あらゆる事に選択っていうものは必要で,または立ちはだかって,
その繰り返しの中で,生きていると思う.
学校や就職先のような選択だけじゃなくて,何を食べるとか,何を見るとか,
言ってみれば,一日どのくらい選択ってしているのかな・・って思う.
高校生クイズに出たことがある.毎年第一問の○×クイズで敗退・・・(涙
最初の選択で,ダメになっちゃっているけど,最初の選択で参加者の半分が敗退するんだから,
最初の選択こそ,一番パワーがある.
変な例えだけど,これと同じで,あらゆる選択の中で,知識が役に立ち,そして邪魔をする.
そう,いわゆる”あたりまえ”として処理され,選択ダイアログが発生しなかった”選択”たちだ.
今自分が大切にしたいものは,そうやって自動処理されて,当たり前として,見逃された”選択”たちだ.
自分がよくやる,”寄り道,回り道”もそのため.
家に帰るっていう動作に対して,”どのみちで帰ろうか?”っていう選択は,
最も最短かつ,定期があるコースで帰るっていう自動処理で帰ってる.
何か街のインスピレーションを感じる時に,同じコースを凝視するよりも,違うコースをさりげなく見た方が圧倒的にパワーがあるのは当たり前.その意味で,選択は最初に行けば,行くほどパワーがある.
”何か街のインスピレーションを感じよう”っていう行動を起こすときに,”遠回りする”っていう最初の選択が自動処理されてしまうと,その行動にとって不利だ.(上記の理由で)
研究でもそう,遊ぶ時でもそう,生き方でもそう,自分が選択として,既成概念や常識っていう自動処理の選択機能が,独創性,個性などにフィルターをかけていないかな?
宇宙工学を選択して,宇宙工学で何か旗を揚げようとがんばる.宇宙工学っていうエリアでがんばることはもちろん重要.でも,宇宙工学の前に,工学,工学の前に理系,理系の前に,学問,学問の前に,大学を選ばなかった時の,職人であったり,芸術家であったり・・・.
知識は時によって役立ち,場合によっては,最高のフィルターになる.
Imagination is more important than knowledge. Knowledge is limited. Imagination encircles the world. Albert Einstein