若洲海浜公園の朝焼けとしばらくブログ更新停止。

今朝の朝トレは、毎度の事ながら若洲海浜公園だったのですが、朝焼けが極めて綺麗でした。日も短くなってきて若洲に到着しても太陽が上がっていない時期になってきました。

うーん・・。この写真が相当イマイチで伝わらないんだけども。
そろそろ足先に貼るホッカイロが必要になってきました。

 やはり縦写真だと下が切れるな・・。CSSを早くなおさんと。

今日はMadone + Bontrager Aeolus 7 D3 チューブラーで行きましたが、このブログで散々書きましたが、このホイールは実に素晴らしいです。毎回乗る度に”伸びるなぁ”と感じます。

3cmハイトのBontrager Aeolus 3 D3: ヒルクライム用
7cmハイトのBontrager Aeolus 7 D3(このホイール):平坦+トライアスロン用

この2セットあれば他に変なホイールは要らないなと。または、5cmハイトで全て1本で済ますとかでもよいかな。D3のチューブラー版のハブは実に良く回り良い感じです。どうやらクリンチャー版もこのDT180ベースのハブになることが”たまにある”という情報が・・・。

さて、今週末からロシア方面にロケット関係の調整で出張してきますので、10日ほどブログを更新停止です。現地でランニングでもトレーニングができるかが一番の心配事。

出張後、カンパの魅力(その3:ホイール)あたりを更新予定です。

地元の伝統工芸”上田紬”と”真田紐”

某ソーシャルサイトの企業ページで、”今週は上田紬を使ったコーディネート”というものをたまたま見かけました。その企業ページは、いろいろな着物の種類、コーディネートなどを紹介するもので、今週は実際に上田紬を作っている工房の方のご意見も含めた上で上田紬を使った着物を紹介するという内容でした。

以前ならこの内容でも見過ごしていたかもしれませんが、この数年着物を着るようになったのと、茶道を始めたことで目がとまりました。しかも地元である長野県上田市の伝統名産「上田紬」でした。そういえば18歳まで過ごしていた間に「上田紬」という単語は何度も耳にしたことがありました。その時の趣味・趣向で目に付くものは変化するわけですが、このたまたま良いタイミングで上田紬を見つけたので、少し調べ見ることにしました。

まず、実家の母親に電話してみたところ、

上田はそもそも紡績関係の会社も多く(現在は別業種に転換しているが)、日本で2つしかない”繊維学部”が、信州大学上田キャンパスにあるくらい元々紡績が盛んな街であったと。兄が勤めている会社も今は小型モーターなどの仕事をしているが元々は絹糸工業であったりと。そういえば、ウチの実家や母方の祖父・祖母の家でも昔、蚕を飼っていたことを思い出しました。山の畑は”桑”だらけで、その桑の切り株で足を怪我をして縫ったこともありますし(笑)。そんな紡績の街で、”上田紬”はもちろん有名らしく、母方の祖母ももちろん何着か上田紬の着物を持っていたとのこと。茶道の話を含めると、上田紬は物は良いけど、”紬”なのでやはり”格”の問題で茶会などには使えないのでは?あくまで普段・ちょっとした訪問着程度ではないかとのこと。(当たり前の事ですが)着物に格があることを思い出しました。茶道では、ちゃんとした席では格が最も高い袴である必要があります。それでも年末帰省時に地元の呉服屋に行ってみることにしました。いろいろ写真を見ると上田紬の風合いがとても綺麗だったので。

母方の祖母は、既に他界しておりますが、家庭科の先生でした。戦前生まれの家庭科の先生ですから、言ってみればこういった着物など布の扱いは特別と言えるほど器用で小さい頃に私が来ていた服、小物、帽子、バッグなど祖母の手作りの物が多かったことを思い出しました。近年着物を着るようになり、茶道を始めたことを母に話すと、祖母が元気だった頃にその話をしたらきっと凄く喜んだはずと言っていました。おそらく反物だけ持って行けば、仕立ててくれたでしょうし。父方も母方も両方の祖父・祖母にはとてもお世話になりましたが、父方の方は私が保育園の頃になくなってしまったので、色々と物心ついても思い出が多いのは母方の祖母・祖父です。祖父は中学校の理科の先生(なんと父親の担任)でしたので、よく勉強を教わった記憶がありますし、私が宇宙工学の道を目指すと聞いて喜んでくれていました。祖母に関しては泊まりにいっては、いろいろな躾をしてもらいましたし、面倒を見てもらった思い出がたくさんあります。私が和の道に入るのがもう少し早かったら、私に合わせて着物を仕立ててくれたのでは?と考えるとどうしても悔しくて仕方がありません。ばーちゃんが作ってくれた着物を着られるなんぞ、これほど嬉しいものはないなと。母親と話していて、いろいろ残念に思う一方、いろいろな祖母の記憶がよみがえり、そういえば器用なばーちゃんだったなぁと思い出してきました。着物や茶道を通して、上田紬の文字を見落とさず、それを通して、祖母をまた思い出せたのは良いきっかけになりました。

さて、上田紬を調べてみると、江戸時代前期からかなりの生産量だったようで、江戸や京都にまでその紬が行っていたようです。何せ紬は”普段着”ですから、ハレの日では無い限り大衆が普通に来ていたものであり、また江戸時代の「奢侈禁止令」(いわゆる贅沢禁止令)で絹は禁止になったりしたことから、紬の着物はかなり多く庶民に使われた様です。井原西鶴の「日本永代蔵」に上田紬の記述が残っているらしく、

「この手紬の碁盤縞は命知らずとて親仁(おやじ)の着たる」(一六八八年頃)

は?これ?という感じですが、この碁盤縞というのが上田紬の特徴らしく、”上田”の文字はなくともこの紬を指しているようで、命知らず=丈夫(やぶれない)という評価をもらっていたようです。紬といえば、鹿児島県奄美大島(+鹿児島市)の大島紬、茨城県結城市の結城紬が圧倒的ツートップに君臨しており、日本三大紬の三個目に、この上田紬か、新潟県塩沢町の塩沢紬か、石川県白山市の牛首紬のいずれかが入るようです(笑)。それぞれ三箇所とも三大紬と言えば自分の所と主張しており、省庁のお墨付きやら、重要文化財登録にするやら、ユネスコに申請するやらで、いろいろアピール合戦しているようです。別に地元の上田紬が三大に入るか否かはあまり興味がありませんが、wikipediaで上田紬のページがないので、少なくとも劣勢な様相です。そもそも長野県(信州)では明確に有名だった上田紬を、”信州紬”という名前で1975年に経産省で伝統的工芸品として認可されてしまったことにより知名度とアピール度が逆に下がってしまった感がありますね。これを上田紬にしておけば、江戸時代の生産量は確かなものだったようなのでもう少し結果は変わっていたかもしれません。

もともと絹糸を作る際にできる屑繭を集めて(つむいで)作ったのが紬ですから、当時の水仕事なり普段着に使っていたという紬の生成過程を踏まえ、紬の着物の格が低いのはしょうがないのかなと思いました。一方で洋服がこれだけ溢れた世の中では、紬であっても着物を着れば素敵な気分になる気がしますが、晴れの日・褻の日があるのが日本の伝統的な感覚ですから、悪い意味ではなく格が下の紬があるのは良いことだと思いました。善し悪しではなく、格の上下。実際、大島紬なんぞ絹糸で作っているようで、そもそも製法からして歴史的な紬とは様相が異なっているようですし、かなり高価なものの様ですが、紬という文化はこれからも残って欲しいですね。ネットで検索していると、先ほどの”贅沢禁止令”の中で絹が使えないという社会において、紬はその中でできる粋な着物であったと。いろいろ面白いですね。

上田紬を調べてみると、先ほどの上田紬の特徴である”碁盤縞”は、上田の戦国武将真田氏の”真田織”から来ていると。(文献をたどっていないので真偽はわからず)真田昌幸が上田に上田城を築城後、真田織という織物を始め、それが江戸時代になり、そのおこぼれからできる紬が上田紬になったという説があるようです。真田氏のお屋敷なんぞまさに実家から徒歩ですぐの距離にあり、小さい頃から真田氏最強伝説(地元びいき)を植え付けられて育ってきているわけですが(笑)、歴史を遡ると真田関連の織物から始まったことがわかりました。真田といえば、”真田紐”。これは私も着物を着始めた頃から和物集めで注目しており、上田駅にも売っているので、数本買って持っております。強い紐で有名で、大阪冬の陣・夏の陣でも強かった真田氏と掛けて”強い紐”で一躍有名になったと。上田紬から真田紐に繋がったので面白いなぁと思っていたところ、どうやら真田紐は京都にいろいろ工房があるようです。真田紐の発祥は真田氏というのはそれなりに定説のようですが、大阪冬・夏の陣以来、京都あたりでもその紐が伝わって工房ができたようです。その紐に注目したのが、なんと”千利休”。ただ、大阪の陣は利休が切腹するより後の時代なので、事前に真田紐が京都に伝わっていたのか、そもそも”真田紐”と今でこそ呼んでいる紐が既にあったのかなどは興味深いところ。

抹茶茶碗、棗(薄茶器)など茶道具は基本的に桐箱に入れられ、時の有力者(千家家元、大徳寺の和尚など)の銘が入って茶道具の格(+値段)が上がったりします。その桐箱をとじるのに使われる紐に真田紐を使うようにしたのが他ならぬ千利休とのこと。確かに家にある安い茶道具の桐箱にも紐があり、どこかで見たことあるようなと思っていましたが、まさか真田紐とはと驚いた次第です。まさに生まれ故郷の真田氏発祥の紐が、こうやって着物と茶道を通して繋がったのは不思議な縁と感じつつ、むしろそんな真田紐と茶道具の桐箱の関係なんぞ私が生まれる前から決まっていたことで、その関係を気づくようになったと考えるべきか。

上田紬をきっかけに、祖母との思い出、上田紬の歴史、真田紐に繋がって利休に繋がった興味深い探索でした。


四方右掛け・・・のつもり。ちゃんと出来ているかな?

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参考1)上田紬 伝統の技に歴史の風合いが息づく
参考2)千曲川の川風と蚕種製造
参考3)上田紬と真田紐
参考4:これはあくまで雑談程度に)紬はどうして普段着?
参考5)手織り 上田紬 小岩井紬工房

中判フィルムカメラ “Hasselblad”再始動。

大学の後輩に貸していた中判フィルムカメラ “Hasselblad” (ハッセルブラッド)が戻ってきました。なにせ無性に中判のフィルムカメラを触りたくなって戻してもらうことにしました。

少し解説すると、いわゆる普通の35mmフィルム(ライカ判、135判)より大きな中判と呼ばれるフィルムを使うカメラです。アポロ計画で、月面の写真を撮ってきたのもこのハッセルブラッドですな。昔はあまりに高価なカメラで家を買うかハッセルを買うかとかいう選択があったとか(ホントかな?)。詳しくはハッセルブラッドなりで検索してみてください。某サイトに引っかかると思います(笑)

(クリックすると拡大。隅々までこの美しいカメラをご覧くだされ(笑))


Hasselblad 501C/M + Carl Zeiss Planar 80mm C T* f/2.8 + A12

いやはや、なんて言う素晴らしい美しさ。とりあえず中判フィルム120判の6×6 : 12枚撮りのA12フィルムバックを装着。レンズは定番80mmのPlanar Cシャッターレンズ。T*なので比較的後期のレンズ。中判なので135mm判(ライカ判)で40mm相当の画角です。


フォーカシングスクリーンは、スプリットのアキュートフォーマットです。久しぶりにハッセルファインダーを覗きましたが、素晴らしいですね。これは覗くだけでゾクゾクします。501CMは、かなり出荷数の少ないボディです。基本的には503CWとそんなに変わらなかったと。その前にハッセルのVシステムは500C/M以降それほど変化は無かったかと。


フードは一度落とした時の影響でモーレツに曲がっています。おそらくA12は光線漏れしそうな気がしますが、とりあえず一本撮って現像してみます。


もう一本レンズを持っておりf=150mm F4。SonnarのCシャッターレンズ。これは強烈なレンズで、是非直ぐに撮りたいです。

とりあえず、今日到着したばかりなのでまたテストしていませんが、出張から帰ってきたら試してみようと思います。残念ながら、この貸していた時にKodakがフィルムから撤退してしまいました。しかし冷蔵庫を見るとE100VSが数本入っていたので(余裕で期限切れだけど)大切に使おうと思います。

私がハッセルを使っていたのは2004~2006年頃。久しぶりにハッセルブラッド再始動です。

茶の湯のお稽古(六回目)

今日は、茶の湯のお稽古の第六回目でした。

前回のお稽古から約一ヶ月経っているので、教えて頂いたことの記憶の多くが飛んでおり心配でした。まだ始めたばかりということで、お点前が混乱するのを避けるために、時節的には炉の季節ですが、お風炉の薄茶のお点前を教えて頂きました。家でそれなりに練習を重ねて行きましたが、何せ記憶が曖昧でしたので、随時直して頂き、記憶を定着させて行きました。流れとしては大方覚えて来ましたが、細かい所作がとても雑であることが今回のお稽古で客観的に分かりました。私のお点前の時のご指摘もそうですし、一緒に通っているお友達の綺麗なお点前を見ると、いろいろ気づかされることがあって勉強になりますね。今日ご指摘頂いた点をちゃんと覚えておいて、次までには少しでも改善するように心がけたいです。あとは、流れるような所作ですね。今は緊張していてカクカクなので(笑)

普段、人工衛星の設計なり開発をしていると、意識して記憶するということが殆どありません。PCに向かって設計し、実際に衛星を組み立てる際にはクリーンルームにクリーンウェアの格好で作業をしています。その過程で記憶するということが殆どないのですよね。そういう意味でお点前を覚える(記録)するというのは、久しぶりの感覚です。一方でお点前は連続動作ですから、あまり記憶頼りにしていると動きがぎこちなくなってしまいます。やはり体で自然に出来るように練習あるのみですね。お点前が少しずつ早くなってきたのもありますが、正座もだいぶ慣れてきました。

さて、今日の先生の茶室の床は本当に素敵でした。先生のご自宅のお庭で咲いていた”紅葉の楓”と”ホトトギス”が茶花として飾られていました。真行草でいえば”草”の茶花でした。フラワーアレンジメントは少しレッスンに通っていましたが、この茶道の茶花というのはまた違った世界で、シンプルの中に凜とした美しさがあります。許可をもらって写真を撮らせて頂きましたが、先生の床ですのでブログには掲載せず。今日の綺麗な茶花を記憶の片隅に置いておきたいと思います。

一ヶ月ぶりでしたのでお点前以外のいろいろ質問したいことが溜まっていました。昨日、銀座のもとじさんに行って、お茶席では必須である袴についていろいろ教えてもらってきました(呉服屋からのご意見を)。流派・流儀があるとのことで、袴をつくる際に何か留意点がないかを先生と確認しました(高い物はとても買えませんが、それでも安くもないので変な物をつくらないように)。これで大方方向性が決まったので、今お仕立てに出している着物があがってきましたら、また少し時を置いて袴もお願いしようかなと思っています。

復習もしておかないと。

置き畳と京菓匠 鶴屋吉信の季節の生菓子

部屋で茶道のお点前を練習する際に、フローリング床にい草の上敷(いわゆるゴザみたいな薄いもの)を使っていました。しかし薄すぎてフローリングの上ですと正座が痛くて仕方がありませんでした。また直ぐに波打ってしまって、茶筅がその波で立たずに倒れてしまったり。何か良い方法がないか調べていたところ、フローリングの上にさっとおける”置き畳”というものを見つけました。今回注文したのはいろいろなカスタマイズにも対応していただける”琉球畳製作 琉球畳どっとこむ”さんにお願いしました。

参考:琉球畳製作 琉球畳どっとこむ 公式サイト

琉球畳どっとこむさんでは、い草の種類、畳のサイズ、厚み、内部にクッションを挟むなど実に細かくカスタマイズが可能です。今回は、京間(本間)の一畳、厚み15mm、引き目でお願いしました。


写真左下が部屋のフローリング。そこに2枚重ねの置き畳があることがわかります。

なぜ2枚重ねか?実は、私の注文が悪くて届いた畳の表面が”目積”(細かく目が詰まっているもの)でした。茶道のお点前では、一般的な”引き目”でないといろいろ不都合があるので、その旨をお店に相談したところ非常に丁寧に対応して頂きました。まぁ、詳細は避けますが、ご配慮頂き2枚重ねになっています(笑)

さて厚みですが、注文は15mmにしました。あぐらをかいたり、頻繁に置き畳を移動するなどの方はこの15mmで良いかと思いますが、茶道の場合はもうちょっと厚くても良いかなという印象でした。1枚目が届いた時に30mm位の厚さにオーダーすべきだったか・・と思ったので、今回の紆余曲折で結局2枚重ねで30mm。ちょうど柔らかさも良い感じです。とりあえず、洋室の一角に1畳だけ畳が来ましてとても良い感じです。隣にサーバーなどが動いていて、畳を一歩下りたら全く”和”でもないのですが・・・。

銀座三越のB2にお抹茶を買いに行きましたら、京菓匠 鶴屋吉信の季節の生菓子が少しだけ売っていました。いままで閉店間近に行くことが多かったのでいつも売り切れだったのですが、今日は何とか購入に成功。

参考:京菓匠 鶴屋吉信

右:”吉祥椿”(焼皮製 粒餡):六弁の椿。新しい年を迎える紅白のおめでたい椿の意匠。
左:”庭小槌”(こなし製 粒餡):雨の日、庭に実をつけた千両。千両を小槌(宝)にみたてて。

とても素敵です。季節の生菓子は、先日の笹屋さんもそうですが、見て楽しく、食べて美味しく、そして季節を感じて素敵な御菓子ですね。今まで浜離宮なり、六義園なりの茶室に行ってお抹茶と共に出されても速攻で食べてしまっていましたが、最近はいろいろ細部までみたりと楽しくなってきました。

さて椿。とても大切な花ですがやはり素敵ですね。


目的のお抹茶。今日は、一保堂茶舗の丹頂の昔(たんちょうのむかし)と縁の白(えにしのしろ)。両方とも表千家用(?)のお抹茶。一保堂茶舗のお抹茶の表千家用(?)のものは、九段階でさっぱり系からコクがある系に分類されています。先日購入した今昔(いまむかし)が比較的さっぱり系で、今回はそれに対して二段階ずつ”コクがある”お抹茶を選びました。また同時に点てて比較してみようと思います。

(それにしても写真が酷いですね。銘柄を記憶するという意味で、とりあえず写っていればいいやと)


置き畳が来たことで、写真を撮るのがとても”楽”になりました。今まで波立って(シワが寄って)、い草の目がヘロヘロになっちゃっていたのですが、置き畳にしてスッキリ。部屋の面積的にこの一枚(一畳)しかおけませんが、畳がある空間はとても良い感じです。

それにしても今日は寒いですね。ご体調お気を付けください。