第二回:続”茶の湯”を辿りに京都へ赴く(二日目)

”茶の湯”に関する京都への旅に再び行ってきました。その二日目の記事です。

参考(一日目の記事:この記事の前編):第二回:続”茶の湯”を辿りに京都へ赴く(一日目)
参考(前回の京都の旅「一泊二日」):”茶の起源”を辿りに京都へ赴く(一日目)

さて、ビジネスホテルの朝食をできるだけ早く食べて出発。今回もAPAホテルを利用しましたが、さすがは京都・・・。ビジネスホテルとはいえ高いです。京都の宿は、こういったビジネスホテル以外の選択を考えないと。

本当は、東山区鷲尾の西行庵の朝茶(朝5時 or 6時)に行ってみたかったのですが、一人では予約も出来ず。京懐石などもそうですが、やはり京都は一人で行くのはいろいろ不利ですな(笑)門前払いとはこのこと。

さて、京都駅(JR)→向日町駅→(バス)→南春日町バス停という移動・・・。遠い・・。
大原野神社に向かいます。

今回の写真も全てクリックすると拡大します。細部をご覧になりたい方は。

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周辺地図を一応掲載(クリックすると拡大)

◆其之九:大原野神社(おおはらのじんじゃ)

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大原野神社(おおはらのじんじゃ)の解説板。クリックすると拡大。

大原野神社公式サイト:http://oharano-jinja.jp/

この神社の由来は公式サイトなどをご覧頂きたいですが、784年に平城京→長岡京に遷都の際に、春日大社の分霊を遷し祀ることにしたのが起こりとのこと。1200年以上の歴史があります。

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大原野神社 一の鳥居

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(酷い写真ですが)鯉沢の池

この時期は何もないですが、かきつばた、水蓮の花が綺麗とのこと。

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千里桜 : 春に来れば綺麗でしょう。

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本殿 ちょうど朝9時で祈祷(?)されていました。

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本殿。

さて、これだけですと歴史のある神社の紹介で、一見`茶の湯`に関わりがないようですが・・。

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なんと、茶筅形。おみくじをくくりつける竹の置き物。

どうやら、ある茶の流派の方達が、茶会や茶筅供養などこの神社で以前やっていたことから来ているようです。

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春日乃茶屋

神社内に春日乃茶屋というのがあります。ここで薄茶でも頂きたかったのですが、営業していませんでした。

さて、大原野に来たのは、この大原野神社だけではなく、勝持寺を見たかったからです。大原野神社からすぐ近くなので歩いて向かいます。その道が実に素晴らしく。

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素晴らしい太さの竹が生える竹林

野上彌生子の小説『秀吉と利休』をベースとした映画「利休」で、利休役の三國連太郎が竹林に入って、”竹を一本貰うよ・・”というシーンがあるですが、あんな太い竹林なんぞ京都には普通にあるのかな?(あのシーンは小田原界隈かもしれませんが)と思っていましたが、やはりあるのですね。正月に実家に返った際に、茶杓用に実家の竹林を見に行きましたが、とても細くて茶杓にはむきませんでした。こうやって、写真の様なガッツリ太い竹を見ると、確かにの花入れを作りたくなりますね。一本持って帰りたかったです(もちろんダメ)

◆其之十:勝持寺(しょうじじ):花の寺

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勝持寺に到着したとおもったら、あれれ門が閉まってる。どうやら2月は一般拝観はしていないようで、拝観したい場合はインターフォンで呼び出して門を開けて貰う必要があるとのこと。勝持寺は、”花の寺”として知られ桜が極めて有名なお寺です。きっとこの2月に来る方は少ないのでしょうね。季節外れに勝持寺を訪れる際には、事前に問い合わせください。

勝持寺公式サイト:http://www.shoujiji.jp/

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西行桜

西行さんが植えたと伝わるこの”西行桜”が有名で花の寺と呼ばれるようになったとのこと。

お寺の由来を公式サイトより引用。

当山は、京の西山連峯の麓にあって、小塩山大原院勝持寺と呼ぶ古刹であります。白鳳8年(西暦679年)天武天皇の勅によって神変大菩薩役の行者が創建したのが始まりで、延暦10年(西暦791年)に伝教大師が桓武天皇の勅を奉じて堂塔伽羅を再建され、薬師瑠璃光如来を一刀三礼をもって刻まれて本尊とされました。

このお寺も非常に歴史があるのですが、1140年にこの寺で出家して”西行”と名乗ったことで有名なお寺でもあります。西行さんが出家したのがこの勝持寺で、朝茶に”行けなかった”西行庵が、西行さん最後の地とのことです。さて、この勝持寺を訪れたのは、このお寺で”闘茶”を行っていたという記録があるため。

前回の京都の茶の起源を訪ねる旅(二日目)で、高山寺の栂尾茶の茶畑を見てきました。栂尾茶は本茶と呼ばれ、それ以外と区別されていたようです。”闘茶”は、その茶が本茶か否かを当てるゲームであり、一時流行ったとのこと。このお寺は花が綺麗なので、花見をしながら闘茶がとても盛り上がったようです。今は闘茶にかかわらず茶事などの行事もないようです。

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解説板。クリックすると拡大

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2月は拝観者が少ないとのことですが、椿が庭中に。むしろ茶の湯の方達は2月頃来て、静かに見て回るのも良いかもしれません(おそらく桜の季節にきたら意見がかわる来もしますが(笑))

(*さてこの記事を書くのが遅くなってしまい、今はもう3月も下旬。京も東京と同様に桜の開花が今年は早いようですので、今頃勝持寺は桜満開かもしれません)

さて、ここでもバスの時間を調べておいたので、南春日町バス停にダッシュで戻ります。バスで向日町駅に戻り、JRで京都駅に戻ります。そして、京阪電車で八幡市駅に向かいます。

◆其之十一:松花堂 庭園・美術館(しょうかどう)

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松花堂美術館(どうでもよい写真ですが・・・)

松花堂庭園・美術館公式サイト:http://www.yawata-bunka.jp/syokado/

さて、前日に本阿弥光悦の光悦寺に行って参りましたが、光悦と共に寛永の三筆として、書の達人であり、茶人としても名高い松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)の邸宅があった松花堂庭園、および美術館に向かいました。はっきり言って勝持寺あたりからだと公共の交通の便が悪くかなり時間がかかりました。車があればだいぶ違ったかもしれませんが、観光シーズンだと車は渋滞の可能性もあり難しいところです。

写真の美術館は庭園を見た後に見に行ってきました。松花堂昭乗の生い立ち・文化人との交流など歴史を学べます。利休の時代よりも新しく、小堀遠州との交流が深かったため、少し茶風も変わってきていたのでしょうね。そういえば、美術館の内容を含めどんな茶風であったのかは、あまり書かれていなかったような・・(気が付かなかっただけかな)

庭園とこの美術館の間に、「きっちょう」松花堂店があります。松花堂といえば松花堂弁当を思い浮かべる方もいるかと思いますが、その松花堂弁当の発祥はもちろんココ。そこでここの「吉兆」では元祖松花堂弁当のランチを頂けます。今回は時間がなかったので頂けませんでしたが。

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数寄屋”梅隠”(再現したもの)

松花堂庭園は数寄屋(茶室)がたくさんあります。一般でも予約すれば使えるようで茶事などに使われている様ですね。この”梅隠”は、利休の孫”千宗旦”好みの四畳半の数寄屋を再現したもの。という様に私が解説するよりは・・・

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茶室「梅隠」の解説板。クリックすると拡大。

このようにそれぞれの茶室に間取りも含め解説されています。

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蹲(つくばい)も。

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数寄屋「松隠」

小堀遠州の数寄屋「閑雲軒」を数寄屋研究の第一人者中村昌生先生が再現された茶室とのこと。4畳台目。数寄屋を学ぶときに中村先生の本は避けては通れないですね。家にも数冊あります。数寄屋の研究とはなんと優雅な。

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「松隠」の蹲。こんなに高い位置に。元々床の高い建築の様で。どうやって手を清めるかこの高さだと分かりません(・・・と外からやるわけではないのかな??)

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さて、「梅隠」「松隠」と来て、

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数寄屋「竹隠」

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この「竹隠」は、千宗旦・小堀遠州などの再現ではなく、現代の数寄屋大工(茶室専門の大工)が現代の技術を使って作った茶室とのこと。右奥には金色の竹が見えますでしょうか?

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「竹隠」から見える金明孟宗竹

竹の中で最も美しいと言われる金色の竹「金明孟宗竹」が「竹隠」からは見え、借景としています。素敵です。

ちなみに松竹梅の茶室。それぞれの茶室は一般人でも利用できるようですね。
http://www.yawata-bunka.jp/syokado/shiyou/index.htm
これによると竹隠で15000円。意外と安い??

さて、いよいよ松花堂昭乗の草庵茶室「松花堂」に向かいます。しかし写真禁制でした。しかも茶室「松花堂」自体も工事中で外観が見えないという・・・。少し遠くから覗きましたが小さな草庵で、晩年多くの昭乗の友達(超一流文化人達)が気楽に遊びに来ていた雰囲気が出ておりました。昭乗が寛永14年(1637)に建てたもので(復元ではない)、京都の有形文化財となっています。

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とにかく松花堂庭園は綺麗でした。ちょいと京都市内から遠いですが、数寄屋(茶室)にご興味があれば是非に。

◆其之十二:朝日焼窯元@宇治(あさひやき)

さて、宇治にやってきました。

京都の焼き物といえば、樂焼、京焼、清水焼、御室焼と・・・・朝日焼。

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朝日焼(窯元)

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朝日焼(窯元)

宇治の窯元 ”朝日焼” 公式サイト:http://asahiyaki.com/

茶の湯と共に400年の歴史のある窯元。宇治に訪れた際に是非足を運ぼうと思っていました。現15世にはお二人の男性のお子様がいて、お二人とも陶芸をされているとのこと。弟さんは、今までの朝日焼とは違うテイスト(というより全然違った)で作品を作り、兄弟でコラボしたりいろいろ試しているようですね。長男さん(次期16世の方)の作品を拝見しましたが、素敵でした。買うなら値段の安い今のうちですかね(笑)先日の多治見に行った際にも同世代の`次`代が活躍していましたが、こうやって家を繋いでいくのも大変ですが素敵な文化ですね。(当たり前ですが)茶の湯もされているとのこと。

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福寿園の宇治工房が朝日焼窯元の隣にありました。とりあえず、家稽古用の抹茶を買ってきました。

◆其之十三:通圓(つうえん)

さて、宇治と言えば、宇治橋のたもとにある通圓。

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通圓(つうえん)

通圓公式サイト:http://www.tsuentea.com/

もともと武家であり、宇治の橋の橋守などから商売をはじめ、橋を渡る人々にお茶を配り(売り)売り続けて853年。すごい歴史です。実際には前回の京都の旅の記事でも書いたように、栄西さんが茶の種を持ってきて建仁寺を建立したのは、1202年ですから通圓創業(1160年)より後です。その旨を通圓のご主人に質問したところ、最初は上記の様に、橋守などから始めたようです。茶の起源を自分の足で歩いておきますと、こういう無駄な知識が付きますね(笑)

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さて遅いお昼。茶そば。

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続けて、薄茶と茶だんご。

さて、お土産に”橋守の昔”という抹茶を買ってきました。家稽古に使いましたが、とても美味しかったです。少なくとも今までの家稽古(ウチの水、釜などの環境を含めた)では一番美味しく。また通販で取り寄せようかと。

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宇治橋

さて、通圓では、秀頼から茶会用の水を汲んでくる仕事を頼まれたらしく(第10代、第11代)、今でも10月に宇治橋三の間から水汲をくむ茶祭りをされているとのことです。素敵ですね。一度見てみたいです。

さて、もう新幹線の時間が近く、上林春松本店で徳川家康が愛した”祖母昔(ばばのむかし)”の濃茶用抹茶を速攻で買って京都駅に戻り新幹線に飛び乗りました。

今回の2回目の京都の旅も実に素敵な旅となりました。1回目が茶の起源+利休に関する旅、今回は利休より少し新しい時代の茶人などや、広義な意味で茶に関する場所・寺院を訪ねました。京懐石も実に美味しく、やはり素敵な町ですね。また近々、今度は誰か茶の湯好きな人を誘って、二人以上から予約できる各所を訪ねたいと思います。

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