”お盆”という行事について調べ感銘を受けた。

お盆を、長野の実家で過ごしてきました。そういえば31回もチャンスがあったくせに、お盆の事をよく知らずに生きてきたことに気がつきました。
そこで、せっかくですのでお盆の事をについてウィキペディアで少し調べて見ることにしました。そんなこともしらねーのかと突っ込まれるかもしれませんが、31回目にして、もやっと知っていたお盆に対して、少し理解が進みました。

何せ知識源が、ウィキペディア+Googleの検索1ページ目以内ですので(笑)、大したものではありません。そこで、箇条書きでまとめることにより、このエントリー(記事)だけで概要が分かるように目指してみました。もちろん本当の起源に関しては諸説あるようで、私の誤解もある可能性を考えると内容を鵜呑みにするのはやや危険です。所々、リンクを張ってありますので、詳しくはリンク先を参照頂ければと思います。

サンスクリット語のullamvana[ウランバナ](=逆さ吊りの意)から、音写語として、”盂蘭盆会”(うらぼんえ)となった仏教的な行事が、日本に伝わって”お盆”になったものである。

・盂蘭盆会とは、お釈迦様の弟子にあたる、目連という人の”母親”が、餓鬼道(六道の1つ)に落ちた伝説”目連伝説”がベースとなったと言われ、インドの行事ではなく、中国に伝わった時にできたものらしい。ちなみに六道は、仏教において迷いのあるものが輪廻するという6つの世界の事。餓鬼道の他に、天道、人間道、修羅道、畜生道、地獄道がある。つまり餓鬼は地獄ではない。

・餓鬼道に落ちて喉が渇いて飢えた母親を、お釈迦様の教えに従って、安居(あんご)の時期に食料のお供えをすると母親に食事・水が届いたという伝説らしい。または、供養することで母親を救ったという話もあるらしい。

安吾(あんご)とは、僧が集まって一斉に修行する事、またはその時期を示すらしく、安吾の最終日は旧暦7月15日になるらしい。つまり、盂蘭盆会とは、”目連伝説”を受けて、父母や先祖の逆さ吊り(母親が餓鬼道に落ちた事から)など苦しみを、7月15日にお供えして、苦を救うという行事の様である。

・盂蘭盆会は、中国では、538年に行われたような記録があるらしい。日本では少し遅れて、606年に推古天皇が、657年に斎明天皇が行った記録が、日本書紀に残っているらしい。つまり大化の改新の頃には既にあった行事の様である。

・日本に伝わった時には、仏教の行事であった盂蘭盆会から、日本古来の信仰である古神道などと融合して、変化していったものらしい。

・日本では、古来より、旧暦の初春と初秋の満月に祖先の霊が子孫を訪れて交流するという行事があったらしい。初春の行事が正月になり、初秋の行事が、盂蘭盆会と融合してお盆になったという説があるらしい。ちなみに初秋の満月とは旧暦7月15日(旧盆)にあたる。つまり安吾(あんご)の最終日と一致する。

・七夕(たなばた):元々は、棚幡(たなばた)と書き、7月7日に故人を迎えるために、精霊”棚”(しょうりょうだな)を用意し、その棚に”幡”(はた)を備える行事で、旧暦7月”七”日の”夕”方に備えたことから、七夕(たなばた)というようになったらしい。おひりめ・ひこぼしの話の前に、お盆に関連する1つの行事だったらしい。今は8月15日の月遅れ盆が主流なので分離してしまった。ちなみに宮下家は、お盆の時に、精霊棚を用意します。

・旧暦7月10日は、釜蓋朔日(かまぶたついたち)といい、地獄の釜の蓋が開く日と言われていて、一般的にお盆の始まりの日とされているらしい。(一方で仏教的には旧暦7月1日~24日がお盆らしい)。釜蓋朔日は宮下家では行わないが、これは盂蘭盆会の影響なのだろうか?祖先が地獄から来ることが前提となっているのだろうか??盂蘭盆会は地獄ではなく、餓鬼道であり、この辺が日本に伝わって、いろいろ変化している様子が分かる。

・また祖先は、お墓に居ると一般的に考えられているが、一方で、”山”や”川”に居るという考え方があり、お盆前に山や川から里に通じる道の草刈りをして、故人が歩きやすくするという地方もあるらしい。(宮下家はおこなっていない。祖先も墓から来ると教えられている)

・旧暦7月13日に”迎え火”(むかえび)を行う。これは宮下家も墓参りをして、ワラを炊いて、”盆さん、盆さん、この灯りでおいでなすってよぉ~”と歌いながら祖先・先祖さんたちを呼びます。基本的にこの行事は多くの地方でやっているのではないでしょうか?この行事も良く調べてみると諸説あるようで、火を炊くのは、お墓ではなくて家で炊き、祖先が山・川から来るための目印とする。墓参りは、”お盆の時期は、祖先が家に居るので、墓を留守にしている。その留守の間にお墓を掃除してあげよう”という考え方もあるらしい。

・旧暦7月16日に”送り火”(おくりび)を行う。祖先が山・川へ帰ると考えられている地方は、五山送り(京都)や、灯籠流しなどで送ることもあるらしい。宮下家では、家の前で火を炊き、お墓で火を炊き、”盆さん、盆さん、この灯りでお帰りなすってよぉ~”と歌いながら送る。

・旧暦7月十五夜 または十六夜(いざよい)には、盆踊りを踊る。その名の通りの盆踊りなのであるが、これは地獄や餓鬼で苦しんでいる受苦を逃れた者達が、喜んで踊る姿を表していると言われる。もともとお盆は旧暦(天保歴など)をベースとしている。日本の現在の暦は、太陽暦をベースとしたグレゴリオ歴であり、1872年に日本で採用された。太陽暦は、その名の通り、太陽を地球が1年掛けて公転するのをベースとした暦である。一方でその前の旧暦は、太陰暦をベースとしていて、”月”を満ち欠けを基準とした暦である。つまり、7月15日 or 16日は必ず満月になり、盆踊りは、月明かりで夜通し踊れたらしい。この辺は大変おもしろい。(ちなみに天保歴は太陽の公転を考慮した太陰太陽暦である)

・宮下家では、お盆に精霊棚を作り、”茄子”と”きゅうり”に爪楊枝を4本指すことで足にして、トウモロコシの髭を尻尾に見立て、馬と牛のオブジェを作る。これは、正式名で”精霊馬”というものらしく、私は意味も知らずに備えていた。これもどうやら意味があり、”きゅうり”は、”馬”と見立てて、あの世から速く帰ってくる気持ちを込められており、”茄子”は”牛”と見たてて、少しでも長くこちらの世界にいるようにゆっくりと歩き、更にたくさんのお供えものを持って行けるようにという気持ちが込められているらしい。とても素晴らしい。

■最後に・・・・

今回、お盆を調べたことで、いろいろ目から鱗でした。旧暦の日付コントロールが本当に美しかったのに感動しましたし、31回意味も知らずにやっていたお盆の行動が、1つ1つちゃんと意味が込められている事に深い感銘を受けました。祖先を大切に敬うというのが、盂蘭盆会から始まるお盆の考え方ですが、私としては、この忙しい時代にお盆だけは、実家に帰り、両親に顔を見せ、親戚同士で1年の健康を確認するという意味でもお盆という行事は本当に素晴らしいものだと思っています。大切に伝えて行きたいものです。

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