守の昔”という抹茶を買ってきました。家稽古に使いましたが、とても美味しかったです。少なくとも今までの家稽古(ウチの水、釜などの環境を含めた)では一番美味しく。また通販で取り寄せようかと。

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宇治橋

さて、通圓では、秀頼から茶会用の水を汲んでくる仕事を頼まれたらしく(第10代、第11代)、今でも10月に宇治橋三の間から水汲をくむ茶祭りをされているとのことです。素敵ですね。一度見てみたいです。

さて、もう新幹線の時間が近く、上林春松本店で徳川家康が愛した”祖母昔(ばばのむかし)”の濃茶用抹茶を速攻で買って京都駅に戻り新幹線に飛び乗りました。

今回の2回目の京都の旅も実に素敵な旅となりました。1回目が茶の起源+利休に関する旅、今回は利休より少し新しい時代の茶人などや、広義な意味で茶に関する場所・寺院を訪ねました。京懐石も実に美味しく、やはり素敵な町ですね。また近々、今度は誰か茶の湯好きな人を誘って、二人以上から予約できる各所を訪ねたいと思います。

第二回:続”茶の湯”を辿りに京都へ赴く(一日目)

去年(2012)12月に”茶の起源”を訪ねて京都に行ってきましたが、再度行ってきました。一泊二日で。

前回の旅の記事(参考):”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(一日目)

前回の旅では、千利休とその関係者にスポットを当て、また茶の種を日本に持ち帰ってきた栄西さん関連の茶の種の流れを中心に京都を回りました。大方そのテーマでは回り終わってしまったので、今回はもうちょっと時代をずらして、茶の湯に関わりのある人・場所を巡ってきました。さすがに京都の交通機関も慣れてきましたが、結果としては、Google Maps(スマホのGoogle Mapsアプリで現在値から行き先で検索)で検索する方法が、ほぼ正確で最短・最速だと思いました。偉大です。

*写真は全てクリックすると拡大。文字など見えにくい際には。

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朝9時に京都に到着。まずは大原に向かいます。京都駅からバスで向かうと時間がかかるので、地下鉄も併用。京都駅周辺は曇りでしたが、山の方は雪の予報。

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京都タワーはなにやら工事中で先端に網が掛かっていました。

 ◆其之一:三千院(さんぜんいん)

三千院最寄りの”大原バス停”で下りたら帰りのバスの時間をチェックすべきです。当たり前の事ですが、大原くらい京都中心地から離れてしまうと、効率良く観光するには、計画通りに進まないとあっと言う間に時間が過ぎてしまいます。まぁ京都に来ているのですから時間を気にせず見るべきとも思いますが・・・。

さて、大原は雪景色でした!

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大原のバス停から三千院までの参道も雪景色。綺麗でした。

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三千院門跡。雪で綺麗でした。

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三千院の説明は、看板にお任せしましょう。クリックすると拡大。

参考:三千院公式サイト
参考:三千院 | Wikipedia

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雪の大原三千院は本当に素敵でした。

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宸殿

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中には、国宝の阿弥陀三尊坐像が。

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わらべ地蔵も雪を被っていました。

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さて、この日は、”初午大根炊き”の日でした。ラッキーでした。
幸せを呼ぶといわれているそうです。無料で大根を配っていました。2つ頂いたり。寒かったので体もあたたまり。

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本日一服目の薄茶。

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三千院は、直接茶の湯に関わりのあるお寺ではございません。しかし薄茶を頂けますし、この大原という地域が綺麗ですし、お寺全体の雰囲気が山の中で静かで素晴らしかったです。

さて、直ぐにバスに飛び乗り大原を離れます。大原は、その地域で取れた野菜・野花などが豊富で、その市場もあるようです。茶人達は茶事の日の早朝に、大原を訪れて季節の物を買っていくとか・・・。とにかくのどかな大原の地域で最初から癒されました。

 ◆其之二:通圓寺(ついえんじ)

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さて、圓通寺にやってきました。

公式サイト:円通寺 (京都市) – Wikipedia

圓通寺は素晴らしすぎて腰が抜けるかと。

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さて、圓通寺の沿革は看板で(手抜き)。クリックすると拡大。

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枯山水式の圓通寺庭園。日本の名勝。素晴らしき事限りなし。

この庭園は”借景”(しゃくけい)を使っています。つまり、写真にも写っている毎日姿を変える(一日として同じ姿のない)比叡山の姿を”借”りて完成させる庭の風”景”。それで借景。しかもこの庭園には、今の時代では奇跡的に電柱などの人工物が一切入り込まず、その景観を維持しています。庭の石は、ほんの一部だけを覗かしているだけで、下に深く沈み込み(遠くから持ってきた)、植えてある花も非常に多数に及び。圓通寺の庭園は本当に素晴らしかったです。また、霊元天皇宸翰消息という重要文化財も見られます。写真は最近になって、庭園側のみ撮影可能ですが、借景ですから、カメラで残しても意味がありません。

ここでも薄茶を頂きました。(室内なので写真撮影は禁止)。二服目。

さて、圓通寺を出て、どんどん京都市内に向かって移動します。

◆其之三:光悦寺(こうえつじ)

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さて、書でも、茶碗でも有名な多才な茶人”本阿弥光悦”の光悦寺にやってきました。

八つもの数寄屋(茶室)があるお寺として有名です。

参考:光悦寺 | Wikipedia

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光悦寺内は素敵な景観が続いていました。静かで綺麗です。

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数寄屋:”三巴亭”

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数寄屋:”大虚庵”と、竹の垣根の”光悦垣”

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数寄屋:”了寂軒”

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数寄屋:”本阿弥庵”

近づけない数寄屋(茶室)も多く、そもそも中も覗けないので庭や外観しか楽しめず・・・。天気が悪かったので写真はありませんが、光悦寺から見える3つの山(鷹峰三山=鷹ヶ峯、鷲ヶ峰、天ヶ峰)の山並みはとても静けさがあり素敵でした。

数寄屋に関しては、普段から内覧などで解放されることはなく、私の様な一般人が入れる可能性があれば、年に1回行われる光悦会という茶会しか方法は無いようです。しかし、光悦会は正に本阿弥光悦にちなんだ茶会・茶事なので、家元クラスの人々が行うもので格式が高すぎて行くのは相当困難とのこと。最終日だけは、それでも少し一般人側の枠があるようですが、それでも東京在住で茶の湯の”いろは”も分かっておらず、そもそも光悦会に`つて`も無い私では実質参加は不可能に近い様です。いつか行かれると良いですが、客の作法も含め中途半端な状況ではいけないなと。

光悦の茶碗は私も結構好きなので、おそらく光悦作の樂も出ると思うので、いつかは・・なんていう気持ちも。京の方がこのブログを読んだら論外過ぎて鼻で笑ってそうですが・・(笑)

また、昭和40年くらいまでは数寄屋の中も自由に見ることが出来たようです。近所のやんちゃ坊主がボール遊びなどをして痛むので内覧禁止になったという話が・・・(ホントかな?)

上の光悦会などの話は、光悦寺の近くにある”光悦茶屋”のご主人に薄茶を頂きながら、お話しを伺いました。本日三服目。是非、光悦寺に行く際にはお寄りください。せっかく茶人で有名な光悦寺に来たのに抹茶を頂かないわけにはいかず!

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参考:光悦茶屋(食べログ)

さて、光悦寺から歩いて鹿苑寺へ。20~30分歩いたかな。

 ◆其之四:鹿苑寺(舎利殿`金閣`が有名な):夕佳亭(ろくおんじ・きんかくじ・せっかてい)

京都と言えば金色の舎利殿`金閣`が有名な鹿苑寺。今回は舎利殿を見たかったわけではなく、裏にある茶室:夕佳亭(せっかてい)を見るために。

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舎利殿。中学校の修学旅行以来ですが、やはり大人気で多くの観光客が居ました。個人的に、この舎利殿はセンスレスな建物だなぁと・・。放火焼失前の写真などを見ると、金箔が剥げているだけらしいですが、何となく趣があって良いかなと。さて、さっさと先に進んで夕佳亭へ向かいます。

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夕佳亭

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茶室ではなく、”茶席”と書いてありますね。クリックすると拡大。

その名の通り、夕方に金閣が誠に美しく見えることから名付けられた茶席の様です。荒廃が激しく、野ざらしの為、状態はかなり良くないです。大徳寺で禅を学んだ金森宗和の設計の様です。

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とりあえず、観光客がものすごい中、一応鹿苑寺でも薄茶を。四服目。

さて、仁和寺に向かいます(近いので)

 ◆其之五:仁和寺(にんなじ)

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仁和寺の二王門。”仁”王門じゃないですよ。こだわって”二”王門。タクシーがなかなか動かず、日も落ちてきたのでフレームアウトできず。北野天満宮などもそうでしたが、山門前にタクシー乗り付けはなんとかならないものか・・・。

仁和寺公式サイト:http://www.ninnaji.or.jp

さて、仁和寺に来たのは、金堂、五重塔などもありますが、尾形光琳の数寄屋”遼廓亭(りょうかくてい)”が目的です。しかし全くの調査不足で突然行って拝観はできませんでした・・。二畳半台目の小さな数寄屋ということで、是非見たかったのですが残念です。拝観するには、事前予約が必要とのことでした。準備不足でした。仕方がないので金堂などを拝観。

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仁和寺 金堂(国宝)

完璧すぎて説明する必要もなく。仁和寺は、国宝と重要文化財だらけです。

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仁和寺の後に、銀閣に向かう予定でしたが、拝観時間を考えると寺院拝観はこの日は仁和寺で最後。とりあえず夜の京懐石の予約時間までまだあったので、市内を少し。

 ◆其之六:表千家不審庵(おもてせんけ・ふしんあん)

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おきまりの表千家不審庵も。ただ、私は川上不白を祖とする表千家なので厳密にはここは家元の家元なのですが(上層のことはよくわからん)。
その後対面にある茶道具やましたさんにも寄り、稽古帛紗を購入。

◆其之七:裏千家今日庵(うらせんけ・きょうあん)

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不審庵のお隣(お裏と表現すべきか)にある裏千家今日庵。5時過ぎていたので門が閉まっています。お友達はお裏の方が多いので、今日庵写真も紹介。

今日庵の対面にある本法寺もふらっと見てきました。本法寺は”利休居士像”で有名で且つ、利休とも親交の深かった長谷川等伯が一時寝泊まりしていた寺です。その為、等伯の資料などいろいろ残っているようですが、5時過ぎているため中には入れず。また庭園のプロデュースは、本阿弥光悦が行っており、それもまた茶の湯・利休に近いお寺でもあります。さて、時間も遅くなってきたので、京懐石を食べに祇園に向かいます。

◆其之八:京懐石 さくら

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今回は、京懐石「石塀小路さくら」で食事。菊乃井などにも連絡をいれたのですが、やはり一人では予約できず・・・。この辺が京懐石は難しいところです。とりあえず、一人でも受け入れてくれた石塀小路さくらさんで。おいしかったですね。お店の雰囲気もよく、お皿などを置く手つきなど料理人としての所作も綺麗でした。

さて、ほどよく酔っ払って京都駅前のビジネスホテルで一泊。一日目から非常に素晴らしい京都を巡ることができました。

二日目の記事に続きます

 

“美濃焼”を巡りに岐阜(多治見市)に赴く。

先日、美濃焼を訪ねに岐阜県多治見市・土岐市周辺に行ってきました。とりあえず日本の有名所の窯元はいろいろ回ってみようかと。有名窯元と焼き物はウェブでいくらでも調べられますが、やはり数が多くてウェブを斜め読みしても頭に入りませんし、やはりどういう点に特徴があるのかよく分かりません。そこで、時間を見つけてはその土地を訪ねて、地元の美術館・博物館で歴史を学び、できれば窯元に赴き、地元販売店を回ってみようと思っています。先日も京都の旅で樂焼の美術館に行ってきました(参考:”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(一日目))がやはり地元に行くと見聞が広がりますね。可能であれば、安価なその土地の作品(抹茶茶碗など)を買ってこられればと考えています。もちろん有名な焼き物の土地では人間国宝やら国宝・重要文化財で数十万・数百万越えは当たり前の世界ですが、安価な物でもその土地の特色が現れている茶道具を購入できれば行ってきた記念になるかなと。その特徴を掴んでおけば、茶の湯の先生の道具や、各茶事、美術館に行ったときに自分の物と比較して何が違うのかなどを分かるのではと思っています。ウェブだけ見ていてもよく分からず、実際に使って確かめないと違いの分からない古い頭の構造なもので・・・。

旅の目的:
1)美濃という土地を訪れる。
2)美濃焼の歴史を学ぶ
3)数多くある美濃焼の種類の見分けくらい出来るようになる
4)(可能であれば)美濃焼らしい、美濃焼を買ってくる。

さて、美濃焼ですが、美濃焼という総称の中に多くの焼き物名があります。瀬戸黒、黄瀬戸、志野、鼠志野、織部、黒織部、織部黒の有名どころから、美濃唐津、美濃伊賀など細かいところまで入れるとかなりの種類になるようです。そもそも愛知県瀬戸市の瀬戸焼と歴史的に一緒?(場所も近く)と判定されていて瀬戸黒・黄瀬戸に”瀬戸”という名前が付いていたようです。実際には、瀬戸焼とは別の系統だと分かり、瀬戸黒、黄瀬戸は”瀬戸”の名前がついていながらも、美濃の地オリジナルとのこと。美濃唐津・美濃伊賀なども、美濃と唐津のコラボと考えるよりは、美濃の地で焼いた唐津風などと理解するのが良い様です。

参考:美濃焼Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E6%BF%83%E7%84%BC

美濃焼といえば、現在の岐阜県の多治見市・土岐市に多くの窯元・ミュージアム・販売店があるのですが、どこに行くべきかの観光情報がネット上に極めて乏しいと言わざるを得ません。少なくとも多治見市と土岐市は分断されて情報が公開されているのと、そもそもそれぞれのサイトの情報が乏しく、どこに行けば良いのかなどがネットだけでは全然わかりません。是非、美濃焼の総本山サイトをつくって、場所・時間・オススメコースなどの情報をまとめて欲しいものです。

こういう焼き物の地を訪れるのに難しいのは、焼き物も用途や価格帯が多岐に渡っており、私の様に茶道具として陶器を見たい人か、一般ダイニング用途の皿などを探しているとかで見学したいコースが変わります。前者だったら、博物館で歴史を学び、できれば窯元で実際の釜の見学や体験、そして焼き物を買うのも、大衆焼き物ではなく、茶道具としての観点で集められたお店などを訪れたいと思っています。

実際には、多治見駅の改札降りた所の観光窓口で現地マップを頂き、そこで窓口の方にいろいろバスの時間などを聞くことができました。あの現地マップがウェブに上がっているわけでもないので困った物です。現地で聞けば良いじゃんと言われればそれまでですが、実際にどのくらいの時間がかかるかなど事前に分からないとスケジュールも立てられないなと。

参考にならなかったけど、一応関連サイト

多治見市産業観光課
土岐市観光情報

私として、事前に関連場所をGoogle Mapsのマイプレイスにプロットしたので、一応紹介。

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Google Maps マイプレイス “美濃焼巡り” :
https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=215077276734274781333.0004d31711ac372f393e3&msa=0

 

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さて、スタートは多治見駅から。改札口出たところの観光窓口は行くべきです。この窓口機能がウェブに上がっていた欲しいものです(できれば、多治見+土岐を超越して)

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多治見市美濃焼ミュージアム。 最初にここに行くのはオススメです。多治見駅から、周遊バスで向かうことができます。駅の観光窓口で300円チケットを買っておけば、一日で何度でも周遊バスに乗り降り可能なのでオススメです。1時間に1本程度なので時間は注意が必要です。

公式サイト:http://www.tajimi-bunka.or.jp/minoyaki_museum/

さて、このミュージアムで美濃焼の歴史の大半は学べるのでとてもよいミュージアムだと思いました。瀬戸黒・黄瀬戸から始まった美濃焼の歴史や、現代の日本国宝連発の現代美濃焼の作品が見られます。一度種類の違いが分かってしまえば大した事がないのですが、このミュージアムで実際に作品を見ることで、美濃焼の多くの種類の差がよく分かるようになりました。

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この志野焼は、人間国宝の加藤孝造先生の志野焼です。ミュージアムには、簡易的な茶室的な空間があり、現代の人間国宝の人達の抹茶茶碗で薄茶を頂けます。正直、頂いた薄茶自体は残念なレベルと言わざるを得ませんが、加藤先生の茶碗を実際に使わせて頂き、いろいろ感じた事がありました。

さて、周遊バスの時間を見て、バスに乗り。

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修道院前で下りました。この神言修道院(多治見修道院)は男性の修道士のみの修道院としては、日本でも珍しいようです。院内でブドウを作っていて自家製ワインなどもやっているようです。

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修道院前で下りたのは、この美濃焼園という美濃焼の販売店を訪れる為です。この後に行く”本町オリベストリート”でも販売店は多いのですが、結果的には茶道具として考えた場合はこの美濃焼園はなかなか良い品揃えだと思いました。 店主もマニアックです。茶道具としての美濃焼の各種(志野・織部・・・)が5000円くらいから数百万円クラスまで数多く扱っているので予算に合わせて選ぶことができるでしょう。

美濃焼園サイト:http://www.minoyakien.co.jp/

さて、美濃焼園のサイトにも解説してありますが、美濃焼園は2つに売り場が分かれています。

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この”美濃工芸館”は、美濃焼園のすぐ左隣に隣接しています。

美濃焼といえば、安土桃山時代に大成し・・と400年以上の歴史がありますが、現代の美濃焼の作家先生たちにも2つのベクトルがあると美濃焼園の店主は考えて居るようです。つまり、本来の歴史ある美濃焼を目指している伝統的な作家と、いわゆる現代の美濃という土地で新しいスタイル・自己表現している作家と。この”美濃工芸館”は、前者の古き桃山時代の伝統的な美濃焼を目指した作家の作品を集めて販売しているとのこと。このコダワリは美濃焼園のサイトにがっつり書いてあるので興味があればご覧くだされ。

これはどちらが良いかは好みにも寄るので甲乙付けがたいですが、私は工芸館の方で抹茶茶碗を選ばせて頂きました。今回の旅では、美濃焼らしい”志野焼”と、個人的に造形がかっこいい”瀬戸黒”をさがしていましたが、瀬戸黒の方は高価で手が出ませんでした。やはり、瀬戸黒は引き出さないといけないため、手間がかかり、多くは焼けず、そのあたりの関係でなかなか安い瀬戸黒はありませんでした。

さて、駅の観光窓口で聞いたところ、美濃焼を買うなら”本町オリベストリート”に何店か集まっているので・・と紹介されました。美濃焼園から少し距離がありますが、歩けない距離ではないのと、バスのタイミングが悪かったので徒歩で向かいます。

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本町オリベストリートに到着。美濃焼の販売店が集まっています。

参考:多治見の観光スポット(本町オリベストリート始め、いろいろ紹介されている)

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まずは、澤千でランチ。どうやらこの辺りは鰻で有名みたいですね。美味しかったです。

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ランチ後、本町オリベストリートのお店を全て回りました。写真はその一つの”うつわ亭
この”うつわ亭”さんは、お店も広く、綺麗で美濃焼のいろいろな物(食器など多数)扱っていました。茶道具以外の物は何でも揃う感じでした。
その他何店舗か見ましたが、やはり茶道具として見たときの品揃えは(個人的な感想では)イマイチでした。

結局、本町オリベストリートの各店舗を回り、そのまま多治見駅に向かって、(その途中でも一店舗あったかな)戻りました。

****************

今回は、ミュージアム、美濃焼園、本町オリベストリート全店舗を回りましたが、多治見の他のスポットといえば、市之倉地域です。市之倉さかづき美術館と、幸兵衛窯が有名です。今回は時間の関係で回れませんでしたが、是非次回訪れてみようと思います。幸兵衛窯の加藤亮太郎氏は、私の4つ上で歳も近く精力的に作品を作られています。先日、しぶや黒田陶苑でも作品を拝見しましたが、瀬戸黒の抹茶茶碗が非常に素晴らしかったです。

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さて、家に帰ってきました。今回の旅は、岐阜市在住の友達と一緒に回り、写真の柿のお菓子をお土産に頂きました。早速、志野茶碗と共に。今回悩み抜いて買ってきた志野茶碗は、高価な物ではありませんが、なかなか良い形と色で良い感じです。何気なく選んだのですが、この旅の後に行った三井記念美術館で見た”国宝:志野茶碗 銘 卯花墻”と同じ模様でした(卯の花(宇津木)が咲く「垣根」)。単純にしっかりと模様が入っていて茶碗の正面がはっきりとしている方がいいかなと思って選んだのですが・・・・。

今回、窯元や土岐市の方には足を運べませんでしたが、美濃焼の歴史・種類に関してかなり理解が進みました。茶人”古田織部”と、美濃焼の織部焼が直接関わっていた事実は残っていないようですが、桃山時代の大茶人達がこの美濃の土地にいろいろな茶道具を注文していたのはおそらく間違いありません。その茶の湯と深い関わりがあり、歴史ある美濃を訪れたことはとても良い経験となりました。旅の目的の数多くある美濃焼を見分けるのは、おそらくできるようになったのかなと思っています。

次は、備前、萩、伊賀+信楽のいずれかを訪れようと計画しています。薄っぺらいウェブ知識を、実際に訪れて体験を伴う知識(体知識)に替えていきたいと思います。また、茶の湯に関してはウェブ全盛で、オンライン通販全盛のこの時代に、できるだけ現地の物は現地で購入するという指針で行こうと思います。ウェブですとSEOでしたり、無謀な価格競争なりで、前に検索されてくるのがテクニック面の傾向があり本質が伝わっていない可能性が高いので。

 

ウクライナの首都キエフを一日観光。

本業の出張で、ウクライナのドニプロペトロウシクに来ています。12月末に続いて2回目。前回は、成田→モスクワ→ドニプロで1日で移動できたのですが、モスクワ→ドニプロ間の飛行機会社の素性が悪く、モスクワ→キエフ→ドニプロにならざるを得ませんでした。そうしますとキエフでトランジット泊。少し時間があったのでキエフ市内を一回りしてきました。キエフはウクライナの首都。なかなか見応えがありました。

今回はEOS M + EF17-40mm F4Lのみカメラは持ってきました。あいからずAFがダメ過ぎるカメラですが、軽くて持ち運びには便利な構成ですね。

今回も写真をクリックすると拡大(撮って出し)

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泊まっていたドニエプルホテル(Dnipro)。部屋はイマイチでしたが朝ご飯(バイキング形式)が割と豪華でした。フレシチャーティク通りと独立広場の目の前でとても良い立地条件です。空港からタクシーで3000~4000円程度。観光するには良いホテルかもしれません。

ホテルに荷物を預けて徒歩で観光開始。気温は-13度位でした。

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Свято-Михайлівський Золотоверхий монастир =  St. Michael’s Golden-Domed Monastery
聖ムィハイール黄金ドーム修道院 (wikipedia日本語)

ウクライナ国民の大半が正教会(ギリシャ正教)とのこと。街中には修道院、大聖堂、教会が沢山あります。写真の修道院はドニエプルホテルから徒歩10分くらい。他の建物もそうですが、ウクライナの配色はとても綺麗です。いわゆる三原色(赤・緑・青)をそのまま使わず、青なら上記のように薄い青にしたりと、彩度を落として配色されていることが多く、落ち着いていて下品にならずとても素敵でした。

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違う方向から。入り口が開いていますね。この日は日曜日でしたので聖体礼儀(カトリックでいうミサ)が行われていました。宗教歌(声楽)が極めて美しく歌われており心から感動してしまいました。というのは、なんとそこで流れていたのは私がラフマニノフの曲で最も好きなVespers。

このブログのVespersに関する記事:ラフマニノフ 作品37 Vespers (徹夜禱, 晩禱)

日曜日の朝に普通にVespers(徹夜祷)が歌われるのか疑問なので聞き間違えか、標準的なメロディーがあってそれは似ていたのかな?

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正門と右奥に先ほどの大聖堂が見えますね。日曜日なので多くの方がこの門をくぐって大聖堂に向かっていました。

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МІНІСТЕРСТВО ЗАКОРДОННИХ СПРАВ УКРАЇНИ : ウクライナ外務省

威圧感のある建物です。

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Андріївська церква = St Andrew’s Church
聖アンドリーイ教会 :

薄い青と濃い緑がとても綺麗な教会でした。この前の路面店で、民芸品を購入(参考:キエフの民芸品を茶道具に見立てて稽古

ここから少し歩きましてソフィア広場の方に向かいます。

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Софійський собор : Saint Sophia’s Cathedral
聖ソフィア大聖堂 : (Wikipedia)

1990年に「キエフ:聖ソフィア大聖堂と関連する修道院建築物群、キエフ-ペチェールスカヤ大修道院」として世界遺産(文化遺産)に認定された聖ソフィア大聖堂(の入り口)。これは有料です。全部見るのは500円くらいかな。入るだけなら30円位だったような・・。

公式サイトはリンク切れしているので、情報はWikipediaで取得するしかないですね。

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大聖堂外観。このように一部白くなくて煉瓦が見えているのには訳があります。11世紀の建物なのですが、その頃の土台が煉瓦地などが今でも残っており、それを見える様なデザイン、展示の仕方をしています。もし行かれたら是非中も入ってご覧くだされ。アプスのモザイクが素晴らしいです。(写真禁止)

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外観。

さて、聖ソフィア大聖堂を後にして街を歩きます。

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キエフのオペラ座。今回は日程的に見ることはできませんでしたが、キエフバレエの白鳥の湖が最前列で500グリブナ(5000円)。参考まで。

公式サイト:http://www.opera.com.ua/

チケットもネット予約できるのでは?と思います。

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Володимирський кафедральний патріарший собор : St Volodymyr’s Cathedral
聖ヴォロディームィル大聖堂

公式サイト:http://www.katedral.org.ua/
Wikipedia日本語:聖ヴォロディームィル大聖堂

聖ヴォロディームィルなのか、聖ウラディミールなのかイマイチ読み方がわかりませんが、今回は”黄色い”大聖堂。大聖堂なのか修道院なのか教会なのかその差もよく分かっておりませんが、どうやらウェブサイトの豪華っぷりをみると何らかの総本山みたいですね。多くの人が礼拝されていました。原色の黄色ではなく、彩度が少し落ちている感じが分かるかと思います。修道院だけではなく、街の建物も同様に白に、彩度を落とした色を使った建物が多いです。

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キエフ大学
公式サイト:http://www.univ.kiev.ua/

ウクライナの国立大学で最高学府なのかなと思います。オレンジの建物を中心に写真をとりましたが、左奥の赤い建物がメイン(正門)でした。歴史的に戦った?人の血の色とかで赤いとかなんとか・・・。

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-10度以下だったので少し歩くだけで寒い!定期的にカフェやレストランに入って体を温めました。

写真はボルシチ。その後の出張先でも毎日ボルシチを飲んでいるので、こちらでは味噌汁みたいなものですかね。

さて、次の場所は少し離れているのでタクシーで向かいました。タクシーは白タクが多いので、ぼったくられないように注意とのこと。

向かったのは、先ほどの聖ソフィア大聖堂とともに世界文化遺産に認定されたキエフ・ペチェールシク大修道院。

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Києво-Печерська лавра = Kiev Pechersk Lavra
キエフ・ペチェールシク大修道院

公式サイト:http://www.lavra.ua/
日本語Wikipedia : キエフ・ペチェールシク大修道院

1051年:11世紀建立の歴史ある大修道院。上の写真は一つの門を入って、その内側から撮影。

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大修道院というだけあり広大な敷地にいろいろな建物があるのですが、その中でも最も大きな生神女就寝大聖堂(ウスペンシキイ大聖堂)

とても美しいです。ドームは相変わらず黄金。

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裏側に回ってドームの拡大(望遠)で。

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裏側に回っての外観。美しいかったです。全部の写真はクリックすると拡大するので、あまり良いカメラではありませんが、それなりにディテールは見られると思います。

というわけで、天気が悪かったのが残念でしたがキエフを一回りしてきました。ここで紹介した位であれば、一日あれば回れそうです。しかし冬期は極めて寒いので体を冷やさないようにお気を付けくだされ。とても綺麗な街で感動いたしました。

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さて、今回の出張でも出張先で朝ランニングをするためにGarmin Fenixを持ってきています。GPS腕時計はスポーツだけではなく、こういった街の観光にも極めて便利です。

Garmin Fenixによるキエフ観光歩行記録:http://connect.garmin.com/activity/266766699#

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こんな感じで歩行記録が取れますので便利ですよ。スマートフォンでももちろんできますが、現時点ではバッテリーが不安ですので。というわけでGarmin Fenixは海外旅行にもオススメです。

”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(二日目)

“茶の起源”を巡りに京都を訪ねた旅の二日目。

参考(一日目の記事):”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(一日目)

 

一日目は、主に利休に焦点を当てた京巡りでした。二日目は利休よりも前の時代のまさにお茶の起源を辿りました。

京都駅前のビジネスホテルでバイキング形式の朝食を速攻で食べて7:30頃にはチェックアウト。高山寺(こうざんじ)に向かいます。高山寺は京都市内のバス・地下鉄共通のワンデープリペイドカードが使えずJRバス(高雄・京北線=距離に応じて値段があがる)のでコースをよくご検討ください。遠かったです(自転車があれば・・)

(写真は全てクリックすると拡大します)

 

◆其之八:高山寺 (こうざんじ)

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高山寺最寄りの栂ノ尾バス停で下りたところにある案内図。小さくて字が読めない場合はクリックすると拡大します。

高山寺は、お茶にとても関わりのある大切なお寺。案内図にあるように裏参道と表参道があり2つの道があります。どちらも素敵です。是非行き・帰りで両方通られるのをオススメします。(バス停から近いのは裏参道です)

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(酷い写真ですが・・)裏参道の様子。結構傾斜があります。これは紅葉シーズンに来たら大変な綺麗さでしょうね。

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本当は見た順番に沿って写真を見せながら紹介したいのですが、せっかくの看板なので掲載。クリックすると私の解説以上に完璧な説明がございます

お茶は、遣唐使時代に既に(現在の)中国から日本には渡っておりましたが、遣唐使終了後一度途絶えてしまったようです。再度、お茶を日本に持ってきたのは、臨済宗の開祖”栄西”さん。中国から日本に”禅”と共に茶の種を持ち帰りました。栄西さんは帰国後、(後述する)建仁寺を建立(開山)しますが、その茶の種は、この高山寺の明恵上人(高山寺を再建し、最後まで修行したことで有名)に渡され、ここに日本初の茶園(茶畑)が作られました。そういう意味では、日本の茶の起源はこの高山寺であり、今回の旅の趣旨としては必ず訪れたかったお寺です。

参考 高山寺公式サイト:http://www.kosanji.com/
参考 高山寺Wiki : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%AF%BA
(高山寺はとても凄い寺なので上記のWikiは是非お読みくだされ。貴重な文化財だらけのお寺です)

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日本最古之茶園の石碑。この石碑を見たくて今回の旅を計画したのでした。この傾きっぷり(この石碑自体は作られたのは最近で昭和四十六年)が良い感じ。

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もちろん今でも最古の茶園は存在しており、今でも抹茶を作っています。茶が伝わった後に日本中で茶の需要が発生し、この茶園だけでは生産量が追いつかず、宇治に茶園が移ったとのこと。とはいえ、この高山寺の茶は特別な扱いだったらしく、高山寺のある地名”栂尾(とがのお)”をとって栂尾茶として別格であったとのこと。その為、”本茶”と言えば栂尾茶を差したようです。闘茶(とうちゃ)という、遊びが流行し、”本茶”かそれ以外かを飲み分けるのが流行ったそうです。

この檻の先に茶園が広がっていましたが、それほど大きくない印象でした。おそらく上層の方達が飲む程度に生産量が少なかったのではないでしょうか。

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栂尾山高山寺 石水院

さて高山寺は、最古の茶園よりも有名なものがあります。国宝で世界遺産の 石水院。ここは大変素晴らしかったです。

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石水院の内部。上部の”日出光照高山之寺”は、後鳥羽上皇から明恵さんに渡された”現物”で非常に貴重なものです。この”高山の寺”から高山寺になったとのこと。

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石水院の縁側。庭園と山側の風景は一見の価値あり。その素晴らしさの為敢えて写真は掲載せず。是非足をお運びくだされ。

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高山寺 紙本墨画鳥獣人物戯画(国宝)

高山寺といえば、この鳥獣戯画が有名かもしれません。前日の祇園での京料理(おばんざい)の湯飲みがまさに高山寺とこの戯画の物でした。高山寺所有ですが、石水院に飾ってあるのは複製で、本物は東京国立博物館、京都国立博物館に保管されています。高山寺は、国宝が八個、重要文化財も多数存在しています。

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石水院内に座敷があり薄茶と干菓子を頂きました。もちろん、この最古の茶園で採れた本茶(栂尾茶)であると信じています(宇治茶だったら嫌だなぁ・・)。
部屋には炉が切ってありますね。あれ?風炉先が、

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先ほどの鳥獣戯画の風炉先でした。素敵ですね。当たり前ですが京間ですので、自宅で見慣れた大きさです。やはり三尺くらい高さがある風炉先は良いですね・・・(欲しい・・)

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高山寺 金堂(こんどう)

さて、石水院を出て、更に山側には、最古の茶園ということで明恵上人の七百回忌(昭和六年)に合わせて「遺香庵」という茶室(昭和時代なので茶室と表現)があります。しかしここは見学すらできませんでした。更に山の上の方に歩いて行きますと”本堂”があります。釈迦如来を本尊としているようです。

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高山寺の表参道・裏参道や、この金堂に向かう石道は非常に綺麗なので散歩するにも良い感じです。紅葉シーズンは大変綺麗かと思いますが、混むのでしょうね。

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十二月末でしたのでもちろん紅葉(楓)は枝になく、落ち葉がわびしく。

さて、高山寺からまたJRバスで京都市中心方面に向かいます。高山寺は北西の山側に離れているのでコースに入れてしまうとかなり時間を費やします。しかし日本のお茶の起源。そして数ある国宝と庭園は見るべき価値があると思いました。足を運ぶことができて大満足です。

 

 

◆其之八:本能寺

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本能寺 本堂 (中に自由に入れます)

参考 本能寺Wiki : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%83%BD%E5%AF%BA

京都市役所の近くにある本能寺にやってきました。本能寺はお茶に関してとても重要なお寺。本能寺と言えば信長が明智光秀の謀反にあったお寺で有名です。高校の歴史教科書で有名な山川出版の”もういちど読む山川日本史”が手元にありますので、その本能寺の変の記述を引用してみます。

信長は1582(天正10)年に武田氏をほろぼしたあと、さらに中国地方の毛利氏を攻撃するため安土を出発したが、京都の本能寺に宿泊中、家臣の明智光秀に攻められて敗死した(本能寺の変)
引用;もういちど読む山川日本史p142より

誰もが知っている歴史事変だとは思いますが、信長が”本能寺”に何しに来たか?はあまり知られていません。もちろん上記引用の通り、毛利氏を責めるために西側に移動したというのはありますが、実際には秀吉が毛利を責めていましたし、天下目前の信長は既に最前線で戦う状況でもなかったようです。それではなぜ、天下人目前の信長が防御も弱く、籠城も難しい本能寺に来たのか?

“信長所有の天下の茶道具三十八品を安土から本能寺に持ってきて、茶会を開く予定であった”

このあたりは真偽・通説などで今でも研究している様ですが、少なくとも所有の天下の茶道具を人に見せるために本能寺に来たとのことである。ある一説によると、道具を見せようと考えていたのは家康だったという説もあるとのこと。真偽・解釈はいろいろあるとはいえ、天下目前の信長が、その状況でも催そうとした”茶会”。いわゆる、町のチーマー男が女性にナンパで声を掛ける”お茶でもどう?”っていう気軽な”茶”では全くなく、如何に”茶会”が格式高いもので、重要なイベントであるかと十分に想像を巡らせることができます。茶道と言えば、所作が細かくて、正座が痛くてみたいな薄っぺらいイメージが一部にありますが(少なくとも少し前の私も雑にはそんな印象を持っていた)、茶とは、茶会とは天下人も戦争中の忙しさでも、刀を置いて催した重要な格式のある行事であったことが分かりますね。茶室の中では、どんなに抗争中であっても刀を置いて入ったと言われています(毒の云々あったようですが)。歴史は、勝者が都合良く書かれてきているものです。当時の”茶会”の重要さを考えると、2つの大名が戦争前に茶会で意見を交わし、双方の戦後の被害などを考えると戦争を起こすべきではない(戦争が起こらなかったので歴史書には残っていないかもしれない)と判断したような重要な茶会もあったかもしれません。そのような格式の高い茶会を、所有の天下の名器と共に、仮に家康に見せようと考えていたのなら、信長の頭には何か考えがあったのかもしれませんね。その辺りを想像するのも楽しいものです。私が茶の湯に興味を持ったのは何点かあるのですが、天下人もこぞって催した”茶会”という世界に触れてみたいというのも一点としてあります。残念なのが、その三十八個の天下の名器が全て本能寺の変で消失してしまったことです。利休よりも前の話ですから、今の千家十職の様な茶道具ではなく、高麗あたりの井戸茶碗などがあったのですかね。

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信長廟

本能寺は茶会・茶事の当時の”格”を知る上でも重要なお寺かなと思いました。

次に地下鉄東西線にのって醍醐寺を目指しました。

 

◆其之八:醍醐寺

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醍醐寺 総門 (世界遺産)

醍醐寺に到着しました。高山寺が北西の端。本能寺が京都の中央部。そして醍醐寺は京都の南東の端。かなり移動に時間が掛かってしまって駅からダッシュしました(すぐ暗くなっちゃうので)。醍醐寺もお茶(というより秀吉に)に関わりのあるお寺です。何せ素晴らしい。写真の総門をみると直ぐに”春の桜シーズンに来れば最高”というのが想像できますね。左のしだれから、総門を越えた先が一斉に桜が舞い散るのが目に浮かびます。このお寺は非常に規模が大きく、山の上まで続いています。その山の上からこの写真のあたりまでずっと桜があったそうで、それは見事な桜であったと。そうなるとその桜を背景に、綺麗な庭園を設け、茶会を開きたくなりますよね。豪華な茶道具を使って。それは秀吉が実際に行った茶会です。

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醍醐寺解説看板。クリックすると拡大。

参考 醍醐寺公式サイト:http://www.daigoji.or.jp/
参考 醍醐寺Wiki : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%8D%E9%86%90%E5%AF%BA
* 醍醐寺は日本の第一級の宝の宝庫です。その文化財・国宝の多さは特筆物で、上記のWikiなどをみても如何に希有な寺であるかがわかります。

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醍醐寺 三宝院(国宝+世界遺産) (特別名勝・特別史跡)

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醍醐寺 三宝院 唐門 (国宝)

この京都の旅で最も感動したのは、三宝院です。カメラ撮影禁止。なぜ禁止なのか理由は知りませんが、私も禁止にすべきだと思います。あの素晴らしい庭園は写真でみてもしょうがないからです。本当に素晴らしい。桜が舞うあの庭園での茶会が如何に豪華であったか容易に想像がつきます。利休の”わび茶”とは違う趣向かもしれませんが、こういった豪華な茶会も素敵な気がします。現在は一年に一回、三千家が順番に口切り茶事に三宝院を使っている様です。2012年は表千家だったみたいですよ。二百人規模で行われたらしく、もちろん不審庵の家元主催ですが、そんな素敵な茶事でもスーツの方もいらしたとのこと。参加したいなー、一生できないだろうなーなどと考えつつ(笑)。三宝院には売店があり、秀吉の茶事にちなんで”太閤抹茶”という金粉入りの抹茶が売っています。このブログの別記事で書いたように、金粉はめでたいのですがあまり美味しくありませんでした(個人的な意見ですが)

醍醐寺には、秀吉が使った”黄金の茶碗”=「金天目・金天目台」が保管されています。これは春の桜の季節に一般公開されるようなので、”大混雑が予想されますが”、その時期に来てみようと思います。

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醍醐寺 金堂(国宝)

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醍醐寺 五重塔(国宝)
平安時代936年に建立。最古の五重塔とのこと。

醍醐寺は、高山寺の京都中心部を挟んで真逆で遠かったですが、足を運んで本当に良かったです。お茶以外の観点ではかなりスルーしてしまったけど、歴史的にも文化財的にもとても大きなお寺で、もう一度ゆっくり見に来たいと思います。三宝院は茶の湯を嗜む人なら必見ですね。

さて、地下鉄東西線で京都市中央側に戻り、バスも併用して高台寺方面に向かいます。

 

 ◆其之八之一:高台寺圓徳院(えんとくいん)

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高台寺 圓徳院

高台寺圓徳院公式サイト:http://www.kodaiji.com/entoku-in/idx.shtml

秀吉の妻”ねね”さんの最後に過ごした場所です。(没後、圓徳院というお寺になった)

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(クリックすると拡大)

圓徳院の説明は上の看板に譲ります(手抜き)。茶人、秀吉の妻ですから、全国から蒼々たる茶人がこの地に訪れたようですね。

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圓徳院 北書院から庭園を望む。

庭園が非常に綺麗でした。まぁ秀吉の妻”ねね”さんの庭ですから当たり前か。この書院で薄茶を頂けます。もちろん頂きました。この旅で何服目かわかりませんが、何度頂いても美味しいですね。非常に落ち着くお庭ですので、高台寺を訪れた際(近場でいうと清水寺を訪れた際?)は是非ここで薄茶を。この書院は大間でしたが、小間の茶室でも薄茶を頂けるようです

さて、圓徳院を出て高台寺(本体)に向かいます。

 

 

◆其之八之二:高台寺

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高台寺:秀吉の妻”ねね”が秀吉の死を弔うために建立したお寺。

公式サイト:http://www.kodaiji.com
高台寺 Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%B0%E5%AF%BA

お茶を訪ねる旅なので、どうしても秀吉ゆかりの場所・自院が多くなりますね。当時は別の場所の床だけとか、部屋だけとか、建物だけとか、移築とか普通にやっていたようなので、この高山寺にも茶に関わるものがありました。

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高台寺内 茶室:遺芳庵

江戸時代前期の京都の豪商”灰屋紹益”の夫人が作った茶室。京都の別の場所(紹益邸)から持ってきたなんと”一畳台目”の小間の茶室。かわいい建物です。この位の規模なら私の様なおよそ金持ちになるとは思えない仕事と生き方をしている人間でも将来建てることはできるかな?と勇気を持たしてくれる茶室(笑)。中は覗けませんでした。他の観光客はほぼ全員素通り。茶の湯に興味なければ、茶室に興味が沸かないですよね。

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方丈前庭の龍。(工事中)

方丈の前には前庭があり、龍が。しかしライトアップが終わって片付け工事中でした。

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高台寺:開山堂(左)、霊屋(おたまや:中奥)、庭園(点前)、臥龍池(右奥の池)

秀吉の弔いの寺ですから庭園などは綺麗です。ねねに頼まれて家康が号令を掛けて作らせたお寺の様ですから、権力もありますし豪華です。霊屋の方へ歩いて上って行きます。

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高台寺 霊屋(おたまや)

ねねさんは、この下2mに実際に死後埋葬されています。解説のおばさまのプレゼンテーションが素敵でした。

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高台寺 茶室:傘亭(安閑窟)(重要文化財)

利休”好み”の茶室と言われ、伏見城から移築したもの。利休作であるか定かではない模様。そもそも川辺(海辺?)の近くにあったらしく、秀吉は船で乗り付けて入り込んだとのこと。なぜ傘亭と言うのか?

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高台寺 茶室:傘亭(安閑窟)の内部

そうです、天井の内側が傘のようになっているから傘亭です。奥の扉は船からあがって秀吉がさっと茶室に入れるように工夫されているそうです。七畳の広めの茶室。いわゆる水屋は典型的な形ではなく、炉も畳には切っていない。解説員が説明していたように、秀吉が船で遊んで帰ってきた時に一服というような、アウトドアな茶室だったのかな。いろいろな茶室があって面白いですね。

この傘亭に隣接して(土間廊下で繋がって)、時雨亭があります。

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(酷い写真だけど)高台寺 茶室:時雨亭(しぐれてい)

二階建ての茶室で、ねねさんが二階から京都の町を見下ろしていたとか。この2つの茶室は、”茶室”として残っているのですが、どうも”茶の湯”を感じる茶室ではなく、あくまで茶も飲める建物という印象。

この2つの茶室に関して高台寺の公式解説動画がありました。興味がありましたら。

参考:高台寺傘亭+時雨亭解説動画

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高台寺 竹林

綺麗な竹林の間を抜けて高台寺を後にし、今回の旅の最後のお寺”建仁寺”へ徒歩(早歩き)で向かいました。

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京都らしい道を通りつつ。時間もそろそろ日暮れに近づきつつ。しかも、この日は忘年会が東京で入っていたのであんまり遅くまで京都には居られず。

 

 

◆其之十:建仁寺

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建仁寺 本坊

参考:建仁寺公式サイト:http://www.kenninji.jp/
参考:建仁寺Wiki : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E4%BB%81%E5%AF%BA

建仁寺に到着。高台寺から遠くありません。この本坊という建物の中(というより奥庭に)に茶室があるのですが、まずは入らずに建仁寺内の目的の物を見に。

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栄西禅師 ”茶碑”

この記事の一番最初の”高山寺”の部分で、日本に茶の種を最初に持ち帰ったのは、臨済宗の開祖”栄西さん”と紹介しました。栄西さんは、中国から帰国後この建仁寺を開山しました。茶の種は、明恵上人に委ねて高山寺に茶園を作ったのですが、やはり茶の種を持ち帰ってきたのは栄西さん。そこで、この建仁寺の一角に”茶碑”があります。

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”茶碑”の横にある解説。クリックすると拡大。

ここで興味深いことがかいてあります。引用すると、

”茶は養生の仙薬なり”
”茶は延齢の妙術なり”
「喫茶養生記」より

厳しい修行の”禅”において、茶を中国から持たされたのは、修行僧が茶を飲むことで少しでも滋養になるようにと。おそらく中国で既に茶の効用が周知されていたのでしょうね。現代の最近の研究でも抹茶は体に良いことなどが分かってきていますし、不思議な飲みものですね。栄西さんは上記の通り、妙術な薬と表現しています。

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建仁寺 法堂

さて法堂を横目に上述の本坊に入ります。本坊には、国宝の風神雷神図などがあります。素晴らしかったです。更に奥の庭に茶室がありました。

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数寄屋(茶室):建仁寺 東陽坊 (クリックすると拡大)

この解説の通り、利休高弟の一人”東陽坊長盛”が、北野天満宮(京都の旅一日目の記事を参照)で行われた北野大茶会で用意された数寄屋とのこと。やはり移築してきたのでしょうね。二畳台目の小間で、水屋もしっかりあるようで(水屋は見えなかった)、まさに利休の流れをくむ茶の湯を感じる数寄屋でした。

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建仁寺 数寄屋(茶室):東陽坊

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建仁寺 数寄屋(茶室):東陽坊の内部。

炉が切ってありますね。まさに教科書通りというか落ち着いた二畳台目の数寄屋でした。素敵でした。こういう数寄屋を将来建てたいなぁと思います。
そういえば、樂焼初代の”長次郎”の作品で”東陽坊”という黒樂茶碗がありますよね。茶碗の東陽坊は、この数寄屋の(利休の弟子の)東陽坊が所有していた樂茶碗とのことです。

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酷い写真ですが東陽坊の裏側に”東陽坊”の解説がありました。とても読むのが困難なのでクリックして拡大していただければと思います。

 

 

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鴨川

さて、建仁寺を後に京都駅に向かいました。今回の”茶”・”茶の湯”を訪ねる京都の旅で見たかったものは全て回ることができました。茶の種を持ち帰った栄西さんの茶碑@建仁寺、その茶の種で作った最古の茶園@高山寺。そして茶会を”格の高い行事”として楽しんでいた天下人”信長”と”秀吉”。その二人に茶頭として仕え、今私が稽古をうけている表千家を含む三千家の開祖でわび茶を大成させた利休に関わる寺院、塔頭などを回ることができました。少々二日間では大急ぎのスケジュールで少し詰め込みすぎましたが、非常に参考になり、そして興味深く触れることができました。茶の湯を学び始めたばかりですが、何か遠かった”茶”が少し身近に感じることができました。またお稽古に身が入ると思います。醍醐寺など、もっとゆっくり見たいところもありますし、宇治や妙喜庵の待庵など見ていない場所もありますので、また京都を赴こうと思います。良い旅になりました。

 

2013/3/9 追記:再び京都に行ってきました。その記事を書きました。第二回:続”茶の湯”を辿りに京都へ赴く(一日目)

 

◆参考文献(*各書籍はアマゾンジャパンにリンクが貼られていますが、アフィリエートなどもちろんやっておりません)
[1]  “よくわかる茶道の歴史“, 谷端昭夫
[2] “図説 茶室の歴史―基礎がわかるQ&A“, 中村昌生
[3] “定本 茶の湯表千家“,  千宗左
[4] “利休にたずねよ“, 山本兼一
[5] “千家十職 十三代黒田正玄と竹の茶道具“,  十三代 黒田 正玄
[6] “ちゃわんや: 二人の息子と若き人々へ”, 樂吉左衞門
[7] “もういちど読む山川日本史“, 山川出版社
[8] “千利休 四百年”, 毎日グラフ別冊
[9] “茶経(全訳注)“, 布目 潮フウ

”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(一日目)

茶の湯を始めたばかりですが、最近は暇があればいろいろ茶・茶の湯のことを調べています。お茶の歴史もそうですが、茶道具やお茶に関わる歴史上の人物も。そうなるとやはりその起源は京都。そこで京都に”茶”を訪ねて行って参りました。朝七時前に東京駅発の新幹線のぞみで京都へ。九時に京都に着いているのですから便利ですね。たった2時間少しで京都に着けるのですから、リニアモーターカーなんぞ要らないでしょう。雨が心配でしたが路面が濡れている程度で一日何とかもちました。

(全ての写真はクリックすると拡大)

 

 

◆其之一:表千家不審庵

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表千家不審庵 正門

公式サイト:http://www.omotesenke.com/

まずは、やはり不審庵に行かねばなりません。私は表千家のお稽古をしておりますので、その総本山がこの不審庵です。実際にはこの中にある不審庵という茶室があるのですが、今は建物群全体を指すことも多いようです。千家の初祖は、言うまでも無く千利休(1522-91)。織田信長、豊臣秀吉に茶頭として仕え、”わび茶”を大成した人物です。その利休の道統を伝える本家として、現在十四代而妙斎家元に受け継がれています。

「不審花開今日春」(ふしんはなひらくこんにちのはる)

不審とは、”いぶかしい”という意味らしく、この茶室の心を示しています。不審庵には、私のような者が入ることも、見ることもできません(あたりまえ)とりあえず、写真のような外観だけですが足を運べて良かったです。ちなみに隣には、裏千家の今日庵もあります。

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不審庵表門の脇に”千利休居士遺蹟不審庵”の石碑がありました。

不審庵の左側に裏口の様な入り口があったのですが、そこに2つの真っ赤なバケツがありました。朝早かったので何か掃除にでも使っていたのかもしれません。現代的なバケツですが、そこの2つの置き方が実に美しくさすがという感じでした。私が覗いてそのバケツを見ると想定してとは思えないので、どんな物の置き方でも気を遣っているのでしょうね。

さて、不審庵の回りには、多くの茶道具商、京菓子司がありました。

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清昌堂やました

やましたさんに寄って、いろいろお話をお聞きしました。このやましたさんもそうですが、京都の茶道具商は凄いですね。高価な茶道具ばかりでとても手が出せないものばかりでした。もちろんそれだけ良い茶道具を多く扱っていました。とはいえ、せっかく京都まで来たので、

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袋師友湖(土田友湖:つちだゆうこ)紫帛紗

千家十職の袋師、土田友湖さんの帛紗をがんばって買ってきました。おそらく十職さんの茶道具で私が手が出せるのはこの紫帛紗くらいかな。素敵な手触りで、普段お稽古で使っている帛紗よりも厚くてふっくらしています。普段の稽古の際には抹茶が少しずつ付いてしまうので普段使いは避けて・・・・・、棗、茶杓のお清めと帛紗さばきの連中などに使用し、茶会の時で使える日が来れば良いなと。

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さっそく、京菓子司”俵屋吉富”さん発見。干菓子を買いました。右の入り口から入る”茶ろん たわらや”で、俵屋の生菓子と抹茶(薄茶)を頂きました。
今回の旅で、京菓子司、茶舗、茶道具店は本当に沢山あり見かけては覗いてみました。

不審庵の近くに、表千家会館がありました。会館の一階には、展示室があり千家十職の内、樂家の茶碗を始め6家(?)くらいの茶道具が飾ってありました。どれも美しいものばかり(撮影禁止)。会館では表千家監修(不審庵文庫編)の”茶の湯こころと美”の書籍を購入。同名サイトの書籍化とのこと。

 

 

◆其之二:樂焼家元、樂美術館

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樂焼家元 樂吉左衛門宅

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樂美術館 入り口札

利休が瓦屋の長次郎に作らせた茶の湯の為の抹茶茶碗が”樂焼(楽焼)”です。その樂家家元の自宅と隣に併設されている樂美術館に行ってきました。不審庵から徒歩で少し歩いたところ。

樂美術館公式サイト:http://www.raku-yaki.or.jp/museum/index.html

ちょうど12/24まで展示会「秋期特別展 肌をめでる。樂茶碗の陶肌 大西釜の鉄肌 一閑・宋哲の漆肌」のをやっており、長次郎から始まる樂焼代々の素晴らしい作品の他に、飛来一閑一閑張の作品達、中村宋哲の棗、大西清右衛門の釜など、千家十職の数々の作品を展示しており、美しく技巧的な作品に感動しました。本当に素晴らしいものばかりで、私のような知識の乏しい者でもその美しさにうっとりでした。一閑張の紙でつくったお茶碗や棗などすごい技術で、現代のエンジニアの視点でみてもこれは凄いなと。東京の五島美術館などでたまに展示される樂茶碗を見るよりも、やはり樂美術館に来るのが最も作品も多く手っ取り早いですね。とても購入出来る金額(余裕で茶碗一個で数百万円越え)ではありませんが、良い茶道具を見ておくのは悪くないかなと。

美術館受付で現”樂吉左衛門”さんが書いた「ちゃわんや 二人の息子と若き人々へ」の書籍を購入。樂家という名家に生まれたからにはその家系・技術を受け継いでいかなければなりません。現、吉左衛門さんがその襲名以前から現代に至るまで、そしてお二人のご子息に向けたメッセージ本とも言える書籍でまだ全部読んでおりませんが、とても興味深い内容です。作品も多く見られますし樂家を継ぐという葛藤なども読み取れます。次代は私と同じ世代の方なので、他の十職家と共にこれからも続いていくと良いですね。

さて、市バス・地下鉄など乗り放題のカードを買って置いたので、さっとバスに乗って北上し大徳寺を目指しました。

 

 

 

 

 

◆其之三:龍寶山 大徳寺

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(クリックすると拡大)

大徳寺公式サイト:http://www.rinnou.net/cont_03/07daitoku/
大徳寺Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%BE%B3%E5%AF%BA

写真が酷いのですが、大徳寺は、数多くの塔頭(たっちゅう)=”院”からなっており、また多くの山門で囲まれています。臨済宗大徳寺派の総本山のお寺ですが、お茶と非常に関わりの多いお寺。ウチの実家は真言宗なので、そもそも禅宗でもなく、しかも天才肌でエンジニア気質の空海、密教の考え方は好きですが、お茶と関わりが強いのは禅宗。とくに利休とは切っても切れない関係の寺です。秀吉が立腹して利休に切腹を迫ったのもこの大徳寺の山門に利休像(現在は裏千家が所有?)が置かれ、その下を秀吉がくぐらなければいけないのを不満に思ったからと言われていますね。大徳寺の各門は重要文化財に指定され、唐門に関しては国宝となっています。茶に関わりのある塔頭(院)に向かいました(しかも走って)

 

◆其之三之一:大徳寺 聚光院

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大徳寺聚光院 山門(拝観謝絶)

聚光院Wikipedia :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%9A%E5%85%89%E9%99%A2

利休が開祖の笑嶺和尚に参禅したことから、この聚光院には、利休の墓をはじめ、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の歴代の墓所となっています。拝観謝絶で私の様な無関係の物は中に入れません。先日、お亡くなりになられた久田宗匠もこちらでご葬儀があったようです。

 

◆其之三之二:大徳寺 三玄院

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大徳寺三玄院 山門(拝観謝絶)

石田三成らが建立した三玄院ですが、こちらも拝観謝絶。沢庵さんをはじめ、利休七哲の一人、「織部好み」の古田織部もここで参禅しています。また「織部好み」の茶室も中にあるようです。このように大徳寺には茶に関係する塔頭(院)が数多くあるのですが、なかなか拝観できません。

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大徳寺内は松などが植えられ非常に綺麗でした。大きなお寺ですので、ここは市民のショートカット路らしく、この道も自転車がどんどん走っていました。

 

◆其之三之三:大徳寺 総見院

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大徳寺総見院 山門(拝観謝絶)

総見院Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E8%A6%8B%E9%99%A2_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)

これまた拝観謝絶。拝観謝絶の塔頭の山門写真を載せても意味がないのですが、一応”茶”に関わるものを赴くというのが今回の旅の趣旨なので掲載。この総見院も”茶”にとって非常に重要な塔頭です。本能寺の変で織田信長が突然倒れた訳ですが、その後の天下人に上がろうとする後継の覇権争いは熾烈であったとのこと。その時に、秀吉が利休などの助言などを踏まえて、盛大に執り行い、そしてこの総見院もその為に建立した塔頭とのこと。つまり信長のお墓(の一つ)がここにあります。利休は、もともと信長の茶頭でしたから、茶とは深く関わりがあります。二日目に本能寺に赴きましたので、そこで少し書きます。また開祖になる蒲庵古渓は利休と親交が深かったとのこと。総見院はたまに一般公開されるようですね。

 

◆其之三之四:大徳寺 高桐院

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大徳寺 高桐院 Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A1%90%E9%99%A2

JR東海の1996年のCMにもなった有名な大徳寺の高桐院。庭が極めて美しいです。この時期も素敵でしたが、下の参考動画にあるように紅葉が実に美しい院の様です。激混みが予想されますがやはり秋に来てみたいですね。

参考:JR東海1996年10月 CM ”そうだ京都に行こう – 高桐院” @ Youtube

さて、紅葉で有名ですが高桐院はお茶に極めて関わりのある塔頭です。開祖は利休七哲の一人の細川忠興。妻は、明智光秀の娘の細川ガラシャが有名で、忠興とともにガラシャのお墓も高桐院にあります。

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これを読むと利休との関わりがよく分かりますね。また小説「利休にたずねよ」でも利休と忠興との遺品のやりとりの場面は面白いですよね。

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蹲踞(つくばい)

高桐院の奥の綺麗な露地には蹲踞ももちろんありました。今の京都がどれほど水が綺麗かわかりませんが、水の綺麗な地域であればこういった蹲踞は非常に趣があって良いですね。

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関守石(せきもりいし)

露地でこれ以上先は行ってくれるなという意味の関守石もちゃんとありました。

さて、庭を一回りして屋中へ。

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大徳寺高桐院「意北軒」 慶長七年(1602) 利休邸より移築

炉が切ってありますので数寄屋(茶室という言葉は江戸時代以降というのを最近知り、この部屋の時代を考え茶室ではなく数寄屋と表現)かな?と思いましたが、書院とのこと。この部屋は利休の邸宅より移築したものらしく、利休が使っていた書院かもしれませんね。移築後、高桐院開祖の玉甫和尚が書院として使っていたそうです。凄く力を感じる部屋ですよね。

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大徳寺高桐院 数寄屋「松向軒」
寛永五年(1628)建立 細川忠興 六十六歳の作

さて、奥に行きますと水屋があり、その隣に細川忠興の数寄屋がありました。二畳台目。利休の茶の湯を中実に継承したと言われる忠興の数寄屋ですからとても興味深く拝見しました。待庵ほどではないですが狭い数寄屋でした。そして昼間なのに暗く。

この写真の撮影ポイント(中は立ち入り禁止)の右側に水屋があり、背中には先ほどの書院「意北軒」があります。意北軒にも炉が切ってあったので、水屋の位置も含め意北軒でも茶を点てることもあったのでしょうね。

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高桐院の数寄屋を見て大満足した後に、高桐院の本堂前庭で薄茶と茶菓子を頂きました(有料)
御菓子も美味しく、素晴らしい庭を見ながら。

 

 

◆其之五:北野天満宮

非常に感銘を受けた高桐院から北野天満宮に向かいました。秀吉が日本中の茶人・数寄者を集め、一般大衆に茶の湯を見せたという”北野大茶湯”の会場です。

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北野天満宮 一の鳥居

ここにタクシーが乗り付けるのは残念ですが、北野天満宮の入り口。

参考 北野天満宮Wikipedia : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE

日が短くこの辺りからは基本早歩きです。やはり冬の京都はあまり回れないですね・・。

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北野天満宮 太閤井戸

秀吉が催した、日本中・世界中の数寄者・茶人を呼んでの大規模茶の湯イベント”北野大茶湯”。その時に使った井戸が今でも残っています。

参考 北野大茶湯Wiki :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%87%8E%E5%A4%A7%E8%8C%B6%E4%BC%9A

上記のWikiから秀吉の告知を引用しますが、

* 北野の森において10月1日(11月1日)より10日間、大規模な茶会を開き、秀吉が自らの名物(茶道具)を数寄執心の者に公開すること。
* 茶湯執心の者は若党、町人、百姓を問わず、釜1つ、釣瓶1つ、呑物1つ、茶道具が無い物は替わりになる物でもいいので持参して参加すること。
* 座敷は北野の森の松原に畳2畳分を設置し、服装・履物・席次などは一切問わないものとする。
* 日本は言うまでもなく、数寄心がけのある者は唐国からでも参加すること。
* 遠国からの者に配慮して10日まで開催することにしたこと。
* こうした配慮にも関わらず参加しない者は、今後茶湯を行ってはならない。
* 茶湯の心得がある者に対しては場所・出自を問わずに秀吉が目の前で茶を立てること。

秀吉が身分を越えて面白い茶を点てる人を集めたイベントの様で非常に興味深いです。また、先述の細川忠興の数寄屋”松向軒”は、この北野大茶湯で披露した部屋の様です。

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北野天満宮の茶の湯に関わるのはこの井戸がメインですがせっかくですので、国宝の拝殿などでお参り。どんどん日が落ちてきていましたのでこの辺からダッシュ。

 

 

◆其之六:聚楽第址

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聚楽第址 石碑 「此付近 大内裏及聚楽第東濠跡」

参考 聚楽第Wiki : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%9A%E6%A5%BD%E7%AC%AC

秀吉が平安京の大内裏跡に建てた邸宅「聚楽第(じゅらくだい)」の跡地。今は石碑のみ。壁は金箔で天守閣もあったとされる超突貫工事の豪華な邸宅と言われていますが八年しか存在していなかったため不明な点も多いとのこと。ちなみに、上述の”樂家”の初代長次郎は、この聚楽第の瓦を作っていた職人と言われています。

何せ石碑しかないので、写真を撮って更に移動。今度は陰陽師で変な感じで有名になった安倍晴明の晴明神社に徒歩で向かいました。もう回りは真っ暗。

 

◆其之七:千利休居士聚楽屋敷趾@晴明神社

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千利休居士聚楽屋敷趾の石碑(晴明神社内)

安倍晴明で有名な晴明神社は最近になって利休の最後の邸宅があった場所と確認されたそうです。その為にこの石碑が。つまり、利休が秀吉の嫉妬(?)により切腹をしたのもこの場所らしいです。

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晴明神社境内にある晴明井(井戸)。もう陰陽師ブームが起因か?デザインが胡散臭すぎる・・・(笑)
この井戸から利休も水を汲んでいたと考えられている様です。利休のわび茶がこの水から生まれていたと考えると興味がわきますね。

さて、さすがに回りも真っ暗で寺の拝観時間はとっくに過ぎているので、一日目はこの辺りで終了。その後祇園で京料理を頂きました。美味しかった!その後ビジネスホテルで一泊(前日に京都に行くことを決めたので、ビジネスホテルくらいしか予約できなかった・・・)

一日目は主に利休を中心とした茶に関わる場所に足を運びましたが、二日目はもっと時代を遡り、日本に茶が入ってきた頃を巡りました。二日目は次の記事にて。

2013/01/06 二日目の記事を追記”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(二日目)

Garmin Fenix + GPSiesによるウクライナでの朝ランニング

本業の出張でウクライナのドニプロペトロウスクに来ていますが、治安も良さそうなので毎朝ラントレしています。ドニプロペトロウスクは、旧ソ連のもと共産圏の国なのですが、最近、いろいろな分野で外資が参入しているからか、町が綺麗になり、活気づいています。クリスマスイリュミネーションはもちろん、若者たちは夜町に繰り出し、スマホ片手に楽しそうに生活しています。

自転車好き的に気になったクリスマス・イリュミネーション。自転車のモチーフ。しかし、この町に自転車は皆無でして、一般人はまず自転車に乗りません。若者が公園で集まってMTBやBMXをスタイルとして乗っているだけで、市民の足としての自転車は皆無です。なのでこの前輪大きな自転車のイメージなのか・・・。すくなくともロードバイクは見たことがありません。石畳が多くパヴェ的でもあるのですが、そこらじゅう落とし穴的、10cm級のくぼみがたくさん(道が崩壊している)あるので、ロードバイクだと走りにくいかもしれません。MTBが多いのもわかる気がします。ブランドは、ほとんど見たことないLook Like (フランスLOOKではなく)MTBのフルサスが多いのですが、一人だけSpecializedの29erのフルサス(アルミグレードの方)を乗っている人がいておっ?となりました。この町でディスクホイール履いたTT/Triバイクで爆走すれば目立つこと間違いなしですが、道が悪すぎてスピードが出せないかも。

さて、iPhoneはじめ、若者はスマホを使っている様で、街中に3G網は飛んでいます。しかしDocomoの海外カケホーダイは適応外国であり、いくら請求されるかわからんので、基本ホテルのWi-Fiしか使っていません。スマホのマップ(iOS6マップが底辺なのをおいといて)が使えないので、朝ラン時に迷子になる可能性がゼロではありません。そこでGarmin Fenix(参照:このブログのGarmin Fenix関連記事)の活躍です。もちろんおなじみルートラボは日本国外は使えないので、世界でおなじみのGPSsiesで、ホテルから適当なルートを作成し、Garmin FenixにGPS Route exportします。実際に使ってみましたが、まずホテル前でGPSを補足し、NaviをOnにすれば、インストールしたルートでNaviしてくれるので、道も間違わず、ランペースなどの基本的なGarminのロギング機能は使えてきわめて便利です。Garmin Fenixの海外旅行(+朝トレ)の便利さは素晴らしいですね。海外旅行では必須の腕時計と言えます。散歩するのにもロギングしておけば、あとで歩いた道の軌跡がわかりますし、時計はGPSで合うので時差も考えずに100%正確ですし、バッテリーも持ちますし良い腕時計ですな。

とりあえず今のところ5キロちょっとのショートコースですが、仕事に影響が出ない程度に距離を伸ばしてゆこうとおもいます。一方で雪が降っていると予想されたたため、雪でも走れて、それなりにフォーマル(笑)に見えるホーキンスのブーツ的スポーツシューズで来たのですが、この靴ではさすがに走りにくく足が痛いです。氷点下の気温ですが雪は舞っている程度で積もってはいません。経由のモスクワは大雪だったのですが。とりあえず雪が積もらないことを祈りつつ走ろうかなと。現地の人も朝ランはしていて、うす暗い中でも女性一人で歩いていたりと治安は良さげです。あと犬の散歩が多く、そういう姿は日本に近い感じです。もう4日間バイクに乗っていないのでそろそろ乗りたくて仕方がないのですが、とりあえずランで心拍だけは上げるようにしています。

福島県ドライブ(浄土平~昭和の森~鞍手茶屋)

震災後行きまくっている福島県ですが、自転車ではなくレンタカーでドライブしてきました。
福島駅まで新幹線で、福島駅からレンタカーを借りてスタート。

福島駅→磐梯吾妻スカイライン→浄土平→吾妻小富士(ちょいと登山)→昭和の森→鞍手茶屋→郡山駅

レンタカーの返しは、郡山駅で。そこからまた新幹線で帰ってきました。

ルートラボ:http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=1529a9c8d5b084b47eae386a37286715

普段自転車で登っている磐梯吾妻スカイラインを車で上っていくのは新鮮でした。
車で上っていても結構な急坂であることは分かりました。が、スピードメーターを見ると12%越えの区間でも余裕40km/hとか・・。エンジン(プリウスだけど)は偉大です(笑)


福島市は晴れていたのですが、遙か先に見える浄土平付近の山側には雲が・・。実際に登っていく際に少し雨が来たり・・。
心配でしたが、浄土平に着いた頃は大方雲は減っていました。(というより山の天気なのでどんどん変化していた)
今まで何度も登りたかったのですが、ロードシューズの為にあきらめていた吾妻小富士に登ることにしました。
とりあえず、観光客はみんな登っています。この木の階段が実に上りにくい。


吾妻小富士の中のすり鉢。
うーむ。G1 Xの広角側ではここまでしか引けずその壮大さが全然伝わらないのですが、結構凄かったです。まさに火山といった感じ。
是非登ってみてください。


上から見た浄土平の駐車場+レストハウスなど。右上の標高が高い山は、東吾妻山と言うらしいです。途中から火山ガスが吹き出しています。

浄土平でランチをとって、次は”昭和の森”へ。車で1時間くらい。


昭和の森は、昭和天皇さんをお迎えして2万人規模で赤松を植林した公園です。

参考サイト:http://www.inawashiro.or.jp/institution/showa/


猪苗代湖も見えて凄く綺麗な公園でした。全く人もおらず・・・。東京でこの規模の綺麗な公園があればBBQでごった返しでしょうね。

この公園までのアプローチする道が実に良い傾斜があり、自転車で訪れても良いかもしれません。

少し散歩して出発。最後夕飯を取る予定の”鞍手茶屋”へ。


茅葺き屋根が目印の鞍手茶屋。入り口も良い感じ。

サイト:http://www2.ocn.ne.jp/~kurate19/


注文したもの。けんちんうどんセット(けんちんうどん、とろろ飯、餅(5種類から選べる))。1330円。素敵でした。
おばちゃん達がやっていましたが、ああいうおばちゃんがやっているお店で外れがあるとは思えないです。東京でこのお店があればと考えてしまいますね。場代で値段が上がっちゃうのも悲しいですが・・。

というわけで、福島ドライブはとても良い感じでした。自転車以外でも是非この地域に足をお運びください。県外ナンバーもポツポツ見かけましたが、まだまだ少ない様子でした(震災前を知らないのですが・・)

 

乳頭温泉郷”鶴の湯”の魅力。心の底からおすすめの温泉宿。

先日、2回目になる乳頭温泉郷”鶴の湯”に行ってきました。

公式サイト:秋田県の秘湯、乳頭温泉郷 鶴の湯温泉

公式サイトもしっかりされているので、参照頂きたいですが、私の方でもその魅力を紹介したいと思います。回し者ではありませんが、本当に素晴らしい温泉宿で、心の底からおすすめできます。
また、過去にもブログで紹介しておりますので、興味があればそちらも参考に頂ければと思います。乳頭温泉郷 鶴の湯温泉@秋田に行ってきました @ 2009.1.2

東京からだと秋田新幹線こまちで田沢湖駅に降り、バスで”アルパこまくさ”というところまで出て、(事前に電話連絡のうえ)、そこまで鶴の湯の方が迎えに来てくれます。

今回の旅では田沢湖畔で一度バスを降り、猛烈に寒い中、田沢湖湖畔からTime Lapse (微速度撮影)で写真(動画)を撮ることにしました。

Tazawa Lake @ Akita, Japan (Full HD 60fps) from Naoki Miyashita on Vimeo.

もう。モーレツな寒さでして、この30分近い撮影の間、死にそうになりました。動画の後半で出てくるように現地のカップルたちが、この寒さの中、結構余裕な格好でとことこと歩いてきては水際まできて遊んでいます。長野出身の私の寒さ耐性は20代で消え失せましたので、あまりの寒さに倒れそうになりました。田沢湖の写真を何点か。うまく表現できていませんが、雲の合間から太陽光のカーテンが降りてきていて、”生では”相当にきれいでした。


う~む。大した写真ではないですが、実はこの撮影している場所も夏は水の上です。というわけで氷の上に立って撮影しています。


さて、またバスに乗って、お迎えポイントであるアルパこまくさに向かいます。バス停ががっつり雪で埋まっていますね。
奥の山の左側にスキー場があるのがわかりますでしょうか?あれが田沢湖スキー場で、鶴の湯はさらにその奥にあります。


結構、バスで上ってきました(車窓からです)太陽も傾いて来て、遙か向こうに先ほど撮影していた田沢湖があるのがわかりますでしょうか?


車内からなので、被写体ぶれが甚だしいですが、途中はこんな白樺があったりときれいです。


田沢湖スキー場までやってきました。一緒に鶴の湯に来た連中は、朝から滑っていた様です(宿で合流)。雪質も良かった様ですよ。
私は長野出身ですが、高校までスキーをやりすぎて、上京(18歳)以降一回も滑っておりません。果たして滑れるのか?
今はスキーよりもカメラと三脚をもってリフトで上がり写真を撮りたいです。そんなやつ見たことありますか??(できるのかな?)

さて、アルパこまくさに到着し、鶴の湯のマイクロバスを見つけます。鶴の湯は予約困難の人気温泉なので、普通の時間に到着すればまず他のお客もいると思うのですが、田沢湖駅に到着したら宿にお迎え予約が必要です。何時のバスに乗るのでよろしくねと。


車窓から見える最初の鶴の湯の看板。あまりに被写体ぶれが激しいので、ブログにあげるのは忍びないってことで小さい映像で。

アルパこまくさから鶴の湯までの道がモーレツでして。相当背の高い雪の壁の間を通ってゆきます。400年くらい前に鶴が温泉で怪我を癒していたという伝説が残っていて、そこから鶴の湯という名前がついたそうです。その為、治療や怪我を治すために長年愛されてきた温泉の様ですが、車が無い時代のしかも冬に怪我をした状態で行くのは危険です。温泉に癒される前に寒さと雪で逝ってしまいそうです。

さて、鶴の湯に到着です。鶴の湯は、もとよりある”本陣”(=今回お世話になるところ)と”別館:山の宿”というのがあります。私は本陣しか来たことがありません。


相当雪深いです。つららもモーレツに垂れ下がっています。ここまで山深いと”秘湯”と書かれなくても、秘湯であることは一目瞭然です(笑


雪のかまくらの中には、”水上様”と、小さい雪だるまがありました。小学校低学年くらい前までは実家でかまくらを作った記憶がありますが、最近はどうなんでしょう?
”疑惑!?”の地球温暖化らしいですし、雪が少なくて作れないかもしれませんね。


さて、ゲートを超えて鶴の湯・本陣のメインストリートです。左側が部屋と食堂、右側が各部屋がある棟です。先の方で写っているおじさまは、私を覚えていてくれました。何度も来たくなりますね。


いい感じで雪が積もっていますね。ここは私の部屋のある棟です。


先ほどのメインストリートを越えると温泉がある橋にたどり着きます。マップは鶴の湯公式サイトの温泉のページをごらんください。
この建物には、女性(専用)露天風呂と、黒湯、白湯というのがあります。ちなみに温泉は24時間入れます。

温泉の解説をここでしてしまうと、鶴の湯には、数個のお湯があります。すべて泉質が違います!
・(一番大きな)混浴露天風呂:混浴ですがまずお湯が白いのと、女性の脱衣所からはうまくお湯まで入れるので、割と女性でもいけると思います。湯船に入っていれば全く見えないので問題ないです。実際には若いカップルなども仲良く、しかもたくさん入っていました。
・女性専用露天風呂:一応上記の露天風呂は混浴なので、女性専用の露天風呂があります。男性専用はありません。
・中の湯:混浴露天風呂の手前にあります。眼っこの湯といういらしいです。眼に効くのかな?
・黒湯:ぬくだまりの湯、子宝の湯というらしいです。
・白湯:私が一番お気に入りのお湯です。美人の湯というらしいです。
・あとは、滝の湯という打たせ湯があったり、宿泊者用体を洗えるお湯など

があります。写真を少し紹介


黒の湯、白の湯の入り口です。いい感じです。


これは白の湯で、上記の写真の建物の中にあります。今回の旅では結局ここに2時間近く入っていた気がします。お気に入りです。ここにカメラを持ち込むのはかなり勇気がいります。


続いて黒の湯です。白の湯と同じ建物にあります。ここは深さも結構あり、こじんまりと入るにはもってこいです。カメラが壊れそうです。


次に中の湯の解説です。中の湯の写真は撮れませんでした。やっぱり眼っこの湯ということで眼病に効くようですね(ブログを書いていて今知った)


さて、もっとも注目の”混浴露天風呂”ですが、普段は人気のお湯でまずだれか入っています。そこにカメラを持っていって写真を撮るのはかなりのチャレンジャーです(無理です)
と思っていたら、出発の翌朝、定期的に行われている露天風呂の掃除がありまして、そのタイミングで写真が撮れました。
おじさまのいる場所が一番深く、写真の右側まで普段はお湯が張っています。お湯はおじさまの足下のお湯です。白いのがわかりますよね。
おじさまの右側にある大きな岩が隠れるくらいまでお湯を張っている状態です。想像してください(笑)
ここに、宿泊者がのんびーりとゆったあぁりと入っています。星も見えたりして、もう最高です。最上です。完璧です。
上記でも解説しましたが、お湯がこのくらい乳白色ですので、混浴とはいっても全く見えないので女性でもGOです。


おじさまとは反対側の様子。右の建物が男性用の混浴露天風呂に入る様の脱衣所+中の湯があります。女性はさらに奥の建物で着替えて、今は砂利が見えていますがそこまで露天風呂のお湯がありますのでお湯に入りながら”かがんで”入ってこれるシステムです。

さてこのブログを書いているときのBGMが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番です(ベタですが)。今第三楽章です。やばいです。
と、話はそれましたが、メインストリートの方に戻ります。


軒先には、高野豆腐が(長野では染み豆腐)掛かっていました。カラフルです。左には干し柿もありますね。ちなみに私は柿が食えません。


鶴の湯のデフォルト電灯です。LED電球も魅力ですが、趣といえばこのデザインですな。

さて、温泉も最高ですが、鶴の湯の魅力は食事です。


一風呂浴びて、食堂に皆で向かいました。ちなみに今回は6人での旅です。まずはこんな状態で待っていてくれています。
この写真の右上の部分は・・・・


いろりです。最高です。素晴らしいです。川魚が焼かれていました。もちろん我々用の6匹です。
魚を食べ終わった後にこの上にフックがありまして、メインであります、”山の芋鍋”が掛かります。
しかーし、前回もそうだったのですが、あまりのうまさに写真を撮るのを忘れました・・・(苦笑

というわけで、食事は相当に最高です。まさに秋田の田舎料理を堪能でき、腹一杯食べられます。東京では、いや最近では、味わえない感動です。

食事を終えた頃には空は真っ暗で、メインストリートに変化がありました。両サイドに雪がせり上がっていましたが、その中にろうそくが灯してありました。


クリックすると拡大します。

とても素晴らしい空間と光で感動致しました。寒いですが三脚を使っての撮影です。


こんな感じで雪を掘った中にろうそくが灯してあります。


逆サイドの写真です。ちょうど正面が食事を取ったところです。

さて、時間が前後していますが、


私の部屋の建物がある廊下です。


思いっきり散らかってしますが、部屋の様子です。同部屋の方(6人のうちの一人)は、スキーをやってきているので、荷物が多くて大変そうでした(私もカメラが重くて大変でしたが)
部屋に入る前に写真を撮っておくべきでした・・・。

食事をした後は、温泉にだらだらだらだらだらだら入って、一泊二日でしたがのべ4時間くらい入ることができました。相当にリラックスできました。


そして、次の日。とても天気も良くて気持ちが良かったです。


メインストリート(とずっと言っていますが、公式にはそんな横文字の名前が付いているわけではありません)です。


メインゲートです。


鶴の湯のバスが来てしまいました。超リラックスな旅もここで終了です。

2回目でしたが、やはり最高の温泉と料理とおもてなしでした。心の底からリラックスできました。私の名前を覚えていてくれたご主人はじめ、現地の方たちの暖かいお出迎えは本当にうれしいものです。
先日紹介した、近代的なリゾートスパホテル”arcana izu”ももちろん素敵でしたが、やはり田舎出身の私にとっては圧倒的に好みはこちらです。
ちなみに冬は暖房費が別途かかりますが、暖房費込みでも食事付きで1万円を切っておりますので、大変リーズナブルです。

1回目に行ったときは一人旅だったので、夕飯は同じく一人旅の方たちと囲炉裏を挟んでいろいろお話しました。そこに来ていた女性は、既に日本中の温泉を200湯を超えていましたが(その時温泉巡りの単位が湯(とう)であることを知った(笑))、そんなプロから見ても鶴の湯は最高らしく定期的に来てしまう温泉とのことです。多くの温泉・旅雑誌、テレビでも特集を受けたりしていて、予約は相当に困難ですが、心よりおすすめできますので、是非鶴の湯に行ってみてください。何しろ、あまり温泉が好きじゃなかった私が一気に改心しましたので、相当のインパクトでした。ゆっくりされたい方は是非。

乳頭温泉郷 鶴の湯温泉@秋田に行ってきました

あけましておめでとうございます。

先日、秋田県にある乳頭温泉郷の”鶴の湯温泉”に行ってきました。

乳頭温泉郷オフィシャルウェブサイト

鶴の湯温泉ウェブサイト

乳頭温泉郷は、7つの湯・宿があり、その中でも最も歴史が古く、人気が高い”鶴の湯温泉”にいってきました。1688年ころには既に宿があった記録があるらしいので、300年以上の歴史がある古い温泉のようです。私は、秋田新幹線で田沢湖駅まで行き、バスで40分くらい乗ったバス停で降り、そのバス停まで鶴の湯の車が迎えに来てくれていました。かなりの長旅です。秋田空港まで飛行機で行って、そこから車で行った方が楽かもしれません(予約をすれば秋田空港まで迎えに来てくれるらしい@1.5時間)。

私が行った日は今年最初の大寒気が来ており、モーレツに吹雪いていました。今年初の吹雪だとは知らず、”さすが秋田の山奥だと大雪だなぁ”ともののあはれを感じていると、ご主人に”今年最初の大雪”と言われ、昨日までは雪も無かったことが判明しました。大変な雪と風で寒かったです・・。とりあえず、その大雪にも負けず三脚を立てて写真をとってきました。浴衣での超時間撮影ですから、凍え死にそうでした(笑)

200812_img_1852.JPG
鶴の湯の入り口。大雪です。

200812_img_1827.JPG
鶴の湯の位置は、Google Mapsで見るとこんな場所にあるので、周りはがっつり山に囲まれています。
一面真っ白でした。

200812_img_1858.JPG
鶴の湯所有でしょうか?除雪車がありました。確かにこれがないと一般車では到底たどり着けません。
300年以上歴史がありますが、この雪深い温泉に昔の人は歩いて到達できたのでしょうか?
少なくとも病気持ちの方が傷を癒すためにこの温泉を目指したとしたら、途中で息絶えると思いました。

200812_img_1821.JPG
鶴の湯の部屋や共同で食べる囲炉裏(いろり)がある食堂の建物です。

200812_img_1618.JPG
鶴の湯入り口(最初の写真)の夜バージョンです。この死ぬほど寒い中三脚+レリーズ+ミラーアップの気合い撮影です。
EOS 5D Mark IIはISO25600まで感度が上げられるため、手持ちでも十分に行けるのですが、
あとで画像を比較してみると三脚+ISO100の透明感、空気のヌケっぷりはかないませんでした。
今後のカメラ作りとしては、高感度なぞどうでも良いので、ISO800までの画質を追求してほしいものです。

200812_img_1620.JPG
鶴の湯のゲートを超えた辺り。左が部屋と食堂、右側が、私の泊まった部屋のある建物。
中心奥に温泉があります。鶴の湯だけで、7,8個くらい温泉があるのかな。
女性専用の露天風呂が2つあるので女性はかなり有利です。男性が入れる露天風呂は混浴のみです。

200812_img_1534.JPG
私が泊まった部屋です。私の荷物を置く前に撮影すべきでした。一泊飯付きで9000円ちょっとだと思います。

200812_img_1760.JPG
この温泉のウリの一つは夕食の山の芋鍋です。が、あまりにおいしくて速攻で食べてしまい撮影を忘れました。
ということで次の日の朝食です。漬け物などおいしかったです。食事は夕食、朝食共に、相当においしく大満足です。
囲炉裏を囲って皆で食べるので、一人旅でも楽しめます。

200812_img_1616.JPG
私の部屋の前の廊下です。良い感じです。

200812_img_1699.JPG
昔ながらのストーブは各所にありました。無いと死にますね。普通に。

200812_img_1834.JPG
一日でどの位雪が積もったかわかりますね。その後も2,3日降ったようなので、1回の寒波で1m近く降ったかもしれませんね。

その他の写真はfotologueにアップしてあります。興味があれば。

感想は、温泉、部屋、宿の人、ご飯、宿で出会った他の旅人全てにおいて最高に素晴らしかったです。
食事は何杯でもおかわりしたくなるほどおいしく、人々も優しく、秋田弁もすごく良い感じでした。
特に夕飯の山の芋鍋は最強です。囲炉裏を囲んで会話も弾み素晴らしい夜になりました。

夕飯時、私の前の方は温泉を巡って20湯以上全国を回っている30代中盤の関西の男性でした。左に座って居た方は、横浜出身で、150湯を巡ったことがある素敵なおじさまでした。その左には、もう数えられないほど行っているという静岡の女性でした。みなさん、鶴の湯に一人旅で来ており、圧倒的な温泉マニアでビビりました。こうやって知識で全くかなわない分野のお話ができると燃えますね(笑)私も温泉巡りをがんばろうと心に決めました。
鶴の湯は、その数知れず温泉を巡っている女性ですら、7回目というほど、何度も来たくなる名湯とのことです。私も温泉は一般的レベルで好きという程度でしたが、鶴の湯に来て本格的に全国の温泉を目指そうと開眼させられました。

テレビもインターネットもなく、携帯も通じない(ドコモは通じたが、Softbankは全くNG)環境で、木造の旅館で、ゆっくりと温泉に入るのは本当に癒されますね。
是非、ご興味がありましたら、足を運んで頂きたいです。ただ、”じゃらん”の行きたい温泉のNo.1だったり、あらゆる温泉・秘湯本などでも筆頭の人気温泉なので、予約は早めに取らないと大変だと思います。

さて、蛇足です。今回EOS 5D Mark IIのロケデビューということで、このカメラのウリである動画撮影を試してみました。
Full HD(1920 x 1080)をEOS用のEFレンズを通して撮影できるのでこんな面白い機能はありません。
YoutubeもHD(720pだけど)に対応したので、下にアップしてみます。大雪っぷりが伝われば幸いです。
TMPGEncで1280×720に40Mbpsで再エンコーディングしてアップしています。Youtubeでは今までみたことないレベルの超高画質動画ではないでしょうか?
今回は風景ですが、人を撮ったりする際、F1.4程度の大口径で動画を撮ると超綺麗にぼけて今までのビデオカメラにはないおもしろさです。


↑このブログ上ではHD再生は恐らくできません。ダブルクリックしてYoutubeのサイトに移動して、”HD画質で再生”してみてください。綺麗ですよ。

さらに、EOS 5D MarkIIの取り出したままの生動画ファイルも貼っておきます。
映像は、MPEG4 AVC, 40Mbps位の超高ビットレート、音声は2ch PCMあたりです。Quicktime形式です。

MVI_1799_Tsurunoyu_Front_Wide1.MOV
MVI_1789_Tsurunoyu_Honjin_Street1_With_Person.MOV
MVI_1804_Tsurunoyu_Honjin_To_Spa.MOV
MVI_1751_Tsurunoyu_From_Room_To_Side2.MOV