ウクライナのドニプロペトロウスクへ本業の出張できております。出張先のユジノエ設計局は、カメラ禁制、入退出もパスポートチェックがあり全く宇宙ネタの写真が撮れません。今回、同じドニプロペトロウスクにある航空宇宙博物館的な場所へ案内してもらいました。正式名称は、”Національний центр аерокосмічної освіти молоді ім. О.М. Макарова” = “UKRAINIAN YOUTH NATIONAL AEROSPACE EDUCATION CENTER” = ウクライナ青少年宇宙教育センターです。名前の通り、ウクライナの青年向けの宇宙開発従事者を育てる教育センターで、授業料は行政が負担して、青年達の適正を見極め、宇宙関連開発のプロフェッショナルに育て上げる機関です。その一部が博物館となっており、そこに見学に行きました。殆どの展示物は、お膝元のユジノエ設計局から提供されたものであり、博物館的な展示とはいえ、普段は入れません(たぶん)。今回はユジノエに手配してもらって見学に行ってきました。
ユジノエ公式サイト:http://www.yuzhnoye.com/index.php
教育センター公式サイト:http://www.unaec.dp.ua/
場所で言えば、http://goo.gl/maps/LkVUW
このあたり。
センター長みたいな人に丁寧に説明してもらいました。
ウクライナ青少年宇宙教育センター外観。
ロシアの宇宙開発の歴史をここで書き出すと非常に長いので、興味があればwikipediaあたりでいろいろ検索してみてください。(手抜き)
ドニプロペトロウスクの主にミサイル開発の歴史は、ミハイル・ヤンゲリ、セルゲイ・コロリョフあたりをご参照くだされ(超手抜き)。極省略的に概説すると、ドイツでV2ミサイルを作った連中の内、ウォンブラウン一派が米国に、それ以外の一派がモスクワに亡命し、コロリョフを中心に米ソ冷戦のロケット・ミサイル開発競走時代に突入します。ヤンゲリはコロリョフと共に研究開発をしていましたが、有人宇宙開発のコロリョフとは路線を変え、弾道ミサイル分野に転向し、このドニプロペトロウスクに場所を移し世界最大のミサイル工場、そして性能に関しても世界最強のミサイルシステムを作り上げました。以上。簡単ですが。
で、上の写真はミサイルの他にも軍事目的で人工衛星を作っており、その最初に打ち上げた衛星(と同型機)とのことです。何となくスプートニクににていますね。
この衛星は、地上分解能5mくらい(?って解説していたかな)の衛星。ちょうど我々が現在開発している衛星が同等の分解能なので、こんなに大きかった衛星が、最新デバイスなり技術を駆使することで、50cm立方の小型衛星でも実現できるようになりました。そして、短期開発・安価開発を実現し、民間の衛星開発ベンチャーでも衛星を作る時代になりました。そして、その民間の小型衛星をこのロシア・ウクライナのロケットで打ち上げて貰うための調整作業に今回出張に来ているわけです。
これは6.7トンの地上分解能50cmの超巨大衛星。当時としては世界最高性能だったと思われます。現在、同等の分解のは200kg~300kg程度の衛星で実現可能になっています。衛星というよりロケットの最終段とも考えられ、ロケットも一緒に作っているとこういった攻めた設計も当時可能であったと伺えます。
先ほどの衛星の違う方向から。我々が作っている衛星だと質量比で134個分の大きさです。
上の6.7トンの衛星はさすがに大きくて重いため、ロケットも拡張しないとなかなか宇宙まで運べません。そこで作ったのが写真のZenitロケットです。これを紹介した理由は、ちょうど昨日・今日(2013/02/02)にZenitロケットの打ち上げが失敗しました(苦笑)
ユジノエももちろん絡んでいるので心配です。
さて、建物の外に出るとSS-17ミサイルが置いてありました。本物だと思います。後継機のSS-18は現在ドニエプルロケットとして商用利用で大人気のロケットです。ミサイルとロケット技術は基本的には一緒で、先っぽに核弾頭が付いていればミサイル、人工衛星が付いていればロケットと大雑把に分類できますが、大陸を横断できるクラスの大型ミサイルであれば、ロケットと技術的には同じです。
2段目。いろいろアビオニクスが付いていますね。
核弾頭が入る先っぽ。
2段目のエンジン部。
1段目のエンジン。
実際に使っていたかわかりませんが、核弾頭のケース。ここに核爆弾的なものを入れてミサイルの先っぽにくっつけて、米国を狙っていたわけですね。
さて、このSSシリーズの旧ソ連の大陸間弾道ミサイルは技術的に米国を大きく凌駕していました。上の写真はキャニスターというミサイルの密閉容器で、SS-17に燃料をいれて組み上げ完了後、このキャニスターに缶詰のように入れられ密封されます。その状態で鉄道などを使って輸送が可能です。ポイントはこのキャニスターの密閉および、常温で液体の燃料(超猛毒ですが)を用いることにより、最大18年間程度燃料を入れて、発射可能な状態をノーメンテで維持できたことです。(SS-17はもっと短かったようですが、いわゆるこのミサイルシリーズとしては最終的に20年間近く保持可能だった)
ミサイルみたいな何時打つかわからないような物を、燃料いれてから発射台に・・なんてやっていたらお話しになりません。この長期発射状態維持性能で旧ソ連は米国を圧倒しており、ものすごい数が地中に埋められていつでも発射状態であったことを考えると恐ろしい状態だったなぁと。(今でも第三国が同じようなことを目指して開発を進めているようですが)
ミサイル技術とロケット技術は基本的には同じという解説は間違っていないのですが、私のなかでは明確に違うかなという実感があります。ユジノエで実際に複数のロケット(ミサイルではなく衛星打ち上げのロケットね)の同時並行作業の開発っぷりを見ると、やはり以前世界最大のミサイル工場であったことを肌で感じることができます。これは日本のロケットの一本作って大切に打ち上げるというのは文化が違い過ぎます。最初から同時開発、同時打ちを前提とした開発システムと、一本をまず上げて・・・では工場の作り方やロケット構造自体の設計思想が違いすぎて比較にならないのかなと。ウチの衛星ベンチャーでも、複数の小型衛星を同時に早く開発する必要があるため、ユジノエでの開発の仕方は非常に勉強になりました(真似できるものでもありませんが、本来の体制が違うという感覚が身につきました)
あとは、ウクライナの人達は、”人が良い”ので仕事をしていても楽しいです。まじめな気質で、何にしろ一生懸命なので、システマチックなスマートさは無いですが、みんなで強力してやり遂げる感が強くとても好感を持てました。ドニプロペトロウスクには、しばらく来ることが無くなりますが、この2回の出張は良い経験ができました。